迸る自然のエネルギーは、人の手に美を創らせる。
迸る自然のエネルギーは、人の手に美を創らせる。
陶芸作家 伊勢﨑淳「自然との合作」

日本でもっとも古いやきもの産地の一つに数えられる備前。
時代の需要に合わせ、つくるものは変化したが、昔から現在まで一貫して、
釉薬をかけずに焼く「焼き締め」である。シンプルでありながら、
地元の個性の強い土は、炎と薪によってさまざまな表情を見せ、その世界は奥深い。
備前焼の人間国宝の一人、伊勢﨑淳氏は、室町時代からの技術に創意工夫を加え、
新しい備前焼の開拓者として、今も未知の可能性に挑む。

  • 神々の器 2016年 展覧会「The 備前」(東京国立近代美術館工芸館)より。

    神々の器 2016年
    展覧会「The 備前」(東京国立近代美術館工芸館)より。

  • 人体から発想したオブジェが転じて花器になった「角花生」。焼成の際、陶板を使ってハート模様を描き、陶板と素地の間に入る炎でグラデーションをつける。

    人体から発想したオブジェが転じて花器になった「角花生」。
    焼成の際、陶板を使ってハート模様を描き、
    陶板と素地の間に入る炎でグラデーションをつける。

  • 自宅の応接室は洋室だが、造作の棚の天板を床の間のようにしつらえ、自作をゆったりと飾っている。

    自宅の応接室は洋室だが、造作の棚の天板を床の間のようにしつらえ、
    自作をゆったりと飾っている。

  • 六角茶盌 2016年 鉄分が多く黒い色の土と、鉄分が少なく白い色の土を両方使っている。上から見ると口は六角形である。

    六角茶盌 2016年
    鉄分が多く黒い色の土と、鉄分が少なく白い色の土を両方使っている。
    上から見ると口は六角形である。

  • 応接の一角に並ぶ、さまざまな湯呑や酒器。掘削地の違う土を長年に渡って集め、意図や用途で使い分けている。

    応接の一角に並ぶ、さまざまな湯呑や酒器。
    掘削地の違う土を長年に渡って集め、意図や用途で使い分けている。

備前焼は日本では家庭にもある親しみ深いやきものだが、
世界的には釉薬をかけない「焼き締め」の陶器は大変珍しく、
そのシンプルな美しさに関心を持つ外国人も増えている。

 備前焼に限らず、日本の伝統工芸というものは、つねに素材は自然のものを使っています。それを人間が手を加えて形にする。だから作品の中には日本の自然もあるし、風土もあるし、つくり手の感性や美意識も入っている。そこには人間と自然の共存の精神みたいなものがつねに流れているような気がします。備前焼はとくに土地の自然のものだけを使い、他のやり方を真似しないで、ものを生みだしてきました。そういうところが日本の伝統工芸、あるいは備前焼のいいところだと思いますね。
 私の作品も、植物や動物、大地など、自然界から発想してつくっています。たとえば「神々の器」の中心の丸い部分は、水を意識しました。ここだけ白いのは、丸い陶板を置いて炎が直接当たらないようにしているから。その中に浮かぶ赤い線は、藁の成分が変化したものです。炎のエネルギーは、破壊のエネルギーにもなるけれど、創造のエネルギーでもある。先人はそこをよく理解して、備前焼の技法をつくり上げていったんです。

  • 伊勢﨑淳氏の土置き場。陶芸家は業者が田などで掘削した土を購入し、数年間はそのまま寝かせておく。

    伊勢﨑淳氏の土置き場。
    陶芸家は業者が田などで掘削した土を購入し、数年間はそのまま寝かせておく。

  • 取り出した土を細かく砕き、石などを取り除く。土づくりの撮影には、長男の伊勢﨑晃一朗氏に協力していただいた。

    取り出した土を細かく砕き、石などを取り除く。
    土づくりの撮影には、長男の伊勢﨑晃一朗氏に協力していただいた。

  • 砕いた土を水槽に入れ、粒子が底に落ちるスピードの違いを利用し、不純物や小石を除く。一晩~一週後、水槽から取り出す。

    砕いた土を水槽に入れ、粒子が底に落ちるスピードの違いを利用し、
    不純物や小石を除く。一晩~一週後、水槽から取り出す。

  • 素焼きの鉢で乾燥させる。底に土が張り付かないよう、鉢の底に布を敷く。

    素焼きの鉢で乾燥させる。
    底に土が張り付かないよう、鉢の底に布を敷く。

  • 伊勢﨑淳氏は複数の土を土練機を使って練り合わせることが多い。その後さらに一週間ほど寝かせる。

    伊勢﨑淳氏は複数の土を土練機を使って練り合わせることが多い。
    その後さらに一週間ほど寝かせる。

  • いよいよ成形する前に、土の中の空気を抜くために、手で回転させながら寝る。菊の花のようになるので「菊練り」という。

    いよいよ成形する前に、土の中の空気を抜くために、手で回転させながら寝る。
    菊の花のようになるので「菊練り」という。

備前の土

 備前焼に使われる伊部周辺の粘土は、有機成分や鉄分が多く含まれ、密度が高い。その分、収縮率も高く、焼成後は元の80%程度の大きさになってしまう。また、耐火度が低く、急な温度変化に弱い。同じ焼き締めでも信楽や伊賀よりも焼成に時間を必要とする。しかし、焼き上がると耐久性にすぐれ、古くは擂り鉢の市場は備前が独占していた。また、釉薬をかけずに焼くことから器が呼吸し、備前の壺は水が腐りにくく、花器は植物が長持ちするという。
  掘削地で多少性質が異なり、一般に田んぼの土(田土)はきめ細かく、山林の土(山土)は粗い。作者が意図に合った土を選び、準備することが、非常に重要である。

