
素材や季節感など、日本の食文化の特徴をよくあらわす和菓子。
しかし、日本の生活から季節の行事が失われていくと同時に
多様な洋菓子が普及し、和菓子の存在感が薄らぎつつある。
和菓子職人、水上力氏は日本文化が育てた菓子の魅力を信じ、
伝統を未来につなげるための挑戦を続ける。
水上力氏のもとには全国各地の和菓子店の跡継ぎなどが修業に来る。
修業期限は4年とされ、4年過ぎたら「卒業」とされる。
これまでに約50人を受け入れ、卒業できたのは10人ほどに過ぎない。
4年でモノにならなかったら10年やってもモノにならない。それくらい意識を持って、ちゃんとやってもらわなきゃ。 2本の腕で飯の食える職人を育てるんだから。時間は、うちは5時9時です。9時5時ではありません。朝はいつも同じで、終わりはその日にやるべきことが終わるまで。 だから4年で仕事を覚えられます。旦那がやることを目で見て、体で覚える。それが職人の修業です。
仕事じゃなくて、つくり方を覚えるなら製菓学校でいい。うちは入ってきたばかりの子には1年間店で販売をやらせるけれど、 「お菓子をつくらせてもらえないの?」と思う子は辞めていい。売るっていうことは、この仕事の基本の基本です。
修業中に言われたことの意味が分からなくてもいい。でも、自分で消化しようとすることは大事。5年後か、10年後か、 一つでも分かったときには「やっとここまで来たのか」と気づきます。私だって、旦那に言われたことはいまだにわからないことだらけ。 全部消化するのは死ぬまでかかります。でも、それも楽しみです。お菓子が好きで入ってくれば、こんなに面白い仕事はないと思います。
和菓子の餡
和菓子を象徴する餡の源流は、中国の餅や点心などの詰め物である。中国では小豆の餡は唐代に始まり、小豆の赤い色が厄除けになると、慶事の餅や団子などに用いられた。
日本では、鎌倉~南北朝時代に中国から来日した僧が小豆で餡をつくるようになったとされる。当時は甘葛(あまずら)という植物から獲れる貴重な甘味料で甘さをつけるか、
塩味だったと考えられている。現在のような甘い餡が完成したのは、江戸時代、国内で製糖が始まったおかげである。日本では中国のようにナッツや油脂を混ぜず、
小豆のほか白隠元や白小豆(白餡)、青えんどう(うぐいす餡)、薩摩芋(芋餡)など、素材の色と風味を楽しむ。
餡を専門につくる業者もあるが、餡にこそ職人の個性が出るともいわれ、人によって製法も異なる。水上力氏は丹念にあくを取ることによって、藤色の優美な漉し餡に仕上げる。
和菓子職人を目指す若者のほか、国内外のパティシェやショコラティエも
新しい風味のヒントを求めて水上力氏の工房を訪れる。
言葉は通じなくても、職人の手を持つ同士は気持ちが通じ合う。
和菓子には農耕稲作文化、洋菓子には狩猟採集民族から生まれた文化の違いがあるわけです。洋菓子はそれぞれが主張する中で調和をとる。和菓子はお茶を殺さないように一歩下がる。 そういう違いはあるけれど、職人としての共通点はいっぱいあります。パリの三ツ星レストランの若いフランス人の子がうちに1週間いたことがあるけれど、 職人としての基本的な動作とか考え方がしっかり備わっているから、4日で餡を包めるようになりました。
洋菓子はトップ・パティシエでもみんな必死です。後ろから若い人がどんどん追いかけてくる。つねに新しい空気が入っています。和菓子にはそれがない。 戦後には甘ければ売れた時代がありました。甘くないお菓子が好まれるようになったら、今までの配合から砂糖だけ減らしてみた。そんないろんな経験が沈殿し、 ヘドロ化しています。だから自分はそこからはちょっと距離をおいて、自分の納得するお菓子をつくる。それに共鳴してくれた若い子には指導もする。本当は若い子たちがどんどんかき回してくれたらいいと思っています。
「私が残したいのは、お菓子の伝統。伝統がないのは背骨がないのと一緒」
そう語る水上氏だが、「伝統だけでは飯は食えない」とも語る。
伝統を残すためには、新しい挑戦が不可欠なのだ。
昔の日本は外国から入ってきた新しいものを自分たちに合わせて変えてきました。それはお菓子に限らない。でも今は流通も情報も早い時代です。 「パリと同じものが日本で食べられる」と言って喜ぶ時代に、日本で喜ばれるように変えることはどうなのか。洋菓子でも和菓子でもどういう風に消化して、 新たなものをつくり出せるかということを本気で考えていかなくてはいけません。表面的にやっても、一時的なもので終わってしまいます。
だから私はショコラティエとお菓子をつくるにしても、妥協しません。俺はチョコレートに妥協しない。向こうは餡子に妥協しない。ぶつかりあいの喧嘩をしてみます。それで1+1が2になるのか、 マイナスになるのか100になるのか、始めないことには分からない。
それを次の世代の子たちがどういう風に消化していくのか。そこは次の世代に任せます。「ゆく川の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず」と『方丈記』にあるけれど、職人は川面に浮かぶうたかたです。ひとりの職人の存在意義は、次の世代に伝わってはじめて分かるものでしょう。
和菓子は日本の生活に残るのか、
一部の人だけが好む嗜好品になるのか。
和菓子職人として
分岐点にいることを意識しつつ、
挑戦を楽しんでいる水上力氏。
それに刺激され 、新たな挑戦が
生まれるという連鎖が起これば
未来の和菓子は
こころを和ませる菓子として
世界中で愛されているかもしれない
(了)