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命尽きても、師弟は永遠。
命尽きても、師弟は永遠。
文楽人形遣い 二代目 吉田玉男「永遠の絆」

歌舞伎や能と同じ古典芸能ではあるが、文楽はあまり血筋にこだわらず、
実力を重視する伝統があり、門戸は意外と開かれている。
二代目吉田玉男氏も文楽とは関係のない一般家庭に生まれながら、
縁あって二十世紀の名人に数えられる吉田玉男の弟子となった。
2015年の襲名によって師匠の名を引き継いでからは、
名実ともに現在の文楽を牽引する一人となっている。

楽屋の廊下の一角に、出番を待つ人形たちが並ぶ。主役級の登場人物は幕によって衣裳やかしらが変わる。
楽屋の廊下の一角に、出番を待つ人形たちが並ぶ。
主役級の登場人物は幕によって衣裳やかしらが変わる。

学生紛争の時代、ほとんどの若者は文楽に興味を持たなかったが
たまたま舞台裏に足を踏み入れた中学生は、人形を自在に操る仕事に憧れ、
中学三年生で吉田玉男に入門、「吉田玉女」という名を与えられた。

 昭和41年、今はなくなった道頓堀の朝日座へ、手伝いにアルバイト的に行ったのが最初ですね。たまたま家の近所に人形遣いの吉田玉昇さんという方がいらして、誘われて。中学二年生でしたけど、当時は人形遣いが少なくて、行ったらすぐ黒衣を着て舞台の雑用です。うちは普通の家で、文楽はテレビでちょっと見たことがあるだけ。廊下に大きい人形が並んでいるのにびっくりしました。
 それから学校の帰りに遊びに行くようになって、同じ頃にお父さんの楽屋に出入りするようになった桐竹勘十郎さんと友達になりました。二人で「ここ動かすと、手が動くんやで」と人形で遊んだりして。学校より楽しいし、全国を廻ったり、海外公演に行ったりする話を聞いて、ええなあ思いまして。周りは高校受験の勉強をしていましたが、僕は親の反対を押し切って中三のときに先代玉男に入門しました。玉昇さんと先代は楽屋が一緒で、いろいろ親切にしてもらっていて。以来、師匠とは実の親よりも長い時間を一緒に過ごしました。

  • 二十代の稽古風景。先代は研究熱心な名人として知られ、弟子はもちろん、太夫や三味線の後進にも大きな影響を与えた。
    二十代の稽古風景。先代は研究熱心な名人として知られ、弟子はもちろん、太夫や三味線の後進にも大きな影響を与えた。
『八陣守護城』の主人公、加藤清正(作中では加藤正清)の人形と。かしらを左手で持つ主遣いは、顔の表情と右手の動きを操る。
『八陣守護城』の主人公、加藤清正(作中では加藤正清)の人形と。かしらを左手で持つ主遣いは、顔の表情と右手の動きを操る。

文楽の人形は、かしら(首)と右手を操作する「主(おも)遣い」、
左手を操作する「左遣い」、足を動かす「足遣い」の三人が一体になって動かす。
「足十年、左十年」といい、それぞれ十年以上経験して主遣いになるのが一般的だ。

 入門してからは「足遣い」です。僕の師匠は立役(たちやく)、つまり男の役が多いから、人形も大きいし、じっと苦しさをこらえているような役が得意でした。そういう役はかえって大変。役によっては30分動かないんですよ。なかなか耐えられなかったですね。勘十郎さんは、お父さん(二代目桐竹勘十郎)の足を遣っていましたが、動きのある人形が多くて、羨ましかった。僕は毎日じっとして、怒られているばっかりで。でも、師匠は「動かない足をもっているのが勉強なんやで。これを持っていたら動く足も使える」と言うんですよ。実際、そうなんです。じっとしている間に他の人がやっていることを見て、勉強できますしね。
 足を遣ってないときも、「他の人がやっていることをよく見なさい」と言われました。上手な人ばかりでなく、誰のでも。「あれは、あかんやろ」と分かることも大切なんですよ。僕も今は若い人に同じことを言っています。

