
日本の着物産地を代表する京都で、伝統的な手描き友禅の染匠として
昭和から現在まで第一線で活躍していている田畑喜八氏。
着物の利用者の減少に悩む業界関係者には着物の可能性を説き、
後進には田畑家の技術や知識を惜しみなく伝える姿勢は
着る人の喜びを願う心に貫かれている。
「この仕事は死ぬまで勉強」と口癖のように言い、顧客の気持ちを知るために
つねにさりげなく女性たちを観察している。とくに色の観察は細かい。
着物の色ひとつとっても結髪、その人の好み、持ち物、食べ物、生活習慣とか、何でも関係があります。時代でも違う。昔の日本の女性は赤でも黄味がかった朱が似合ったんです。 それが今は青味のある赤が好まれるようになってきました。どういうわけか緑系統は人気がなくなり、うちでも緑の地色は出なくなってきています。
女性の流行が一番わかりやすいのは化粧品売り場。百貨店に行ったら私は必ず化粧品売り場に行きます。今は昔と違って口紅の色もたくさんあります。青味の赤、黄味の赤をそれぞれ濃淡変えて3色、 全部で6色持ってはったらどんな服装にも似合います。今はみなさんマスクをされてますけど、コーディネートを最後に決めるのは口紅の色ですわ。
化粧品を見るのもひとつの勉強。うちは家訓で「消費者の半歩先を行く勉強せい」と言います。半歩いうのがなかなか難しい。1歩進んだら誰もついて来へん。遅れたら、えらいこっちゃ。でも、 流行を追うということでもありません。うちは格調と品格のある色。そういう上品な色を大事にしています。
京友禅の分業制
手描き染の友禅染の着物が完成するまでにはおよそ20以上の工程がある。友禅の産地でも加賀や東京ではすべての工程を手がける工房も少なくないが、京都では分業制で、
各工程を専門の職人が担当する。分業制は、すべての工程を高い技術で進めるためのシステムであり、また職人が集まって住む京都の町のあり方とも関係している。
分業制の友禅の制作において、田畑家のように染匠と呼ばれる仕事は、発注者が希望する着物のデザインするデザイナーであるだけでなく、
完成までの全工程をディレクションする役目を担う。
つまり、商品企画、生産工程統括、製造元請を行うのである。また、各工程の職人にはその工程に関する判断が委ねられていて、それぞれが熟練の技を発揮する。
友禅染では、染料を定着させるために蒸気を当てたり、水で生地を洗って糊を落とすなどの工程で、大量の水を使用する。京都は水が豊富であることと、水のやわらかさが発色を良くするともいわれる。
八十歳を過ぎても矍鑠として現役を続ける田畑喜八氏。
「『もう八十五』ではなく『まだ八十五』と思っています」と語り、
業界の人たちにも「死ぬまで勉強」を呼びかける。
伝統工芸の世界には、これでいいっていうものがないねん。だから、つねに勉強せないかん。しかし、今の若い男性はなんか弱いわ。聞いていると歯がゆい。 この業界では後継者育成とかの場をつくって指導やっているけど、そういうところに集まるのはほとんど女性。男性は来てもなかなか長続きしない。この仕事は根気がいるわけですよ。細かい仕事をこつこつと。 我々の時代はクーラーもヒーターもなく忍耐とか根性でやってきたけれど。この前の会では、中国の女性と台湾の女性がしっかりやっとったなあ。彼女たちは留学生みたいです。 これからはそういう女性が日本の伝統工芸の担い手になる可能性もあります。
伝統工芸も流通にしろ、これからの時代を考えてやっていかないと。問屋さんとか小売り屋さんとかも全部考え直さないといかんでしょう。今は小売りの人たちの勉強が足らない。 一生懸命やってはるところもありますけど、お金儲けばっか考えているところも多いです。せめて色を説明するときには和名を使ってほしい。ピンクやのうて乙女色というだけでも違うでしょう。 もっと勉強してお客さんをより美しく、より豊かにしてやろうという気持ちでやれば、伝統工芸の仕事は楽しくなるのと違うかなあ。
勉強熱心な田畑喜八氏にとって一番難しいのは女性の心理だという。
女性の美しくなりたいという気持ちの強さ、複雑さは、田畑家代々の研究対象である。
ほとんどの女性は美しくなりたい、人に見せたいという気持ちがあるみたいですなあ。父から聞いた話やけど、祖父の三代喜八がある知り合いのおばあさんと火鉢を囲んでいるときに 「女の人というのは一体いくつまでそういう気持ちがあるのやろう」と聞いたらしい。そうしたらおばあさんは、だまーって火鉢で灰を掻き回していたんやて。じいさんはそれを見て、 「わかった、灰になるまでや」と気づいたそうです。
なかなか私らにはそういう女性の心理というのはわからないですけど、喜びというのはプラス思考だから、健康にもいいことやと思います。なんぼお金があっても健康がなかったらだめですよ。 そやから着た人がうれしくなって、見た人にほめてもらえるもんをつくらなきゃあかんわけや。
うちは正倉院をやったり、古典的なもの、現代的なもの、いろいろとやっていますけれど、最近の作品はコロナで大変な世の中の状態を受けて、明るさが外に広がっていくような作品がけっこうありますなあ。 気持ちが内向きになっているときも、着物で明るくなっていただきたいですね。
着物の将来を憂う人々
「着物はなくならない」と
言い続けている田畑喜八氏。
日本の人々、とくに女性をもっとも
美しく見せる衣服は着物であり、
美しくある喜びをこれからも
人は心の糧として求めるはずだと
思うからだ。