技術の高さは目標ではなく、こころに技術がついてくる。
  • 技術の高さは目標ではなく、こころに技術がついてくる。
    山下義人「蒟醤丸箱 炎」2013年 個人蔵
    色漆と金粉を塗り、研ぎ出すことを繰り返し、中心の炎の輪郭を黒漆で描くなど、細やかな技を駆使し炎の揺らめきを表現した。
    漆芸家 山下義人「未完成の完成」

    英語でJapanといえば日本を意味するが、小文字で始まるjapanは漆を意味する。
    それは磁器がchinaであるように、日本の漆器が欧州で珍重されたことに由来する。
    日本に数ある漆器の産地の中でも、香川は芸術的な装飾技術を受け継ぐことが特徴的だ。
    重要無形文化財保持者(人間国宝)認定された香川の漆芸家は六人におよぶ。
    その一人である山下義人氏は、効率重視の風潮に流されて漆芸が絶えることのないよう、
    作品の発表とともに異分野との協働や後進の指導にも力を注いでいる。

    • 山下 義人(やました よしと)

    山下 義人(やました よしと)

    1951年香川県生まれ。香川県立高松工芸高等学校漆芸科卒業後、のちに重要無形文化財「蒟醤( きんま ) 」保持者となる磯井正美に師事。1976年からのちに重要無形文化財「蒔絵」保持者となる田口善国に師事。1989年・1994年日本伝統工芸展朝日新聞社賞、2005年・2011年日本伝統工芸展日本工芸会保持者賞を受賞。身近な自然をモチーフにした、新鮮な意匠と濃密な構成が高く評価される。蒟醤と蒔絵を併用した作品も多い。1999年より金刀比羅宮の木地蒔絵の復元制作事業に携わる。1995年四国新聞文化賞を受賞。2007年紫綬褒章、2021年旭日小褒章を受章。2013年重要無形文化財「蒟醤」保持者(人間国宝)認定。

    農家に生まれた山下義人氏が漆芸に出会ったのは、地元の香川県立工芸高校。
    漆の表現力に魅了され、高校卒業後はのちに蒟醤の人間国宝に認定される磯井正美氏に師事。
    さらに、憧れの作家で、同じく人間国宝となる田口善国氏に師事すべく、二十五歳で上京した。

    私の今があるのは二人の師匠のおかげ。何も知らない若い人に影響をおよぼすのは師匠です。最初に教わった磯井正美先生は、一風変わった方でしたね。長髪でマントを着て闊歩する姿が実に颯爽とした、おしゃれな人です。座右の銘は「非真面目」。真面目でも不真面目でもないのが難しい。

    その次に師事した田口善国先生はさらに変わっていて、動物なり植物なりを神様のような視点で見ることができる方でした。それらが何を言いたいのかキャッチできる。普通なら眉つばですが、田口先生には本当にそういう能力があったと思います。

    田口先生は東京藝大で教えていらしたから、ご自宅に伺うのは土日のどちらか。平日はアパートで作品をつくり、週末に見ていただいてお話を聞く。美学や人間としての生きざまといったことをいろいろ語られ、お話が終わるとお酒になります。ところが一年半ぐらいしたら、「これ以上いると私の影響を受けるから、あとは自分でやりなさい」とおっしゃった。ものをつくる人間にとって師匠に似過ぎるのは大敵です。最初は誰でも真似から入っていきますが、ある程度できるようになったら独自の世界をつくっていかなきゃいけない。そのとき「もう高松に帰りなさい」と言われたのも、先生のインスピレ―ションだったと思います。

