
南北に長い島国である日本は、四季の山海の幸と農耕の収穫物を活かし、
大陸からの発酵技術なども取り入れながら食文化を育んできた。
新鮮な魚を生食する刺身や寿司をはじめとする日本独特の食のスタイルは
二十世紀末には世界に受け入れられ、日本は美食の国と称される。
しかし、伝統的な季節感にあふれた食文化は日本の生活に失われつつある。
東京の小さな名店「かんだ」の神田裕行氏は、来店した人々を喜ばせることに加え、
日本料理を未来の日本に伝えることを自らに課す。
神田裕行(かんだひろゆき)
1963年徳島生まれ。大阪での日本料理修行を経て、1986年渡仏。パリの日本料理店で料理長をつとめる。1991年帰国し、徳島の名店「青柳」に勤務。同店の東京進出に貢献するとともに、国内外で日本料理の講師として活躍。2004年オーナーシェフとして「かんだ」をオープン。2007年『ミシュランガイド東京』発刊と同時に三ツ星を獲得し、以後継続。2010年シェフ仲間とともに安全な食と環境への貢献を目指すNPO法人FUUDOを設立、代表に就任。農林水産省料理マスターズ第9回(平成30年度)シルバー賞。2021年後進の手本となるシェフに与えられる、ミシュラン「メンターシェフアワード」世界3人目の受賞者に。著書に『日本料理の贅沢』(講談社)、『神田裕行のおそうざい十二ヶ月』(暮らしの手帖社)。2022年「かんだ」を元麻布から虎ノ門へ移転。
2013年「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたが、
「和食」の意味する食とは何か、その定義は日本でも曖昧だ。
神田裕行氏は「和食」は今も家庭にあり、「日本料理」はそうではないと語る。
和食の「和」は「和える」という意味で使ったりもしますが、この字は日本の人の特性もよく表していると思います。「わ」は、もとは「魏志倭人伝」の「倭」だったといい、隷属するという意味があるそうです。でも、日本は中国とは別の独自の文化をつくっていく過程で、「和」を使うようになりました。これは「和食」にも通じることだと思います。
日本の人は外のものを取り入れて自分たちのものにアレンジするのがすごく上手ですよね。料理にしても、カレーライス、餃子、ラーメン、明太子スパゲティと、いろんな国の料理を取り入れてきました。こういった日本風にアレンジして、日本の家庭で食べているものも「和食」に含まれると思います。家庭でこんなに外国の料理を取り入れているのは日本だけ。他の国では、中国なら中華料理、フランスならフランス料理をつくっています。
カレーも麻婆豆腐もパスタもつくる日本の家庭で、ほとんどつくられないものがあります。それは日本料理です。お刺身も、たいがいはお刺身になった状態で買いますよね。お椀なんて、まずつくらないでしょう。日本料理は外で食べるものとなっているんですよ。
フランスで日本料理店の店長をつとめた経験をふまえ
神田氏は日本料理とは「日本でしかつくられないもの」
かつ「日本の人にしかつくれないもの」であると考える。
「テクニックだけでなく、日本の感性が必要だから」というのが、その理由だ。
日本には、ドナウのような大きく深い河よりも小川に興趣を感じ、花束よりも一輪の花を面白がるような感性があります。いわゆる引き算の美学です。建築家ミース・ファン・デル・ローエが「Less Is More」を提唱するずっと前から、日本にはシンプルに本質を突き詰めた姿を美しいと感じる感性がありました。
日本料理も引き算で、いい素材に少しだけ手を加え、本質を引き出そうとします。日本のお客さんは、そこに感動するんです。「こんなにシンプルなのに、こんなにおいしいのか」と。高級ないろんな素材が溶け込んだソースでは、おいしいと思っても、あまり印象に残らない。それよりも完璧な焼き茄子に驚き、感動するのが日本のお客さんです。
一方、足し算の発想でリッチネスを求めるフランス料理の感覚では、日本料理の繊細な味は弱い。ウィークです。以前、フランス料理のアラン・デュカスが僕の店に遊びに来てくれたとき、お吸い物について「なぜこんなに薄いのか」と聞かれました。ほのかに香るのがいいか、豊かに香るのがいいか、そこは根源的な感性の違いだと思います。
神田氏は重層的なフランス料理をオーケストラに、そのシェフを指揮者にたとえる。
対して、「シンプルな日本料理は独演、僕はソリスト」であるという。
鮨がわかりやすい。鮨の店では大将が握って、客に出します。他のスタッフは、そのアシスタント的な存在です。日本料理も同じで、最終仕上げは料理長本人がやることに意義がある。僕はそう思います。「かんだ」に来た人は、神田の味を楽しみに来てくださるわけですから。
これから日本料理を目指す若者は、英語は最低限できたほうがいいと思います。日本料理は観光資源であり、世界から日本料理を食べに来る人たちに、日本の文化を担っているという意識で、日本料理を語ることができるようになってほしいですね。そのためには器に関することをはじめ、料理にまつわるいろんなことを勉強する必要があります。お茶やお花のことも理解しないと、料理人として上にいけない。本物の日本料理はそういうものです。
そして目の前のお客さんにベストを尽くすためには、自分の体力もスタッフとの人間関係もベストの状態にしておく必要があります。僕は足腰が衰えないように、時間があれば泳いだり走ったりしています。アスリートみたいな気持ちですね。
グローバリズムにより文化全体が
平準化しつつある今、
日本料理を守ることは
日本文化を守ることに等しい。
世界のシェフとの交流で
彼我の違いを肌で感じ取りながら、
神田氏はその違いにこそ
日本料理という秀峰を極める道を見る。
(後編へ続く)