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埼玉西支社

連載コラム

第2回連載コラム

菖蒲 ~本多静六を生んだふるさと~

お休みに、散歩がてら近所の公園に行く。
とても気持ちが良いものです。
気が向いた時には、もう少し足を伸ばしてみる。
「大宮公園」「羊山公園」といった埼玉県内の大きな公園。
もう少しがんばって東京都内の「日比谷公園」「明治神宮の森」。
遠方の有名公園に行くと、日帰り旅行気分です。

その昔、公園の設計に尽力された方がいました。
北海道から九州まで日本各地で、公園の設計・改良に携わった数、大小数百ヶ所!
明治・大正・昭和期に活躍したその方の名は「本多静六」(1866~1952)。
日本最初の農林博士であり、「日本の公園の父」と称される方です。

公園に関する業績だけではありません。
まだ、「ライフプラン」「キャリアプラン」「ファイナンシャルプラン」という概念がなかった時代に、「人生計画」「仕事の道楽化」「四分の一天引き預金」といった生活の模範を提唱されたことでも知られます。

本多静六博士は埼玉県の菖蒲町(当時、河原井村)出身です。
「菖蒲町?」
馴染みのない方が多いかもしれません。
埼玉県中央部に位置する菖蒲町は、県内屈指のイチゴ生産量を誇る、豊かな自然に育まれたまちです。

第三回は、本多静六博士のふるさと「菖蒲」を訪ねた報告記です。

いざ菖蒲町へ

早速、秋の菖蒲を訪れることにしました。
今回は、JR高崎線桶川駅(東口)から菖蒲町まで自動車で向かうルートです。
(菖蒲町は桶川駅・JR宇都宮線久喜駅からバスで20分ほどです)
本題に入る前に、バスの出発点である桶川について少しだけ触れます。

桶川は旧中山道六十九次6番目の宿場町です。
明治16年に旧中仙道と平行して鉄道が通り、桶川駅は明治18年に開設されました。
旧中仙道の影響を受け、桶川駅は旧中仙道寄り(現在の駅東口)から発達しました。
現在の東口は、ロータリーがある西口と比べ、少し手狭な印象です。
その歴史ゆえ東口は、戦後の自動車社会にうまくマッチできない部分がありました。
一方、発展がややスローであった西口は、駅前を計画的に整備することができました。
同じ駅でも東口と西口でその様子はかなり違います。
高崎線では、他にも桶川駅と似たような雰囲気の駅があります。
住宅購入の際は、街の歴史などもご確認されると良さそうです。

余談はこれぐらいにして、桶川駅を出発します。
国道17号線(坂田交差点)を通過するとひたすら一本道です。朝晩はともかく、日中は、自動車の流れもよく、時おり、田んぼ・畑などのどかな風景を見ることができます。
予定どおり桶川駅から20分ほどで菖蒲町に到着できました。

本多静六記念室

菖蒲町の生涯学習センター『アミーゴ』は、菖蒲町民の生涯学習の拠点施設です。
中央図書館などを備える立派な建物で、本多静六記念室はその2Fにあります。

さて、いよいよ本多静六記念室に入ります。
ギャラリーの広さは20㎡ほど。
テーマに沿ってパネルや写真、資料などが展示されておりました。
特に「日本の公園の父~博士が設計・改良に携わった全国各地の主な公園」のパネルは圧巻です。
「日本人はだれもが博士の設計・改良した公園を一度は訪れているのでは」
と思うほどです。
冒頭の大宮公園・羊山公園・日比谷公園・明治神宮の森といった埼玉・東京の公園はもちろん、大沼国定公園(北海道)、鶴ヶ城公園(福島)、偕楽園(茨城)、懐古園(長野)、箕面公園(大阪)、大濠公園(福岡)などここでは書ききれない有名な公園の数々。
「本多静六博士を偲ぶ公園巡りの旅」というテーマで、日本各地の公園を巡る旅もおもしろそうだと思いました。
博士の公園設計のポリシーは「独立主義」「健康第一主義」に集約されます。
「各人が人の世話にならず、自分で働いて生きていくこと、そのためには健康が一番大切である」という考えに基づくポリシーです。
明治・大正の時代に健康のための公園設計とは、その先見性に恐れ入ります。

本多静六博士生誕地記念園

生涯学習センターを後にして、国道122号線をさいたま市(南)方面に向かいます。
自動車で約5分のところに、「本多静六博士生誕地記念園」があります。
とても小さな記念園です。
手前にある「道のオアシス」が目印ですが、うっかり入口を見落としてしまい、あわてて自動車をUターンさせました。

公園には、本多静六博士の胸像があります。
胸像は、先生がこよなく愛された秩父を向いております。
先生は晩年、私的に所有されていた大滝村(現秩父市)の中津川県有林を寄贈するなど、その思いは大変なものであったようです。
現代では、埼玉県内からでも「秩父は遠い場所」のように思われます。
これは東京を中心として社会が形成されている影響かもしれません。
明治期の埼玉人は現在より秩父を意識していました。
胸像が見つめる秩父は、「本多静六博士が慈しまれた秩父」であるとともに、「明治の埼玉人が仰ぎ見た秩父」と、私は定義してみました。

記念園には、日比谷公園の「首かけイチョウ」の分木があります。
「首かけイチョウ」の名の由来をちょっとだけ・・・
その昔、日比谷見附のイチョウが道路拡張により伐採されることになりました。
当時イチョウの移植は不可能と言われた中で博士は、「自分の首を賭けても移植を成功させる」と言って、その大木を日比谷公園に移植したと言われています。
もちろん、移植は大成功。今でも「首かけイチョウ」は日比谷公園を訪れる多くのサラリーマンや家族連れを見つめております。

