
東京の伝統工芸品として親しまれている江戸切子(カットグラス)は
江戸後期から現在までの180年以上におよぶ歴史がある。
しかし、他の日本の伝統工芸に比べると、その歴史はまだ浅い。
また、世界のガラス工芸の中で、江戸切子の認知度はまだまだ低い。
堀口徹氏は、江戸切子の「らしさ」を再考しつつ、
国内外において江戸切子の存在感を高めようとしている。
近年、和を強調したデザインの建築やプロダクトが増加する中、
堀口氏は多様なつくり手とコラボレーションを重ねてきた。
今後は海外に江戸切子そのものをアピールする必要性があると考えている。
江戸切子の表現に決まりはないものの、一般にイメージされる「江戸切子らしさ」というものがあります。企業とのコラボレーションでは、より江戸切子らしい表現が求められているのか、三代秀石らしい表現が求められているのか、目的は何かを意識し、適切なものをチョイスするバランス感に自分らしさがあるのかもしれません。
一方、江戸切子をご存じない外国の方は、イメージを持たずにご覧になって「江戸切子って何? ヨーロッパのカットグラスと何が違うの?」と質問されます。素材や技法に大きな違いはありません。向こうは「ルイ十七世が…」といった歴史を語れますが、自分たちは何が言えるのか。僕が考えているのは、デザインに文様の意味合いをのせ、ストーリーを語ることです。以前、海外で「八角籠目文(はっかくかごめもん)は、幸福を籠むという意味の文様です」といった説明をし、大変喜ばれたことがあります。文様の意味合いをのせていくことは日本の他の工芸でもやっていますが、江戸切子の魅力になりうるのではないかと思います。
2018年、堀口切子は創業十周年を迎えた。
創業時は32歳だった堀口氏は42歳。職人として脂が乗る年代に到達し、
江戸切子職人にとって人生は短いと痛切に感じている。
四十代は、普通は「まだ若い」と言われるかもしれませんが、江戸切子では正確さが求められ、目の老化で技術の維持が難しくなる仕事です。他の工芸分野のように揺らいだものを「枯れ」や「味わい」として評価するデザインを、今後の江戸切子のスタンダードの一つにできないかと考えています。
また、自分たちの仕事では何十年もやって初めて見えるもの、できることがあるかもしれません。何かを「やってみたい」と思って五年で到達できることなら、四十代からでもまだ幾つもできます。けれど、三十年かかることは、今からでは一つしかできません。
三十代までは加工の引き出しをどんどん増やしたくて、増やしてきたつもりですが、これからは引き出しを整理整頓して、僕が今ここにいる意味や、自分が本当にやるべきことを精査することが必要になるでしょう。一回きりの人生ですから、後で「あれをやっておくべきだった」と思うようでは、あまりにもったいない。
堀口切子の工場には、堀口氏を「親方」と呼ぶ二人の弟子がいる。
職人一人が最低一人を育てていけば、江戸切子という分野は確実に残る。
そう考え、入社条件は「将来後継者を育てること」とした。
職人の世界は「教えてくれない」「見て盗む」というイメージがありますが、僕の師匠だった二代目秀石は何でも親切に教えてくれました。僕も教えられることは積極的に弟子に伝えたいと思っています。失敗したときもそのまま見せて、こういう理由で失敗したと解説します。師匠という立場で失敗するのは恥ずかしいけれど、彼らに同じ失敗をしてほしくないから伝えます。
三十代で弟子をとっているので、僕が成長していく過程も、失敗する過程も、年をとって腕が落ちていくのも、そこをいかにキープするかも全部見せて伝えたい。僕が習得したことが100あったとしたら、弟子に100をまるまる伝え、そこに新たなものを積み重ねて、101でも102でもいいから上回っていってほしいです。
江戸切子は日本の工芸では歴史が浅い、新参者です。それをプラスにとらえ、黎明期にいる自分たちが新しいものを加えていく。それが使い手に受け入れられた場合は残り、時代に合わなくなったら省かれるでしょう。そこに、江戸切子の本質があるようにも思います。
日本の生活に華やかな光を添え、
庶民に親しまれてきた江戸切子。
今、そしてこれから、
人々は江戸切子に何を求めるのか。
ときに時代を俯瞰しながら、
堀口徹氏は江戸切子の未来を
切り拓こうとしている。
(了)