
日本の米を原料とし、「国菌」とも呼ばれる麹菌の働きでつくられる日本酒は、
古代より神々に捧げられ、神と人、人と人を結びつける宴に飲まれてきた。
生産量・国内消費量は低迷を続けるが、日本食の世界的な人気もあって、
輸出は伸び続けている。業界にも変化が生まれ、全国の中小の酒蔵が意欲的に
個性を打ち出し始めた。その変化の源流ともいえる伝説の杜氏、農口尚彦氏は、
現場で若者に酒づくりの技術と精神を伝えながら、さらなる高みを目指す。
農口尚彦(のぐちなおひこ)
1932(昭和7)年石川県珠洲郡内浦町(現能登町)生まれ。実家は農業を営みながら、祖父、父ともに杜氏をつとめた。16歳で酒造りの世界に入り、静岡県、三重県の酒蔵を経て、28歳の若さで石川県の菊姫の杜氏に抜擢。吟醸酒の研究、山廃復活などにより、全国の日本酒に多大な影響を与える。菊姫の定年後、鹿野酒造などで杜氏をつとめ、82歳で引退するも、2017(平成29)年農口尚彦研究所の杜氏に就任。2006(平成18)年厚労省「現代の名工」に選定。2008(平成20)年黄綬褒章を受章。
酒蔵で働く蔵人をまとめ、酒づくりを指揮する人物を「杜氏」と呼ぶ。
農口尚彦氏の生まれた能登では、江戸時代から農閑期の男性が酒蔵で出稼ぎをした。
そのうち杜氏になる人はごく一部だが、農口氏の祖父、父は、二人とも杜氏をつとめた。
親父が家にいるときは、怒られっぱなしですわ。草履の脱ぎ方から何から文句ばっかり。「本当に俺の親なんかな」と思うくらい叱られました。反対に、母親にはすごくかわいがられました。うちは子どもを六人お産で亡くしていて、五歳上の姉と私だけが残りましたから、母親は息子大事大事で、わしは懐に入れられて育ったんです。
中学二年で終戦になって、三年生からは新制中学。全然勉強していませんよ。戦争中は「天皇陛下万歳」とか、そんなことばっかやっていて、戦後は何を教えていいのか先生たちも頭がこんがらがっていましたからね。十六歳から酒の仕事をしたのは、好きで行ったんじゃないんです。親が杜氏をやっていたので、「酒蔵は米があるから、食うに困らない」と出されました。はじめは父とは別の静岡の蔵でした。行ったら、「先輩たちに負けるもんか」と必死ですわ。はじめは雑用係で、杜氏の下着の洗濯から雑用を何でもやりました。親父が厳しかったのは、そういう中でちゃんとできる子に、というつもりだったんでしょう。
日本酒の分類
日本酒は蒸した米に麹を加え、発酵させてつくられる。白いどろどろとした液体を濾したものが「清酒」で、濾過しないものが、いわゆる「どぶろく」である。古くは家庭でどぶろくがつくられていたが、昭和初期より、家庭でのどぶろく製造は禁止されている。
また同時期、政府は税収増を目的に、日本酒を等級制度で管理するようになった。それにより日本酒は特級・一級・二級に分かれ、審査で認められたものだけが特級と一級として販売された。しかし、等級が高いと税も高いため、高品質の酒をあえて審査不要の二級酒として販売する酒造会社が増えた。悪評が高かった等級制度は1992(平成4)年に廃止され、原料や製法が一定の基準を満たすものは「純米酒(米、米麹のみを使用)」「吟醸酒(60%以下に精米し、低温で発酵)」などの特定名称を表示するようになったのである。
東海地方の三つの蔵を経験し、各種の研修会などで知識を深めた農口尚彦氏は、
二十八歳で石川県の菊姫という酒造会社で杜氏に就任する。
菊姫の社長、柳辰雄氏は勉強熱心な新米杜氏に、
「売りにいかなくとも、客が買いに来てくれるような酒をつくってくれ」と依頼。
それに応えるべくつくった「きれいな酒」は、意外にも不評だった。
最初の年、東海で勉強した酒をつくったら「北陸でこんないい酒が」と、菊姫にわしを紹介した税務署の鑑定官が喜んでくれました。しかし、菊姫のお客さんは地元で山仕事する人たちばかりでしたから、「こんな薄いの、物足らん」と言うわけです。それはショックですわ。酒はつくったら売れた時代で、それも全部売れましたけど、薄い薄いとさんざん小言を言われました。それで、分かったんです。自分の思いだけでつくったら、だめ。飲む人に合わせてつくらなきゃならん、ということです。押しつけているんじゃ、だめなんです。
今もお客さんから意見を吸収します。講演に誘っていただいて、酒づくりの話をして実際に飲んでいただくときは、テーブル全部に注いで回ります。注いで、お客さんの目を見るんです。みなさん「美味しい」とおっしゃってくださいますけど、目を見ていると何か不満があるかなと感じることがありますよ。本当にうまいと思っているお客さんは、目がニッコリ笑ってます。
お客さんに喜ばれるように、味の濃い良質な酒をつくろうと、
廃れつつあった「山廃」という技術を学びに京都に通うなど、杜氏をしながら研究に研究を重ねた。
その成果としてこれまでに全国新酒鑑評会では、連続12回を含む通算27回の金賞を受賞しているが、
「賞のために酒をつくるわけではない」と言う。重ねた努力は、飲む人のためだった。
山廃は濃い酒です。けれど、きれい。口に入れたときは濃いなと思うけれど、喉を通ったときにスカッと切れる。だからすぐ飲みたくなる。濃い酒が嫌われるわけではなく、酸とうまみの調和なんです。きれいさを求めても、原料が米である以上、米のうまみがなかったら日本酒じゃないというのが持論です。
全体的に、日本酒の品質は良くなっていると思いますよ。けれど、環境や世の中も変わりました。昔は家に帰ると食事が用意されていて、じっくり座って飲みました。日本酒は腰を落ち着け、好きな料理を食べながら飲むものなんです。それから、汗をかいて働くと日本酒はうまい。でも、今は冷房つきの部屋で働いているでしょ。家に帰ったら、冷蔵庫を開けて缶ビールを飲みたくなるんです。ドライなビールが人気なのと同じで、日本酒もきれいで爽やかなものが求められていると思います。社会や市場の動向にあわせて日本酒も変わっていかないといかんのです。
経済的な成功でも、名誉でもなく、
ただ飲む人の笑顔を目指して
手間を惜しまずに酒づくりに
取り組んできた七十余年。
農口尚彦氏が歩んだ道を、今、
未来を担う若者たちが歩き始めている。
(後編へ続く)