
現在、日本は世界のウイスキー五大産地の一つに数えられ、
国際的に「ジャパニーズウイスキー」はジャンルとして確立されている。
ジャパニーズウイスキーを楽しむことを目的に来日する外国人も増え、
肥土伊知郎氏が手がける「イチローズモルト」への関心から秩父を訪れる人も。
ウイスキーの風味をつくり出す風土と年月の味わい方を知る彼らは、
日本、そして秩父という風土に生きるつくり手たちの物語も楽しんでいる。
日本では、スコットランドを手本にウイスキー製造が始まった歴史を背景に、
「スコッチが本物」という意識が根強かった。しかし二十一世紀においては
日本でスコッチそのもののウイスキーをつくっても意味がない。
ジャパニーズウイスキーが持つ、他の産地にない魅力が評価される時代なのだ。
日本はものづくりにすごいこだわりを持ちますよね。いいものをつくるために妥協しないとか。それがジャパニーズウイスキーの味に反映しているのかなと思います。
私は「秩父らしいウイスキーをつくろう」とよく言うんですけれど、最近は妥協しないものづくりをしてさえいれば、「らしさ」は後からついてくるんだと思うようになりました。 人間ひとりひとりも個性的な存在ですけれど、こういう風になろうと目指したわけではない。ありのままに、良い人間になろうと、何か正しいことをやろうと生きていたら、 それぞれの人が個性的な人間になっていった。それとすごく似ています。いいものをつくろうと妥協しないでつくっていると、それぞれの蒸留所の個性というのが生まれてくるんじゃないか。 そして、ジャパニーズウイスキーという括りになったときに、それぞれの蒸留所に個性はあるけれど、共通点もある。それが、ものづくりに対する真摯さ、だろうと思います。
ウイスキーの樽
ウイスキーの製造過程では、蒸留した後に木製の樽による熟成を欠かすことができない。樽の成分によって無色の液体が琥珀色になり、香りや味わいも豊かさを増すのである。
樽に用いられる材はオーク(ナラ)で、北米のホワイトオーク、フランスのフレンチオークなどが多い。日本では北海道のミズナラも用いられる。
バーボンウイスキーの場合、表面をバーナーで焼いた新しい樽を使うことが現地の法律で定められているが、それ以外では古樽を使用することも一般的だ。ワイン、シェリー、
バーボンなど、前に入っていた酒もウイスキーの風味に影響する。
熟成期間中には蒸散によりスコットランドでは年間で2~4%程度の量が減る。これを、ウイスキーづくりを手伝う天使が飲んでいる、という意味で「天使の分け前」と呼ぶ。
ジャパニーズウイスキーの人気の上昇の裏で、その定義を問う声も高まっている。
日本では海外の原酒をブレンドしても「国産」として販売できるが
肥土伊知郎氏は外国産の原酒をブレンドした商品を、
「ワールドブレンデッド」として販売し、業界に一石を投じている。
ある意味シングルモルトのウイスキーは風土のお酒。蒸留所でつくられたお酒だけをブレンドしていて、蒸留所ごとの個性が際立ちます。それに対してブレンデッドウイスキーは個性の組み合わせを楽しむお酒です。 自社以外のお酒をブレンドすることによって、新しい風味をつくります。両方ともいい原酒がなければできないですけれど、両方とも面白いと思います。先輩ブレンダーが言っていた話ですけれど、 「ソロの楽器もすばらしい、オーケストラもすばらしい」。要はそういうことなんだろうと思います。
ただ、海外の原酒を日本でブレンドした場合にジャパニーズウイスキーと名乗っていいのかな、とは思いますね。かといって海外の原酒を使ってはいけないとは全然思っていなくて、 中身について消費者が理解したうえでの選択で、海外の原酒をブレンドしたものもいい、ジャパニーズウイスキーならこちら、と選択肢を明確に与えてあげるのがものづくりには重要じゃないではないでしょうか。
肥土伊知郎氏は時代の先を読んで行動する人と評されるが、
ウイスキーのつくり手としては当然のことかもしれない。
熟成後の味を想像し、その未来に向けて今を調整するのが彼の仕事なのだ。
ブレンダーの仕事は一見目の前にある原酒をブレンドするだけに見えますが、5年先にどういうお酒をつくるために今どういう原酒を樽に保管しておこう、と先を見越した仕事もやっています。 外国のいろいろな原酒をここで樽に詰め替え、経年変化を知ることによって、さらに先の計画を立てられるようになるんです。
今はあまりにも供給量が少なすぎて、まさに幻というようなウイスキーになってしまっていますが、やはり少しでも多くの方に飲んでいただけるように仕込みを増やしていきたいと思っています。 とはいえ熟成に年数がかかり、急に増産ができないのがウイスキーなので、ゆっくり時間をかけながらですね。また、ウイスキーはやはり楽しい飲み物ですから、味のバリエーションをつくりこんで、 みなさんに楽しんでいただけるようにしていきたいと思っています。自分としては、秩父で30年熟成したシングルモルトを飲むのが夢ですね。それができたら最高の人生だったと思えるんじゃないでしょうか。
秩父で三十年熟成された
ウイスキーを口にするとき、
肥土伊知郎氏は七十代。
起業を助け、ウイスキーづくりを
導いた人々の多くは
すでに世を去っているだろう。
しかしそのウイスキーには
彼らの人生が溶け込み、忘れがたい、
深い味わいとなっているはずだ。
(了)