
日本のガラス工芸は陶芸や漆芸に比べて歴史が浅いことから、伝統ある産地は少ない。
国指定の伝統工芸品236品目(2021年1月時点)にガラス関係は江戸切子と江戸硝子のみ。
しかし。近年は日本各地でガラス工芸の歴史が新たに生まれ始めている。
その先駆け的な存在が、ガラス工芸家、黒木国昭氏が拠点を置く宮崎県綾町である。
町の照葉樹林を題材とする作品は、自然の大切さを世界に訴える役割を担っている。
四十歳を迎えるにあたりガラス工芸家として独立した黒木国昭氏は、
薩摩切子の復元事業への参画を経て、出身地の隣町である宮崎県綾町に工房を開く。
バブル期の東京一極集中に反旗を翻すかのようなUターンだった。
綾町にお酒のテーマパークをつくるにあたり、文化的な要素もほしい、ということで声をかけていただきました。他からも要請があった中で綾町を選んだのは故郷に恩返しがしたかったことと、自然保護に取り組む町の姿勢に対する共感からでした。綾町には日本一の照葉樹林が残されています。これは大変すばらしいことだと思います。高度経済成長時代、よその町はいかに木を切ってお金をつくるかと考えていたときに、いかに森を守り残すかということに大きなエネルギーを使ってきたのです。
私も照葉樹林のシンポジウムなどに参加して、照葉樹林の木の文化はぜひ守らなければいけないと思い、照葉樹林とガラスの融合を新しいテーマとしました。その前に薩摩切子の復元事業に参画していたものですから、「綾町で薩摩切子を」という声もいただいていましたが、綾町でつくるのは薩摩切子ではなく、照葉樹林の大切さを世界に訴えるような作品であるべきだと考えたのです。そこから生まれた「綾切子」の緑は照葉樹の葉や新芽を、琥珀色は年輪を表現しています。それまでの常識では切子は透明なガラスの外側に色を被せたものでしたので、二色の切子は私が初めてです。「綾切子」で商標も取り、他ではつくれない切子となりました。
COLUMN
綾の照葉樹林
照葉樹林とは、日本の西南地方から台湾、中国の雲南省、ヒマラヤ南斜面に分布する常緑広葉樹の森林である。世界的に見て照葉樹林の地域は狭く、その中では大豆の発酵食品、漆器、絹糸など、共通する文化が受け継がれている。これらは照葉樹林の恵みに由来することから、照葉樹林文化とも呼ばれる。
日本の文化形成の基底でもあった照葉樹林だが、伐採や植林などにより現在では日本にまとまった照葉樹林はほとんど残されていない。しかし宮崎県綾町は高度経済成長期に町として森林伐採に反対し、照葉樹林を守り続ける道を選んだ。さらに有機農業を広げるなど、自然環境の保護に町と市民が一体となって取り組んできたことが評価され、2012年綾町を中心とした1.4haの地域が「ユネスコエコパーク」に認定される。現在はその周辺地域で人の手が入った森を照葉樹林に復元する努力が進められている。
国の「現代の名工」に認定された卓越した技能者であると同時に経営者でもあるため、
黒木国昭氏の中では制作、販売、展覧会企画はシームレスにつながっている。
展覧会の運営も人任せにせず、会場にはほぼ必ず足を運ぶ。
どの国にもその国の文化があります。そこに日本の作品を持っていき、「どうだ!」とぶつけるのではなく、調和を提案するのが私のやり方です。たとえばアメリカで展覧会をやるならアメリカの人の伝統文化や生活意識を知り、そこに融合させていく。それにはまず文化の違いをキャッチすることが大事でしょう。また、作品を見る前に日本の歴史や装飾性について理解してもらえば、作品の理解度も深まります。そのために展覧会のオープニングでお茶を振る舞うイベントを行うなどもしてきました。知らない世界への入り口には、何らかの切り口が必要だろうと思います。
お客さんとの距離を近づけることが大切なのは日本の展覧会も同じですから、私は個展の会場には時間の許す限り足を運んでいます。直接作品の説明を聞いていただくことによってお客さんの作品への理解が深まり、つながりが生まれます。人と人がつながる媒介として作品があるようにも思います。中でも宮崎の百貨店での個展は1977年から毎年続けていて、これには相当なエネルギーと努力が必要でしたが、継続によって得られたものは年々大きくなっています。
黒木国昭氏がガラスの仕事を始めて半世紀以上が過ぎた。
琳派から始めた日本美術とガラスの融合は、北斎、広重と続いている。
長きにわたる活動と発展を支えているのは「分析とリサーチ」という哲学だ。
分析とリサーチとは、たとえばこういうことです。私は七十六歳で、今の年齢で何をつくるべきか、ということを考えています。それを決めるには、今まで何をつくってきたのか、まだできていないことは何なのか、将来完成させるべき作品はどのようなものか、先輩から引き継いできてやり残したものは何なのか。こういったことを全部検討し、自分が今どのような地点にいるのか、立ち位置を見定めるのです。
昭和、平成、令和と美を求めて時間を費やしてきましたが、工芸にこれで終わりということはありません。まだやりたいことはありますが、人生の時間は限られています。やり残したことは次の世代にやってもらうしかないでしょう。
幸いここにはガラスの好きな若い人たちが集まってきています。暑さというハンデがある厳しい世界で働いてくれている彼らには感謝しかありません。私の技術とともに「分析とリサーチ」の哲学も受け継いでもらいたいと思います。
花器 金・プラチナ象嵌「光琳」
時間が経っても変色せず、
永遠の美しさを保つガラス。
黒木国昭氏の東洋と西洋が
融合した作品
もしも未来に日本が滅んだとしても
日本の美を語り継いでくれるだろう。