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区画整理された街

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BEYONDTHE HISTORY

時を超える[平野郷]

摂州平野大絵図(1763年)[国際日本文化研究センター所蔵]

古くから住み継がれ、歴史ある市街地。

町としての平野の歴史は大阪の中でも特に古く、平安時代にまでさかのぼります。東に大和、南に紀泉を控え、交通の要衝として発展した平野郷を中心に栄えました。戦国時代には自衛のため、町を環濠と土居で囲んだ自治都市として、堺とともに日本の近世史にその足跡を残しています。江戸時代には河内木綿の集散地として平野郷の名は全国に知られるほど繁栄。町の活気は文化の交流を呼び、京都や堺の町衆と同じく、連歌や茶道、能楽などが町民に普及しました。江戸期に完成した碁盤の目の町割りは現在も残り、夏祭りなどの伝統行事の数々も生活の中に定着するなど、歴史ある地区の面影を偲ばせています。近世以降では、明治22年(1889年)の大阪鉄道の開通により近代化が進み、旧平野郷を中心にして、都市としての開発が進展しました。

※出典元/大阪市ホームページ(平野郷地区HOPEゾーン事業)、「平野郷」歳時記ホームページ

平野郷に端を発する、
美しく区画整理※1された住宅地「背戸口」。

土地区画整理外範囲

歴史に育まれ、区画整理により
市街地としての発展を遂げた
平野区「背戸口」。

平野の歴史は大阪の中でも特に古く、平安時代には交通の要衝であった平野郷を中心に栄えました。その後も時代を越えて成長を続け、明治に入ると大阪鉄道の開通により近代化が進み、都市としての開発が進展。大正期には阿倍野-平野間を結ぶ南海平野線が開通し、沿線の住宅地化が進行。昭和初期には、南海「平野」駅西側に広がる区域の土地区画整理が実施され、道路が整然と設けられた街区が誕生しました。今日、落ち着いた住宅地として成熟しているこのエリアに本計画地は位置しています。

※1:昭和53年(1978年)6月完了 出典:大阪市平野区役所ホームページ
※掲載の航空写真は、2019年2月に撮影したもので、一部CG加工を施しております。
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