
経典、絵画、紙幣など、紙は世界中で文化の発展を支えてきた。日本も同様であるが、
さらに神社の御幣
をはじめ白い和紙に聖性を見る独特の紙の文化を育て、保っている。
現代日本においては筆記用紙や書物の用紙は木材パルプを材料とする洋紙だが、
楮
を用いた手漉和紙ならではの美と強さを求める人は今、世界に広がりつつある。
九代岩野市兵衛氏はその求めに応じ、生涯現役を貫く覚悟である。
現代の手漉和紙の代表的な作家である岩野市兵衛氏のもとには様々な人が訪れる。
丁寧な仕事と謙虚でおおらかな人柄にふれ、誰もが「市兵衛さん」のファンになってしまう。
「市兵衛さんの紙が欲しい」と言ってくださる方は、だいたい版画家さんですけれど、それ以外にスピ―カーや時計に使われたり、私らには思いつかないようなものにしてもらえるのはうれしいです。
外国にも日本の紙が好きな人があって、日本の紙の本が何冊も外国で出ているらしいです。そういう本に、手配写真じゃないけど必ず私の顔写真が載っていて、私のことが書いてあるんやって。それで私がある日、うちの前に外国の方がいらっしゃったと思って見ていたら、その人がいきなり「オー、イチベイさんおった!」と飛び付いて来られました。ノルウェーかスウェーデン出身の方だったと思いますけど、日本に行ったら絶対イチベイに会いたいと調べて来られたそうです。それぐらいファンの人もあります。
有名な電機メーカーの社長さんがこっちにいらしたとき、一緒に来られた外国の方に、「なんで九代も同じものを漉き続けているんや。アメリカでも三代はいるけど、九代はない」と質問されたんです。ちょっと考えて「私の紙じゃなければだめだと言う人いるからでしょうね」と答えたら、「そうか、脇目もふらず九代はすごい」と言われました。
COLUMN
岩野市兵衛氏の生 漉 奉書の工程
奉書の中でも楮のみでつくられたものを生漉奉書という。生漉奉書の工程は、一般に楮の皮を剥いで煮ることから始まる。岩野市兵衛氏の工房では、約4時間煮た楮の皮を蒸した後、水でよく洗い、汚れや不純物を注意深く取り除いたのち(塵取り)、樫の木の棒で叩き、ビーターにかける(叩解 )。さらに繊維を水で洗ってリグニン等を取り除く(紙だし)、漉槽 にネリ(糊空木 、黄蜀葵 の粘液からつくる、繊維を接着させるもの)、水と一緒に入れてかきまぜ、簾桁 に汲んで流し漉きにする。
和紙は樹皮の長い繊維が絡み合うように漉くため、繊維の短いパルプを使う洋紙よりも強度が高い。岩野市兵衛氏は楮の特徴である長い繊維をなるべく傷めないよう、機械で叩く時間を最小限にしている。また、楮を薬品で漂白することなく、丹念に繊維を水で洗うことによって天然の白さを引き出している。
漉いた紙は一晩積み重ね置き、翌朝圧搾機にかけ、水分をぬく。その後一枚一枚板に張り付け、室温42-43℃の室 で5時間ほどかけてゆっくり乾燥させる。乾いた後は一枚ずつ目視で検品し、出荷される。傷ついた紙があれば繊維に戻して再利用される。再利用の楮を混ぜて漉いた方が柔らかさがほど良いという。廃棄物の非常に少ない、エコなものづくりである。
和紙の魅力を愛する人が世界に増える一方で、
手漉和紙のつくり手は全国的に減少傾向にある。
岩野市兵衛氏にとっても後継者問題は他人事ではない。
息子は二年七カ月サラリーマンをしていましたが、仕事が忙しくて戻ってきてもらいました。息子が結婚する前、近所の人に「息子さんのお嫁さんになる人に紙漉きをしてほしいなんて言ってると、息子さんは結婚できないよ」と言われました。本当にそうだと思います。そんなんで、このあたりはもう紙漉きをやらない家ばかりになってきました。うちも先はわかりません。
でも、紙漉きをやりたい人はいると思います。好きでやる気がある人だったら、紙漉きは何年もかからないで覚えられます。やる気があるなら四十歳、五十歳からでもできると私は思います。
昔はよそから来た人は泥棒扱いで、技術をひた隠しにした時代がありましたが、私は聞きに来られる方には何でも教えています。隠したってしょうがない。なんとか技術が残るよう、みんなで協力し合う時代だと思います。共存共栄でないともう残れないです。
ただ、うちと同じ材料を使ってうちと同じやり方でやっても、うちと同じ紙はできません。それは水が違うということです。同じ町内でもこのあたりの水がいいみたいです。うちと同じ紙をつくりたいなら、うちの隣に工房をつくらないと無理です。
製作者として名前が残るのは岩野市兵衛氏のみだが、家族の協力は不可欠だ。
妻の孝子氏は結婚以来約六十年、楮の塵取りや紙漉きを担当してきた。
夫婦で口を揃え「この仕事は大変」と言いつつ、笑顔は明るく若々しい。
私は小学生の時から仲の良い友だちがありました。何でも肚を割って話せる親友でした。その彼が「僕の従妹をもらってくれんか」と言ってきたので、彼の従妹ならと思って、今でいうお見合いをしました。私は二十九歳で向こうは七歳年下でしたが、来てくれることになりました。
最初は紙のことを何も知らない女性でした。それが良かったと思います。最初から私のところのやり方で覚えていってもらえましたから。仕事の大変さも知らなかったんで来てくれたのかもしれないです。結婚してもう約六十年になりますけれど、根強く頑張ってくれたと思っています。妻は私によく似た性質で、決めたことを通す一本気のところがあります。私の友だちが推薦してくれたのも、私と似たところがあると思ったんでないかなと思います。
長生きをしたおかげで、何でも楽しい思い出です。健康の秘訣ですか? まあ、早寝早起きやね。朝はだいたい五時くらい。夜は早い日は七時台に寝てしまいます。早く寝ても熟睡するのは八時間くらい。早く目が覚めたら布団にじっとしています。食べるものの好き嫌いはないほうやと思う。お酒は一日一合半。いつまで仕事できるかわかりませんけれど、「市兵衛さんがやめたら、自分も版画家やめる」とおっしゃる人もありますので、自分からやめられません。
岩野市兵衛氏の奉書は、
多くの作家の作品により長い命を与える
守り神のような存在だ。
「紙は神に通じる」というが、
紙の神様に捧げられたその人生は
家族の愛情に支えられながら
人々の喜びと感謝とともに続く。