    • 高松市郊外にある工房兼自宅。工房の名称は、二人の師の名前から一文字ずつとって「美国工房」とした。
      高松市郊外にある工房兼自宅。工房の名称は、
      二人の師の名前から一文字ずつとって「美国工房」とした。
    • 自筆の書で、二人の師から一文字ずつもらった「美国工房」を額に仕立て、工房入り口に飾っている。
      自筆の書で、二人の師から一文字ずつもらった「美国工房」を額に仕立て、工房入り口に飾っている。
    • 磯井正美 「蒟醤 むらさき 箱」1990年 高松市美術館蔵
              大正期に讃岐漆芸を再興した磯井如真を父とする磯井正美は、蒟醤の技法では従来欠点とされた色の変化を意識的に活かすなど、自由な発想で蒟醤に新風を吹き込んだ。
      磯井正美 「蒟醤 むらさき 箱」1990年 高松市美術館蔵
      大正期に讃岐漆芸を再興した磯井如真を父とする磯井正美は、蒟醤の技法では従来欠点とされた色の変化を意識的に活かすなど、自由な発想で蒟醤に新風を吹き込んだ。
    • 田口善国 「秋野蒔絵八角飾箱」1990年 石川県輪島漆芸美術館蔵
                幼少期から尾形光琳に憧れ、「漆聖」と呼ばれる松田権六に師事した田口善国は、伝統的な技法をもとに現代的な意匠で自然界を表現。本作品では秋草と秋虫の交感を描く。
      田口善国 「秋野( あきの ) 蒔絵( まきえ ) 八角( はっかく ) 飾箱( かざりばこ ) 」1990年 石川県輪島漆芸美術館蔵
      幼少期から尾形光琳に憧れ、「漆聖」と呼ばれる松田権六に師事した田口善国は、伝統的な技法をもとに現代的な意匠で自然界を表現。本作品では秋草と秋虫の交感を描く。
    • 香川の工芸(漆芸・金工)をコレクションしている高松市美術館。
              讃岐漆芸の名品を積極的に紹介している。

      香川の工芸(漆芸・金工)をコレクションしている高松市美術館。
      讃岐漆芸の名品を積極的に紹介している。

    • 玉楮象谷「存清 蓮文盆」高松市美術館蔵
              存清は、漆を塗った地に色漆で文様を描き、色漆が乾いた後に輪郭などを線彫りする技法。線を彫った後に金箔や金粉を埋め込むと「沈金」という技法に。

      玉楮象谷「存清 蓮文盆」高松市美術館蔵
      存清は、漆を塗った地に色漆で文様を描き、色漆が乾いた後に輪郭などを線彫りする技法。
      線を彫った後に金箔や金粉を埋め込むと「沈金」という技法に。

    • 音丸耕堂「彫漆八仙花 香合」1950年頃 高松市美術館蔵
            音丸耕堂は昭和初期に開発されたレーキ顔料を取り入れ、多彩な色彩表現を可能とした。
            本作では紫、藍、白、朱、黄色の色漆を重ね、4弁のアジサイを彫りこんだ。

      音丸耕堂「彫漆八仙花 香合」1950年頃 高松市美術館蔵
      音丸耕堂は昭和初期に開発されたレーキ顔料を取り入れ、多彩な色彩表現を可能とした。
      本作では紫、藍、白、朱、黄色の色漆を重ね、4弁のアジサイを彫りこんだ。

    • 太田儔「籃胎蒟醤箱 赤い貝殻」2002年 高松市美術館蔵
            玉楮象谷は東南アジアの漆器を手本に讃岐でも籃胎をつくったが、明治末頃に技術が断絶。
            それを惜しんで太田儔は高度経済成長期に十年以上の研究を重ね、籃胎を復活させた。

      太田儔「籃胎蒟醤箱 赤い貝殻」2002年 高松市美術館蔵
      玉楮象谷は東南アジアの漆器を手本に讃岐でも籃胎をつくったが、明治末頃に技術が断絶。
      それを惜しんで太田儔は高度経済成長期に十年以上の研究を重ね、籃胎を復活させた。

    COLUMN

    香川県と漆芸

    香川県の漆芸は、江戸時代後期の玉楮( たまかじ ) 象谷( ぞうこく ) に始まる。刀の鞘塗師の家に生まれた象谷は、父から受け継いだ篆刻の技術に加え、京の寺院に伝来していた中国の漆器や、茶人が珍重する東南アジアの漆器を研究した。当時は日本の蒔絵や螺鈿の技術が爛熟していた時期であり、象谷の着眼点は大変ユニークだったといえる。

