
十四世紀前半、室町時代の観阿弥・世阿弥父子に大成された能は、
戦国の世に武将たちに愛され、徳川幕府のもと、
武家の儀式に用いられる芸能、式楽となった。
観世銕之丞家は、江戸中期、観世家の断絶を防ぐために立てられた分家。
宗家とともに、江戸~東京で観世流の能を伝え、第二次大戦後は、
銕仙会という団体を設立し、能の革新と復権に積極的に挑んだ。
その熱気を目の当たりにして育った九世観世銕之丞氏は、
新旧の世代をつなぎ、能を未来に伝える役割を自らに課す。
十四世紀前半、室町時代の観阿弥・世阿弥父子に大成された能は、戦国の世に武将たちに愛され、徳川幕府のもと、武家の儀式に用いられる芸能、式楽となった。観世銕之丞家は、江戸中期、観世家の断絶を防ぐために立てられた分家。宗家とともに、江戸~東京で観世流の能を伝え、第二次大戦後は、銕仙会という団体を設立し、能の革新と復権に積極的に挑んだ。
その熱気を目の当たりにして育った九世観世銕之丞氏は、
新旧の世代をつなぎ、能を未来に伝える役割を自らに課す。
観世銕之丞(かんぜてつのじょう)
1956年東京都生まれ。本名は暁夫。父は八世観世銕之丞。三歳より伯父観世寿夫と父に師事。1960年仕舞『老松』で初舞台。1964年『岩船』で初めてシテを演じ、十代より若手能楽師として活動。1982年の世阿弥座欧州公演より海外公演を重ね、また、新作能や異分野との交流により能楽の可能性を探求する。2002年九世銕之丞を襲名。2008年日本芸術院賞、2011年紫綬褒章を受ける。重要無形文化財総合指定保持者。公益社団法人銕仙会理事長。京都造形芸術大学評議員、都立国際高校非常勤講師。
能はユネスコの世界文化遺産にも登録された日本の無形文化財でありながら、
生で見たことがある人は少ない。観世銕之丞氏は、先入観を持たず、
「ライヴ・パフォーマンスの一つとして見ていただきたい」と語る。
能はユネスコの世界文化遺産にも登録された日本の無形文化財でありながら、生で見たことがある人は少ない。観世銕之丞氏は、先入観を持たず、「ライヴ・パフォーマンスの一つとして見ていただきたい」と語る。
新聞の見出しなどで「能は幽玄」と決め付けたような書かれ方をするのは、気持ちの良いものではありません。そういう場合の「幽玄」には、「つかみどころがなくて、よくわからない」という意味がこめられているようです。関係者の間では、舞台の感想で「幽玄」という言葉はまず使いません。能の世界でいう「幽玄」は、日常的な言葉でうまく説明できない、レベルの高い概念です。僕も何十年と舞台をつとめて、「こういうものが幽玄だろうか」と、おぼろげながら見えてきたかな、と思うほどのものです。
能で用いられる昔の言葉は、たしかに現代人にはわかりにくい。けれども、能の演目には、源平合戦を題材にしたもの、妖怪退治の物語、夫婦や親子の絆を描くものなど、かなり幅があります。実際にご覧になれば、「静かなものかと思ったら、意外と激しかった」「能面が美しかった」と、人それぞれに違ったことをお感じになるはずです。また、能は音楽劇として耳で伝承されていくうちに、説明的で余計な言葉が削ぎ落とされています。たとえば、「この涙はこういう気持ちがこめられています。」と説明しないで、「この涙。」で切ってしまうのです。そのため文字になったものを読むより、歌うのを聞いたほうが感情に入り込んできます。
能は日本のオペラ
能はもともと「猿楽」という芸能の音楽劇部門であった。オペラのように、役者が演じながら歌うのが特徴だ。また、役者のほかに、笛・小鼓・大鼓・太鼓からなる囃子方(はやしかた)という楽団、地謡方(じうたいかた)と呼ばれる合唱団が舞台上に並ぶ。山場を迎えると、主人公(シテ)は湧き上がる感情を舞で表現する。
やはり猿楽から出発した「狂言」とあわせて「能楽」と呼ばれ、一般的な公演では狂言と能はセットで上演されるのが慣わしとなっている。
無表情であることを「能面のよう」などというが、実際の能舞台での能面は
さまざまな表情を見せる。観世銕之丞氏をはじめ、主人公を演じる役者は
その人物になりきるために、自らの肉体と能面を一つにしているという。
無表情であることを「能面のよう」などというが、実際の能舞台での能面はさまざまな表情を見せる。観世銕之丞氏をはじめ、主人公を演じる役者はその人物になりきるために、自らの肉体と能面を一つにしているという。
能面をつけると、顔の前にもう一つ顔が突き出たようになります。それを自然に見せるため、面をつけたときは首の位置をぐっと引きます。そうすると面の表情が体の中におさまります。そうやって人がつけることよって、面そのものの表情以上のものが出てきます。同じ面でも使う人が違うと、違う表情になるのです。
目の穴は小さく、その人に合わせてつくられているものではありませんから、自分の目の位置と合わなくて当たり前。視界はすごく狭くなり、周囲はほとんど見えません、舞っているときは、わずかに見える柱などを目安にしています。舞台から落ちないように必死ですが、いろいろ考えながら舞っているものです。
銕仙会の能面は、先祖代々が肌につけたものですから、能面をつけて舞うときは、亡くなった親父や祖父、先祖と語り合っているような感じがします。頭の中で親父や祖父の舞をイメージし、今の自分はどうなのか、問いかけながら舞っているんですよ。
能楽師にとっては、舞台の上に微動だにせず座っているのも演技。
そうした能独特の演技は、大道具が何もない舞台に、見る者の想像力で
虚構の世界をつくりあげるための仕掛けであると観世銕之丞氏は考える。
能楽師にとっては、舞台の上に微動だにせず座っているのも演技。そうした能独特の演技は、大道具が何もない舞台に、見る者の想像力で虚構の世界をつくりあげるための仕掛けであると観世銕之丞氏は考える。
能の舞台では動かないところが一つの主張になっています。動かないことで、見る人は小さな変化にも目が行きます。かすかに息をひそめていることで、雄弁にものを語る表現です。
能の主人公のシテはたいていが死者ですが、物語の出来事と見ている人の経験に重なるところがあると、だんだん主人公と接近し、虚構の世界に入りこむことができます。そのとき、見ている人の心の中では、蛇口のようなものが開かれます。その蛇口は、ふだんは精神の安定のために閉じている、禁断の蛇口かもしれません。それを能という虚構の世界で開くことによって、見ている人の何かが癒されたり、解放されたりするのです。