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有田焼創始四百年を迎える、十五代酒井田柿右衛門。伝承という運命を生きる。
有田焼創業四百年を迎える、十五代酒井田柿右衛門。伝承という運命を生きる。
VOL.1 OPENING ISSUE PART1 十五代酒井田柿右衛門「伝承という運命」

日本の磁器発祥の地として名高い佐賀県・有田。
17世紀より日本のこころを磁器という形にして、欧州に輸出してきた有田で、
もっとも成功した窯元のひとつ、酒井田柿右衛門。
初代柿右衛門が創始し、その子孫が大成した華やかな色絵の磁器は、
オランダの東インド会社を介してヨーロッパ各国の宮廷や貴人の邸宅を飾った。
以来、柿右衛門の名は脈々と受け継がれ、2013年、人間国宝だった十四代が世を去ると、
翌年長男の酒井田浩さんが45歳の若さで十五代を襲名。
本名も酒井田柿右衛門に改めた十五代は、2016年、
襲名3年目にして有田焼創業四百年という記念の年を迎える――。

日本の磁器発祥の地として名高い佐賀県・有田。17世紀より日本のこころを磁器という形にして、欧州に輸出してきた有田で、もっとも成功した窯元のひとつ、酒井田柿右衛門。初代柿右衛門が創始し、その子孫が大成した華やかな色絵の磁器は、オランダの東インド会社を介してヨーロッパ各国の宮廷や貴人の邸宅を飾った。以来、柿右衛門の名は脈々と受け継がれ、2013年、人間国宝だった十四代が世を去ると、翌年長男の酒井田浩さんが45歳の若さで十五代を襲名。本名も酒井田柿右衛門に改めた十五代は、2016年、襲名3年目にして有田焼創業四百年という記念の年を迎える――。

十五代酒井田柿右衛門

1968年佐賀県有田町に生まれる。父はのちに人間国宝となる十四代。高校時代は陸上競技に熱中し、国体にも出場。家業を継ぐため、多摩美術大学絵画学科で日本画を学ぶ。26歳で帰郷し、父に師事。2013年日本工芸会正会員。2014年、十五代を襲名。以来、展覧会で先代と異なる個性を放つ一方、柿右衛門ブランドの継承と発展に取り組む。

「家」を継ぐ。それは血脈をつなぐことにとどまらず、先祖代々、親が子に託してきた何かを受け取ることでもある。
佐賀・有田の酒井田家においては、「柿右衛門」の名と色絵磁器がそれにあたる。
十五代目となる現在の酒井田柿右衛門氏は、世界に知られた窯元を継ぐという運命を、当たり前のこととして育ったという。

「家」を継ぐ。それは血脈をつなぐことにとどまらず、先祖代々、親が子に託してきた何かを受け取ることでもある。佐賀・有田の酒井田家においては、「柿右衛門」の名と色絵磁器がそれにあたる。十五代目となる現在の酒井田柿右衛門氏は、世界に知られた窯元を継ぐという運命を、当たり前のこととして育ったという。

 生まれた日にはもう職人たちから「十五代」と呼ばれていたらしいので、一種の刷り込みですよ。両親からは家を継げとも何も言われません。そもそも父の十四代と顔を合わせることが、ほとんどないんですよ。家族が全員揃って食事をするのは、正月くらい。ふだんの父は、好きなときにパッと家に戻ってきて食事をすると、ふっとどこかに行ってしまう。物心つく前からそうなので、それが普通だと思っていました。
 子ども時代に絵や作陶について教えられたこともありません。放課後は、山で椎の実を拾ったり、川で魚を捕ったり、自由気ままに過ごしていました。中学、高校では陸上ばかりで、本格的な絵の勉強は高校を卒業してからです。高校2年の進路相談で、父に「多摩美術大学で日本画を学んだことが仕事に役に立ったから、お前もどうだ?」とすすめられ、上京することにしましたが、父とちゃんとした会話をするのはそれが初めてでした。

  • 柿右衛門様式は、「濁手(にごしで)」と呼ばれる温かみのある白い地肌、繊細で華やかな色絵、余白を十分に生かした左右非対称の構図に特徴がある。江戸時代中期に廃れたが、十二代・十三代が復活させ、1971年柿右衛門製陶技術保存会による「濁手」の技法が国の重要無形文化財に。写真は「色絵 松竹梅鳥文 輪花皿」(17世紀)
    柿右衛門様式は、「濁手(にごしで)」と呼ばれる温かみのある白い地肌、繊細で華やかな色絵、余白を十分に生かした左右非対称の構図に特徴がある。江戸時代中期に廃れたが、十二代・十三代が復活させ、1971年柿右衛門製陶技術保存会による「濁手」の技法が国の重要無形文化財に。写真は「色絵 松竹梅鳥文 輪花皿」(17世紀)

国体に出場するほどの陸上少年が、一転、東京の画学生に。
予備校を経て美術大学に進学し、絵を描くことがどんどん好きになっていく。
しかし、仲間たちのように画家を目指す気持ちにはならない。
都会での刺激的な日々はいつか終わり、故郷で修業を始める日が来るとわかっていた。

国体に出場するほどの陸上少年が、一転、東京の画学生に。予備校を経て美術大学に進学し、絵を描くことがどんどん好きになっていく。しかし、仲間たちのように画家を目指す気持ちにはならない。都会での刺激的な日々はいつか終わり、故郷で修業を始める日が来るとわかっていた。

