
「染織」という言葉には、糸を染め、織ることに関する多様な技術がそこに含まれる。
人類史的には、4000年以上前からエジプトや中国で織物がつくられていた。
日本では弥生時代に始まり、大陸の影響を受けつつ、近世までに多様な技術が発展した。
「紋紗」という織物の人間国宝である土屋順紀氏は、
着物は日本の美を語るに欠かせないものと考え、植物が発する無限の色と
貴族の夏の装束でもあった紋紗の透明感に、自身のこころを表現する。
土屋順紀(つちやよしのり)
染織家。1954年岐阜県関市生まれ。京都インターナショナル芸術専門学校テキスタイル科卒業後、染織家で現在は重要無形文化財「紬織」保持者の志村ふくみ氏に師事。1989年日本伝統工芸展初入選。96年日本伝統工芸展で日本工芸会総裁賞受賞。2006年紋紗の着物「月下渓韻」で文部科学大臣賞。2009年紫綬褒章受章。2010年重要無形文化財「紋紗」保持者に認定。
紋紗の人間国宝に認定される岐阜県在住の染織家・土屋順紀氏は、
植物染めで紬を織る志村ふくみ氏(現在は紬の人間国宝)に憧れ、染織の世界に入った。
それから四十年余の間にさまざまな草花、実、樹皮からの色に出会い、
植物が秘める色の豊富さと、それを見分ける人間の眼の力にいつも驚かされてきた。
色の豊富さを表す言葉に「四十八茶に百鼠」とあるように、鼠色といっても百の色があり、人の眼はそれを判断できます。純粋な鼠色は、薔薇か団栗のグレー。私も薔薇のグレーをずっと使っていますね。薔薇色の人生、じゃなくて灰色というのが面白いでしょ。
植物染料には自分の色を出せるという強みがあります。今、植物染料にはいろんなレシピの本が出ていますけれど、本にあるのは基本的なやり方で、いつ温度を止めるか、どれぐらいの量を入れるなどを判断して決めるのは自分。それが自分の色になります。そうして得た自分の色というのは、他の方と交換して使うことができません。もし使うと、自分の色の中で他人の色は異質なものになるでしょう。
化学染料というのは、自分の頭の中に「こういう色」というものがないと染まらない。それもすごい技術だと思いますけれど、私の師である志村ふくみ先生がおっしゃる通り、植物染料は自然からいただくものですから、イメージと違っても、どうしたっていい色になりますよ。
土屋順紀氏には、もう一人、大きな影響を受けた師が存在する。
「羅」「経錦」という二つの技法で重要無形文化財に認定される北村武質氏である。
タイプの異なる二人の師は、同じひとつのことを土屋氏に語っていた。
紬をされている志村先生の工房では、少しくらい糸が飛んでも気にしませんでした。あるとき、無地の部分にムラができたので一端ほどいて直そうとしていたところに志村先生がいらして、「このままでいいですよ」と言われたことがあります。「自然な紬の糸であれば、きれいに染めたものでも当然ムラもあります。ムラなく織ろうとしても自然に出てきたものなら、それは美しいものです」と教えていただきました。
一方、北村先生の羅は厳格な織りです。北村先生の研修会では、絶対に間違えないよう、きれいに織ろうという一心でした。けれども、一緒に習っていたメンバーが「間違えて糸が飛びました」と言ったときには、意外にも「それは人がやるものだから気にしなくていい。それが一つなら傷だけど、二つ、三つあれば文様になっていきます」とおっしゃいました。
何かの失敗をいい方向に持っていく。志村先生も北村先生もそのことをを同じようにお話しされているんですよね。若い人に伝えたい貴重な言葉だと思っています。
紋紗を手で織るのは非常に時間がかかり、十二時間作業しても二尺程度しかできない。
効率の悪い仕事であるが、手織りの着物は究極の日本美であるとも思っている。
日本の女性の美は、着物に尽くされます。日本の美人画も、人体の美しさではなく着物の美しさを描いたものです。古典芸能も古典文学も着物を着ていた時代のものですから、着物を着ないとわからない部分があるでしょう。
今の日本の着物は99%以上が機械織りです。ムラなく均一に織ることがすべてであったら、機械にまかせたほうがいい。それでは手で織ることに一体どういう意味があるかと問われるなら、気持ちが伝わるということではないかと思います。織り手が大変な時間を使って、神経を使って、心をこめて織っていることを、着る人がわからないはずがないじゃないですか。そして、手で織ったものは世の中に一点しかないということ。機械のように同じものを幾つもつくるなんて、人間にはできません。けれども、たとえば3Dプリンターでつくったものを、手でつくったものと同じように感動できるかどうか。そういう違いは、人間だからこそ理解できるのではないでしょうか。
二人の師が失敗を
活かすことを大切にしたのは、
ときに失敗をすることが
人間として自然であるから。
人工知能の出現により、
世界が人間の意味を問い直す今こそ
手でつくられる着物の美を
知ってほしい、と
土屋順紀氏は願う。
(後編へ続く)