
現代の博多を代表する人形作家である中村信喬氏は、大学では彫刻を学び、
家業を継いでからも、日本画、能面、人形の巨匠たちに師事し、
日本の美のさまざまな表現と技法、つくり手としての姿勢を学んだ。
ひたむきな努力を見守ってきた博多の人々は、その信頼から、
街を元気にするものづくりを依頼するようになり、
現在、活躍の場は伝統工芸という分野の外にも広がっている。
博多人形は、日本と中国の逸話を題材とすることが多かったが、
中村信喬氏は天正遣欧少年使節を題材としたシリーズで新境地を拓く。
少年使節の一人、伊東マンショの像は、ローマ法王に拝謁し、献上することができた。
ある人物をつくろうと思ったら、資料をいろいろ調べるだけでなく、必ず現地に行きます。実際に行って空気を肌で感じないと、良いものはつくれないですよ。資料や映像では一番わからないのが、においですね。
天正遣欧少年使節のシリーズをつくったときも、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に行きました。タイムトラベルしたみたいに、あの子たちと同じ空気を吸いたくて。サン・ピエトロ大聖堂は天井が高さ40mくらいで、ステンドグラスや金銀の神像があって、ものすごくきれいなんです。400年前のあの子らは、ぼくよりもっともっと感動しているはずですよね。そういうことが現地に行ったらわかるわけです。想像しているだけでは、わからないし、感動できないでしょう。自分の感動が形になるので、作家は感動しないといけないんです。
博多の夏の名物、博多祇園山笠の人形をつくるのは、
専門の技術を継承した家柄の人形師にしか許されず、
十五人ほどしかいない。
その一人でもある中村信喬氏は、2019(令和元)年、
安曇磯良丸の「飾り山」を手がけた。
山笠の人形の題材はいろいろですが、令和元年ということや、宗像の世界遺産認定や山笠の無形文化遺産認定をふまえ、福岡の海神伝説である、志賀島の安曇磯良丸にしました。
安曇磯良丸は顔が醜いということで、マスクをしていますよね。それはすごく意味があることだと思います。日本の文化はマスクの文化なんですよ。能が象徴的ですが、日本の人は他の国の人に比べたら表情を外に出さないですよね。それは日本は災害が多く、災害に一喜一憂していられないからともいわれます。つねに感情はあるけれど、それをマスクの内側に隠し、世の中をマスクを通して見ているんです。
いつかはアートとして志賀島に巨大なマスクをつくってみたいですね。巨大なマスクの目から見たら、外はどう見えるでしょう。そんなものがあれば絶対世界から注目されて、人も集まります。福岡の仲間たちが「信喬が面白いこと考えとうよ」と協力してくれ、行政も動いたら、本当にできるかもしれないですよ。
博多祇園山笠とは
博多祇園山笠は、博多の総鎮守・櫛田神社の素戔嗚尊(祗園宮)に対して奉納される神事として受け継がれてきた祭である。起源は、一説に1241(仁治2)年疫病が流行し、承天寺の開祖・聖一国師(円爾)が、町の人々が担ぐ施餓鬼棚に乗り、祈祷の水を撒きながら疫病退散を祈願して町を巡ったことと伝えられる。江戸時代に「山笠」と呼ばれる神輿の巨大化が進み、1898(明治31)年からは、電線の切断を防ぐため、巨大な「飾り山笠」と巡行のための「舁き山笠」を別につくることになった。現在、7月1日から15日にかけて行われる。
中村信喬氏はすでに幾つものパブリックアートを手がけている。
それらの作品では、触れ合えること、場に対して何か意味があることを意識してきた。
ぼくは社会に対してものを投げかけるのがアートだと思うんです。作家が何か使命感をもって訴え、見る人がいろいろ思うことがプラスされ、アートになっていきます。モニュメントをつくるにしても、見る人が何も思わないなら、ただのモノでしょう。でも、アートの分野の先生は、「自分がつくりたいものをつくれ」と言います。「人ありき」は迎合してる、と言うんです。それでは食えない作家を育てるようなものです。自分だけのアートは、アートじゃないでしょう。
ぼくは「一得一失」という言葉が好きなんです。一つを得るには一つをまず捨てなさいという禅語です。まず自己を捨てたら、何かが来る。でも、逆は絶対ダメです。自分から取りに行ったら、1万円借りて3万円取られるようなことになります。だから、ものづくりを学ぶ若い人たちには「人のためにやりなさい」と言っています。自分にとって良いことを追いかけていくと卑しいものになりやすいけれど、自己を捨てて、他者のためになるようにすると、何か得られるものがありますよ。どんな職業でもそれは同じだと思んです。
海から渡ってくる文物や人を受け入れ、
発展してきた博多の街は、
祭に象徴されるように、街の文化を
受け継ごうとする気概のある街でもある。
ふるさとであり、
人形作家として育ててくれたこの街のために、
みんなが喜んでくれるものを残すことを、
中村信喬氏は夢みている。
(了)