  • 指の関節には、足遣い修行の時にできたタコが残っている。立役の足についている「足金」をもって遣ううちにマメができ、2~3年するとマメがタコになって痛みを感じなくなる。タコは左遣いになってからは小さくなったが、今も残る。
    指の関節には、足遣い修行の時にできたタコが残っている。立役の足についている「足金」をもって遣ううちにマメができ、2~3年するとマメがタコになって痛みを感じなくなる。タコは左遣いになってからは小さくなったが、今も残る。
  • 舞台での動きを再現。人形が演技する舞台の前面には手すりがあり、その手すりの内側に人形遣いが立ち、足遣いは不自然な姿勢で足を支え続ける。
    舞台での動きを再現。人形が演技する舞台の前面には手すりがあり、その手すりの内側に人形遣いが立ち、足遣いは不自然な姿勢で足を支え続ける。
  • 客席から人形が見やすいように、人形遣いが立つ舞台は床の高さが低くなっていて、主遣いは「舞台下駄」を履いて高さを調節する。
    客席から人形が見やすいように、人形遣いが立つ舞台は床の高さが低くなっていて、主遣いは「舞台下駄」を履いて高さを調節する。
  • 入門間もない昭和45年の『義経千本桜』「渡海屋の段」で、安徳帝を遣い、平知盛を遣う師匠と初共演。足遣いの修行時にも、子役や端役の主遣いで舞台に立てる。

    入門間もない昭和45年の『義経千本桜』「渡海屋の段」で、
    安徳帝を遣い、平知盛を遣う師匠と初共演。
    足遣いの修行時にも、子役や端役の主遣いで舞台に立てる。

  • 渡邊綱の人形で、舞台の動きを再現。左遣いをつとめる吉田玉佳さんは入門三十年になる。

    渡邊綱の人形で、舞台の動きを再現。
    左遣いをつとめる吉田玉佳さんは入門三十年になる。

入門の日より、ほぼ毎日ともに過ごした師匠は、2006年に八十七歳で世を去る。
本人には言わなかったが、自分が亡くなったら一番弟子に襲名させたいと考えていた。
十回忌にあたる2015年、その希望は実現し、二代目吉田玉男が誕生した。

文楽人形遣い 二代目 吉田玉男

 襲名公演の「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」で遣った熊谷直実は、入門から十二、三年目の勉強会で初めて遣った主役級の役なんです。師匠に左を遣っていただいて。師匠が左に来ると、人形が自然と遣えるんです。上手に間を取っていただけるので。自分が師匠の左を遣うようになったときは、師匠についていくので精一杯でしたね。
 僕は二十三歳で実の父親を亡くしたこともあり、師匠は本当の父親のような存在。いい師弟やったなと自分では思ってますけど、師匠はどう思っていたでしょう。師匠には実の息子さんがいらして、襲名の際はお許しをいただきました。
 襲名してみると、やっぱり大きい名前ですから、同じ役するのも玉女のときと玉男では違いますよ。お客さんも「玉男」と思って見てくださっていますし。これからも「師匠はこうやったな」と、いつも師匠を思って、人形を遣っていくと思います。

こころを持った人間が操るからこそ、文楽の人形は恋の喜びと恩を裏切る悲しさの混ざりあった複雑な感情までを、言葉と音楽にのせて表現できる。その繊細な美しさを愛する観客のために、人形遣いは厳しい修行を重ね、人形にこころを宿す技芸を追求し続ける。

こころを持った人間が操るからこそ、文楽の人形は恋の喜びと恩を裏切る悲しさの混ざりあった複雑な感情までを、言葉と音楽にのせて表現できる。その繊細な美しさを愛する観客のために、人形遣いは厳しい修行を重ね、人形にこころを宿す技芸を追求し続ける。

YOSHIDA TAMAO
YOSHIDA TAMAO IN OSAKA&TOKYO PHOTO GALLERY 2
文楽人形遣い 二代目 吉田玉男<「人形の人情」編>を見る
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