 大学を中退し、東京で遊んでいた時期もありますが、25歳を過ぎると周囲も自分も「そろそろ」という空気になり、有田に戻りました。それからは職人の仕事の修業です。
 ご存知のようにうちは分業制で、当主がデザインし、そのデザインに従って、ろくろの職人がろくろを回し、絵付の職人が色を塗り、と専門の職人がそれぞれの仕事をして、当主のデザインをやきものにします。最初は、「ろくろは若いうちに体で覚えろ」と言われ、ベテランの職人の下で約4年間ろくろを回しました。次に絵付を1年やり、同時にスケッチの練習を始めています。窯の仕事も、本焼きを行うときに手伝いをさせてもらうなどして覚えていきました。
 職人仕事をひと通り経験した30歳頃、いよいよデザインの勉強を始めます。父に描いたデザインを見せると、「絵が小さい」「情けない」と文句ばかり。それでも親子喧嘩はしませんでした。父の名前で世の中に出ていくやきもののデザインですから、父の希望に沿うものでなければならない。そう思っていましたね。そこは自己表現を志して画家や陶芸作家になる人とは違うでしょう。彼らは「つくるのが好き」「人に見せたい」という気持ちから始まっていますが、私は家の仕事を継ぐために始めたのですから。

  • 文様の線描きや色を塗る作業を行う「絵書座(えかきざ)」。一瞬の筆の乱れでそれまでの工程が台無しになってしまうため、職人たちは緊張の表情で筆を動かす。室内の張り詰めた空気が息苦しいほどだ。
    文様の線描きや色を塗る作業を行う「絵書座(えかきざ)」。
    一瞬の筆の乱れでそれまでの工程が台無しになってしまうため、
    職人たちは緊張の表情で筆を動かす。
    室内の張り詰めた空気が息苦しいほどだ。
  • 有田焼では、土を器の形に成形してから900℃で素焼きし、そこに下絵を描いた段階で釉薬をかけて高温で本焼きをする。その上から赤、黄、緑などの色をつけ、800℃の低めの温度で焼き付ける。
    有田焼では、土を器の形に成形してから900℃で素焼きし、
    そこに下絵を描いた段階で釉薬をかけて高温で本焼きをする。
    その上から赤、黄、緑などの色をつけ、
    800℃の低めの温度で焼き付ける。
  • 有田では窯元ごとに仕事のやり方が異なるので、ひとつの窯元で長く働く職人が多い。代々同じ窯元の職人をしている家も珍しくない。
    有田では窯元ごとに仕事のやり方が異なるので、
    ひとつの窯元で長く働く職人が多い。
    代々同じ窯元の職人をしている家も珍しくない。
  • 職人たちは当主のデザインを形にする、当主の分身のような存在だ。当主はその人の個性をよく見極め、適材適所で仕事を任せる。色を塗る「濃(だみ)」の仕事を担当するのは昔から女性の職人が多い。
    職人たちは当主のデザインを形にする、当主の分身のような存在だ。
    当主はその人の個性をよく見極め、適材適所で仕事を任せる。
    色を塗る「濃(だみ)」の仕事を担当するのは昔から女性の職人が多い。
職人の技術力と時代への対応力が四百年の歴史をつないだ。
十五代酒井田柿右衛門「濁手 萱草文 花器」

柿右衛門窯はじめ多くの窯元が集まる有田は、今年創業四百年を迎える。
数多くのやきもの産地がある中で、有田がトップブランドであり続けている理由は、
職人の高い技術力にあると、現在は窯を率いる立場にある十五代酒井田柿右衛門氏は断言する。

柿右衛門窯はじめ多くの窯元が集まる有田は、今年創業四百年を迎える。数多くのやきもの産地がある中で、有田がトップブランドであり続けている理由は、職人の高い技術力にあると、現在は窯を率いる立場にある十五代酒井田柿右衛門氏は断言する。

 有田は分業制が特徴で、各工程にすぐれた技術を持った職人が揃っています。そのため時代時代の新しい要求にも対応することができました。職人が創意工夫をこらした仕事の積み重ねが有田の歴史となっています。
 職人の技術を、時代を超えて受け継ぐことは、本当に難しい。代々続く技術でも、200年前にもそうだったか、本当のところはわかりません。今に受け継がれている技術は、時代を受け入れて変わり続けた結果かもしれないのです。でも、私たちは前の世代から受け取っているものを次の世代につなげることしかできません。さらに、自分たちも時代の変化に対応していかなければ、時代遅れになり、次の世代でその技術がまったく使われなくなるおそれもあります。
 受け継いだ技術は、時代の変化に合わせて次につなぐ。それでいいのではないかと思います。

晩秋の朝、柿右衛門窯から煙が立ち上る。このあたりは有田の中でもことに自然が豊か。少年時代の山や川での遊びにより、柿右衛門様式の主要モチーフである植物や小鳥に五感で親しんだ。

晩秋の朝、柿右衛門窯から煙が立ち上る。このあたりは有田の中でもことに自然が豊か。
少年時代の山や川での遊びにより、柿右衛門様式の主要モチーフである植物や小鳥に五感で親しんだ。

変えてはいけないもの。
失われないように、変えるべきもの。
時世の勢いに流され、判断を間違わないよう、
十五代酒井田柿右衛門氏は有田から日本と世界を見つめている。

(PART2 「大樹の一枝」編へつづく)

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