
徳川の世にも豊臣秀吉時代の繁栄を失わず、経済の都として栄えた大坂で、
竹本義太夫という語りの名手、そして近松門左衛門という天才作者によって
発展を遂げた人形浄瑠璃は、文楽座という一座によって近代に引き継がれた。
現在では「人形浄瑠璃 文楽」として、日本の代表的な伝統芸能に数えられる。
近年、高齢になった名人の死去や引退が相次いだ一方で、
人形遣いの至宝、吉田玉男の名を継いだ二代目吉田玉男氏はじめ、
名人のもとで実力を磨いてきた技芸員の活躍により注目が高まっている。
二代目 吉田玉男(よしだたまお)
1953年大阪府八尾市生まれ。1968年初代吉田玉男(1977年に人間国宝)に入門。吉田玉女と名のる。翌年初舞台。2013年日本芸術院賞。2015年吉田玉男を襲名。著書『文楽をゆく』(小学館)、桐竹勘十郎氏との共著に『文楽へようこそ』(小学館)がある。
世界には数々の人形劇があるが、その多くは糸で操る操り人形であり、
文楽の人形のように三人がかりで動かすものは他にない。
ユネスコの無形文化遺産として、海外にもBUNRAKUの名は知られ、
人形の繊細な動きは言語の壁を越えて世界の人々を魅了する。
文楽は「人形浄瑠璃 文楽」ですから、まず太夫さんの語り、三味線による義太夫節という浄瑠璃が物語を連行して、それに人形もつられて動く、というものです。人形遣いは台詞を言いませんけど、人形が笑うときは、僕も腹の中で「ぅわははは」言うてます。やはり遣う人間が気持ちを込めると、人形の表情もそうなりますわ。
近松門左衛門の時代の人形は、今よりも小さくて、一人で動かしていたそうです。それからしばらくして「三人遣い」になって、細かい動きができるようになりました。胴の中に仕掛けあるんかなと思ってはる外国の方が多いみたいで、三人で遣っていることに驚かれますね。
人形遣いは指先が器用に見えるようですが、そんなことはありません。僕は不器用やったけど、師匠も不器用だったそうで、「不器用だから勉強するんや。頑張れば、ええねん」と言われました。
「人形浄瑠璃」と「文楽」
太夫の語りと三味線弾きの演奏によって表現される語り物の「浄瑠璃」と人形を操る「人形芝居」が合体した「人形浄瑠璃」は、はじめ源平合戦などの歴史物語を題材としていた。しかし、17世紀後半、語りの名手、竹本義太夫と作者の近松門左衛門が組んで、心中事件を題材とする「曾根崎心中」をはじめ、当時の世の中に即した作品群で大人気を博した。
19世紀はじめに興行師、文楽軒が新しい演出で成功し、「文楽座」が人形浄瑠璃の代表となる。明治末にはそれ以外の人形浄瑠璃の劇団・劇場がなくなり、文楽は人形浄瑠璃を意味するようになったのである。
人間の愚かさや弱さも、人形たちは可憐に演じ、義理や家名のために
男女が死を選ぶまでの物語を描く「心中物」では、そのいじらしさが観客たちの涙を誘う。
心中物が生まれ、支持された背景には、江戸時代の大坂の実情があった。
心中物は、ぼんぼん息子が主人公で、家にはちゃんとした奥さんがいて、子どももいるわけですけど、悪いところでお金を使って、という話が多いですよ。江戸時代の大坂の船場の商家は、すごいお金持っていたらしいですからね。それでいて、家の義理や人情に挟まれて、言いたいことが言えない。そういう男の人、多かったみたいですわ。『曾根崎心中』は実際あった話ですし。現代人からしたら、それでも死ぬことないんちゃうかなと思いますけど、そういう生々しい話を人形がやるのがいいんでしょう。
僕の師匠はいつも「床本(ゆかほん)をよく読んで、どういう役か考えなさいよ」と言うてました。師匠は『曾根崎心中』の徳兵衛、千回以上遣っていて、全部覚えていたんですけど、それでも床本を読んでましたね。それぐらい、どういう人間を演じるのか考えて人形を遣うことが大事、いうことです。
十五歳で先代に入門した吉田玉男氏は、半世紀を人形遣いとして過ごす。
その間に文楽の人気は何度か上下し、今は再び上昇期にあると見るが、
未来に向け、新たな観客層を掘り起こす必要性を感じている。
数年前の大阪市の補助金問題のときは大騒ぎでしたけど、あれがきっかけで、お客さんが増えましたね。「どんなもんか、よし、見てみよう」思ってくださって。当時の橋下市長には「古臭くて、つまらん」言われましたけど、『曾根崎心中』いうたら三百年も前の作品ですからね。それは古いですよ。古いものを受け継いでいって、新作もやっていて、文楽がこのまま続いていくのが理想的ですね。歌舞伎の『ワンピース』のように、いろんな新作やっていくことも大事だと思います。
僕自身、体力続く限りはやっていきたいです。この仕事は定年ないですし、死ぬまで修行ですから。かしらだけで10㎏ある人形を持っているので、足腰に痛みとか感じることありますけど、師匠は八十歳過ぎても大きい人形を遣っていましたから、僕が痛いとか言っていられませんね。
こころを持った人間が操るからこそ、文楽の人形は恋の喜びと恩を裏切る悲しさの混ざりあった複雑な感情までを、言葉と音楽にのせて表現できる。その繊細な美しさを愛する観客のために、人形遣いは厳しい修行を重ね、人形にこころを宿す技芸を追求し続ける。