四十代から目と心臓の病気を繰り返し、入院した回数を数えるのに両手では足りない。
しかし、創作意欲というエネルギーが身体を司っているかのように、
八十歳を過ぎてなお東奔西走しながら精力的に活動を続けている。

 病気をしているときも、次にやることをいろいろ考えて、退院すると「やってやるぞ」と。マイナスをプラスに転じるような意識を持っていたというか、楽観的なんですよ。失敗しても、悩んだりしませんね。へこたれていたら前には行けないから。とにかく行け、進め、ですよ。
 ここ十年ぐらい「引出黒(ひきだしぐろ)」という技法をやっています。引出黒というのは、高温で焼いているところを窯から出して、急冷させることによって独特の色合いを生みだすものです。瀬戸から始まった技法で、瀬戸のは「瀬戸黒」ともいいます。釉薬をかけて登り窯で焼く瀬戸と違い、耐火度の弱い備前の土に釉薬もかけず、11日かけてゆっくりと1200℃まで上げていくと、急冷したときに割れやすい。割れないようにするのに苦労しました。
 なぜまた新しいことをやっているかというと、まだ見たことがない自分の世界を見てみたいということでしょうか。備前焼にはまだ可能性があると思うんです。それを、やってみたい。やりかたを人に聞かれたら全部オープンにしています。隠したって、どうせすぐバレますよ。それをもとに次の技法を生みだしてもらった方がいいね。

  • 引出黒茶盌 2018年 釉薬をかけないかわり、素地の上に鉄分の多い土をかけ、備前らしい引出黒とする。展覧会「工芸・Kôgeiの創造-人間国宝展-」(和光ホール)より
    引出黒茶盌 2018年 
    釉薬をかけないかわり、素地の上に鉄分の多い土をかけ、備前らしい引出黒とする。展覧会「工芸・Kôgeiの創造-人間国宝展-」(和光ホール)より
  • 焼成中の穴窯は、熱の気流により独特のゴーッという音を発生する。作家はその音から窯の中の状態を想像する。

    焼成中の穴窯は、熱の気流により独特のゴーッという音を発生する。
    作家はその音から窯の中の状態を想像する。

  • 備前の穴窯はゆっくりと日数をかけて温度を上げるため、昔から「備前の窯は殿さまに焼かせろ」と言われる。弟子もベテランほどゆったりと薪をくべる。

    備前の穴窯はゆっくりと日数をかけて温度を上げるため、
    昔から「備前の窯は殿さまに焼かせろ」と言われる。
    弟子もベテランほどゆったりと薪をくべる。

  • 焼成八日目の窯。温度はまだ800℃前後。十一日目1200℃になっったところで薪の追加を止め、その一週間後、熱の冷めた窯から作品を取り出す。

    焼成八日目の窯。温度はまだ800℃前後。
    十一日目1200℃になっったところで薪の追加を止め、
    その一週間後、熱の冷めた窯から作品を取り出す。

弟子のほか、陶芸を学ぶ大学生、若手作家などと接する機会は多い。
戦後の厳しい環境で頑張ってきた自分に比べ、彼らがどうだ、こうだとは言わない。
彼らの感覚を尊重し、新しい創造が生まれることを期待する。

  • 魑魅魍魎 2012-2013年 東日本大震災の衝撃から、人知を超えた自然の力をイメージしてつくった。発表すると「かわいい」と愛されたのは、作者の予想外だった。
    魑魅魍魎 2012-2013年
    東日本大震災の衝撃から、人知を超えた自然の力をイメージしてつくった。発表すると「かわいい」と愛されたのは、作者の予想外だった。
  • 吉備讃歌 2006年 w5000 d400 ㎝ 山陽新聞社本社入口を飾る陶壁。金属も使い、古くは鉄を産出し、日本刀を名物とする備前らしさと瀬戸内海を表現した。
    吉備讃歌 2006年 w5000 d400 ㎝
    山陽新聞社本社入口を飾る陶壁。金属も使い、古くは鉄を産出し、日本刀を名物とする備前らしさと瀬戸内海を表現した。

 つくり手はみんな自分が作品をつくったように思っているけれども、社会がそのつくり手の手を通じてつくらせている要素が非常に大きい。長いスパンで見ると、絶対社会がつくらせています。
 この前も岡山大学の学生と話していたら、「床の間というのは何ですか」と言うわけです。和室のない家に生まれ育って、床の間を見たことがないらしい。日本の社会がそれだけ変化しているんです。その人は、床の間のない世界で生まれた感覚から、陶芸をつくっていくようになる。洋間に置くか、棚に置くかするものをつくるでしょうね。これも社会の現実だから良い悪いではない。同様に、過去の歴史も、社会がつくらせていた部分が非常に大きいと思います。
 作品の評価も、歴史がするものです。歴史の中で、残るかどうか。自分の作品も本当の評価は五十年、六十年経ってみないとわからないでしょう。でも、つくる本人はそこまで生きていられません。そのとき感じたことから、つくりたいものをつくるよりほかないです。

宮城能鳳

地球のエネルギーを取り出したような
伊勢﨑淳氏の作品には、
薪になる赤松を育てる水や空気、
太陽の力も入っている。
どの国の人もその力を
感じることができるのは、
人間が地球の生き物に過ぎない
一つの証といえるだろう。
(了)

窯柱 2016年
備前市立備前焼ミュージアムの前に立つモニュメント。
かつての大窯の天井を支えた柱をモチーフに、若手作家8人との協働で制作した。
PLATINUM SALON MOVIE VOL.20 ISEZAKI JUN
PLATINUM SALON ISEZAKI JUN PHOTO GALLERY 2
陶芸作家 伊勢﨑淳<「幻の釜」編>