幸福寺(サイカチの木)

「本多静六博士生誕地記念園」から更に南下すると「幸福寺」があります。
外から眺めてみましたが、普通のお寺さんです。
本多静六博士の生家にほど近い「幸福寺」は、当時、河原井小学校でした。
明治5年、博士はこの小学校に入学されました。
明治時代の初期、「お寺=小学校」は珍しいことではありません。
お寺さんは、村の文化の中心であったのでしょう。
お寺の山門付近にあるサイカチの木を見上げると、当時の子どもたちが元気よく遊ぶ声が聞こえてくるような気がしました。

現代は、子どもに多くの情報を与え、技能を身につけさせることに熱心です。
時代の要請であり、仕方がないのかもしれません。
しかし、何もない田舎にあるお寺の小学校に通った子どもが、なぜ多くの公園を設計するほどの人物になったのでしょうか。
古びたお寺を見ながら、我が子の教育について改めて考えさせられました。

人生計画

本多静六博士が説かれたことは数多いのですが、ここから3つほどご紹介します。
「人生計画」「職業の道楽化」「四分経済法(四分の一天引き預金)」です。
まず最初は「人生計画」です。
「ライフプラン」という言葉は、最近では珍しくなくなりました。
最近の「ライフプラン」は常に「私生活の計画」や「家計」と絡めて語られることが多いのですが、本多静六博士の「人生計画」は、生活の本質論や方向性を重視したものです。

博士は「人生計画」を2度立てています。 「旧計画」は、ドイツ留学から帰国後の25歳で作成した計画。
「新計画」は、「旧計画」の達成を確認した77歳の時、再度作成された計画。
筆者は個人的に「旧計画」のファンなので、コラムでは「旧計画」を掲載いたします。(私が内容を簡単にまとめたものです)

《本多静六博士の人生計画》
第一期(25~40歳)一途に奮闘努力、勤倹貯蓄、一身一家の独立安定の基礎を築く。
第二期(40~60歳)専門の職務を通じてもっぱら学問のため、国家社会のために働く。
第三期(60~70歳)国恩、世恩に報いるため、一切の名利を超越し、勤行布施のお礼奉公につとめる。
第四期(70歳~) 居を山紫水明の温泉郷に卜し、晴耕雨読の晩年を楽しむ。
第五期       広く万巻の書を読み、遠く万里の道を往く。

今日出回っている「ライフプラン」は専門的で、かつ複雑なものとなっています。
博士の人生計画は、小手先の細かい技術論ではありません。人生のあるべき論・方向性を示すものであり、現代日本でも通用することが多いと思われます。(ただ、文体から漂ってくる明治・大正・昭和の香りはご愛嬌です)

職業の道楽化

仕事に関する現代風な言葉としては「キャリアプラン」があります。
しかし、「キャリアプラン」は多くの仕事の中から、自分の適切な仕事を見つける要素があり、本多静六博士の言う「職業の道楽化」とは少し違います。

「職業の道楽化」とは・・・
職業は自分の適性にあったもの(場所)が望ましいが、必ずしもその職に就けるとは限らないものです。(というより、希望の職に就けることはほとんどないのでは!?)
大切なことはどんな仕事であっても最善を尽くすことです。最善を尽くせば、次第に仕事に慣れ、能率も上がります。その結果、仕事自体が純粋に面白くなり、「職業の道楽化」の域に達するようになります。
自分にあった職を探すのではなく、仕事に取り組みながら自分が順応することを説いています。「職人的な仕事の極め方」と言っても良さそうです。 同時に、博士は単なる個人的利益・功利一点張りの職業観も戒めております。

四分経済法(四分の一天引き預金)

前述の「人生計画(=ライフプラン)」と同様に、「ファイナンシャルプラン」も近年よく見かけます。
本多静六博士のマネー哲学は、「職業の道楽化」から生み出されたお金を大切にすることで、安定した生活を送るための提言です。
四分経済法には、2つの段階があります。
いずれの段階も、基本は月給の1/4を確実に貯金することです。

  《ステージ1》駆け出しの頃・・・「四分の一天引き預金」に注力する
    ・「生活費」「交際費」などの支出は、収入(月給)の3/4に抑える
    ・残りの1/4は必ず貯金する
    ・月末にお金がなくてゴマ塩を食べていても、無駄な支出は決してしない
    ・なお、賞与など臨時収入はすべて貯金する
  《ステージ2》ある程度の蓄えができたら・・・「四分経済法」へ展開する
    ・収入を「貯金」「生活費」「交際費」「慈善事業」の4等分して、生活する。

大枠の人生計画を立てて、仕事を一生懸命行い、確実に貯金する。
とても単純なのですが、非常に大切なことです。

現代の生活にはそぐわない部分もあるかもしれませんが、考え方は非常にシンプルで、だれでも実行可能なことです。ただ、実行は本当に難しい。そのためには生活の単純化することも大切と説かれています。

今回、菖蒲を訪れることにより、本で詰め込んでいた知識を身体で確認することができました。また、本多静六博士の功績・哲学を通して、私自身の職業(ファイナンシャルプランナー)を改めて考え直すことができたことも非常に有益であったと思います。

12月となりイチゴの季節が始まります。スーパーの店頭に並ぶイチゴは、菖蒲産かもしれません。この季節イチゴを食べながら、本多静六博士の本を読むのもよいのではないでしょうか。

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