    大陸の作品に学んだ象谷は、色漆を塗り重ねて文様を彫る「彫漆( ちょうしつ ) 」、文様を彫ったところに色漆を埋めて研ぎ出す「蒟醤」、色漆で文様を描く「存清( ぞんせい ) 」の三技法を得意とした。また、竹を編んで素地とする「籃胎( らんたい ) 」も手掛けている。高松藩主松平家はこれらを讃岐の名産品とすべく奨励した。

    明治に入ると香川県では茶人や文化人向けの漆器づくりがさかんになり、大いに隆盛を極めた。大正時代には磯井如真( じょしん ) が独自の研究により芸術性を高めた。その後、音丸( おとまる ) 耕堂( こうどう ) 明石( あかし ) 朴景( ぼっけい ) らが続き、戦後も芸術的な美の伝統が受け継がれた。

    高松に戻った当時、何をつくるべきかわからないまま手を動かしていたという山下義人氏。
    若手作家として公募展などでの他人からの評価がとても気になった時代、
    かつて師から聞いた言葉と妻の存在が、妥協のない創作を続ける支えになった。

    たいていの人は作家に作品を見せられたら「いいじゃないですか」となります。でも昔から言うじゃないですか、「芸術家殺すのに刃物はいらない。ほめ言葉で十分」って。あれは本当。その点、女房は辛口です。夫の私が言うのもなんですが、美的センスもなかなかいい。やっぱり夫に良いものをつくってもらいたいからでしょうね、辛口の本音を言ってくれます。これは大変助かりました。

    こういう仕事で自分の世界をつくるには、時間がかかります。私も十年、二十年くらいかかって、おぼろげながらに自分だけの世界を見つけたんじゃないかな。ただ真面目にやっただけでは見つけられない。それこそ「非真面目」がいいんです。

    たとえば大勢で東に向かって歩いていると、非真面目な人はときどき列からそれ、また戻ってくる。真面目な人は横道にそれることなく歩いていくけれど、非真面目はよそを見ているからさまざまなものを見て聴いて、人とは違うことを考えつくことができます。不真面目な人は戻らない。そもそも不真面目な人は東に向かっていないかもしれない。東というのは、人として目指すべきものの比喩ですね。非真面目は独自の視点でいろいろなものを見たり考えたりしながら、目指すべきものを目指します。

    COLUMN 蒟醤の制作工程

    山下義人氏が重要無形文化財保持者として認定されている「蒟醤」は、讃岐漆芸の代表的な技法のひとつ。中国南方やタイ、ミャンマーに起源があり、室町時代に中国から日本に蒟醬技法でつくられた漆器が伝わった。厚く漆を塗り重ねた面に文様を「剣」と呼ばれる彫刻刀で彫り込み、そこに色漆を埋め込んだ表面を、炭で平らに研ぎ出す。それにより色漆の線が美しく表現される。

    近代に磯井如真が点を彫って漆を入れることを繰り返す「点彫り蒟醤」の技法を開発し、点の大小や粗密によって奥行や立体感を出せるようになった。

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    写真は山下義人氏が香川県漆芸研究所のために制作した工程のサンプルである。①黒漆で上塗りを施し、②美濃紙に描いた輪郭を転写、③線彫りをする(蒟醤彫り1回目)。④そこに黄色の色漆を埋め込み(色埋め)、⑤乾いたらアブラギリの木炭で研ぎ、文様以外の部分の黄色の漆を取り除く(研ぎ出し)。⑥そこに点彫りを施し(蒟醤彫り2回目)、⑦赤い色漆を塗り(色埋め2回目)、⑧また炭で研ぐ。⑨器全体をエゴノキの木炭で研いで平らにしたのち(呂色研ぎ)、⑩生漆を摺り込み乾かした後、砥の粉を油で練ったものを綿につけて磨き、傷を細かくする(摺漆・砥の粉胴擦り)。⑪摺漆を塗った後、磨いて完成である。乾かしては塗りを繰り返すため、最初のサンプルから最後のサンプルまでの工程で2か月程度かかる。

    • 山下義人「蒟醤箱 青藍」2021年 石川県輪島漆芸美術館蔵
            直線的なシンプルな意匠によって、夏の夜空を走る雷を鮮やかに表現。

      山下義人「蒟醤箱 青藍」2021年 石川県輪島漆芸美術館蔵
      直線的なシンプルな意匠によって、夏の夜空を走る雷を鮮やかに表現。

    • 山下義人「蒟醤色紙箱 ささゆり」2003年 個人蔵
            香川と徳島の境界に連なる讃岐山脈で出会った笹百合がモチーフ。点彫り蒟醤で百合のシルエットを浮かび上らせる。

      山下義人「蒟醤色紙箱 ささゆり」2003年 個人蔵
      香川と徳島の境界に連なる讃岐山脈で出会った笹百合がモチーフ。点彫り蒟醤で百合のシルエットを浮かび上らせる。

    弟子を持つ立場になってからは、人を育てることの難しさをつくづくと感じている、
    自分の考えを押し付ければ、自分のコピーをつくるだけになってしまう。
    また、技術の飲みこみのよい弟子が、すぐれた作家になるとは限らない。

    若い頃、田口先生に「人間形成が一番ですよ」とよく言われました。その頃はフンフンと聞いていただけですが、だんだんと年がいって意味がわかってくるようになりました。人間形成が進むと、より高いものを考えつく。考えついたら形にしようとする。その考えがつくところが一番大事ですね。

    技術はこころにあるものを具体化させるための方法です。本人の次元が高くなれば高くなるほど、高い技術が必要になってきます。必要になったら訓練するしかない。つまり、技術はつねに後です。技術が先になると、嫌らしい作品になってしまいます。

    若いときは技術を見せようとする気持ちが強いものです。「どうだ!」とね。それが年齢がいくと、こころを見せようという気持ちになる。そのために余計なことは排し、言いたいことだけに絞ってしまいます。

    最近の私がよく言うのは、あえて完成させないこと。「未完成の完成」を目指す。そのために、完成させて引き算をする。するとそこに未完成の美が生まれます。完成された美しさは、完成しているから見る人や使う人との間に壁ができる。未完成にはそれがない。だから身近に感じられる。でも、それは若いときには怖くてできない。私も七十歳を過ぎたから、こういうことが言えるようになりました。

    • 蒟醤では「蒟醤剣」という彫刻刀を自由自在に使いこなせることが重要である。
      蒟醤では「蒟醤( きんま ) ( けん ) 」という彫刻刀を自由自在に使いこなせることが重要である。
    • 山下氏愛用の彫刻刀の数々。使う技法、描きたい線によって彫刻刀を使い分ける。
      山下氏愛用の彫刻刀の数々。使う技法、描きたい線によって彫刻刀を使い分ける。
    • 細かい仕事なので一日中彫り続けても数cmしか進まないことも。愛犬と遊ぶことが気分転換に。
      細かい仕事なので一日中彫り続けても数cmしか進まないことも。愛犬と遊ぶことが気分転換に。
    無形文化財は歴史上または芸術的に価値の高い「わざ」と定義される。しかし、山下義人氏を指導した二人の人間国宝が弟子に語ったことはわざよりも、むしろ人としてのあり方であった。その意味を深く理解できるようになった今、師と同じように、わざを伝える責任を負って人について語っている。(後編へ続く)
    無形文化財は歴史上または芸術的に価値の高い「わざ」と定義される。しかし、山下義人氏を指導した二人の人間国宝が弟子に語ったことはわざよりも、むしろ人としてのあり方であった。その意味を深く理解できるようになった今、師と同じように、わざを伝える責任を負って人について語っている。(後編へ続く)

    無形文化財は歴史上または
    芸術的に価値の高い「わざ」と定義される。
    しかし、山下義人氏を指導した
    二人の人間国宝が弟子に語ったことは
    わざよりも、むしろ人としてのあり方であった。
    その意味を深く理解できるようになった今、
    師と同じように、わざを伝える責任を負って
    人について語っている。
    (後編へ続く)