
江戸時代後期から独特の漆芸を育んできた香川県だが、
香川の人々ですら地元の漆芸のことをよく知らないというのが現在の状況である。
香川県に伝わる蒟醤の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)認定された山下義人氏は、
海外の人々が japanとも呼ぶ漆器の魅力を日本の人々が再認識し、
漆芸の持続可能性を高めることを呼びかけている。
漆芸は日本の工芸の中でも制作にとくに長い時間がかかる。
山下義人氏が重要無形文化財保持者に認定された蒟醤の場合、
生涯で制作できる作品数は、展覧会に出品するレベルではわずか150点から200点程度という。
たとえば陶芸なんかは早いですよね。あれはあれで大変な面があると思いますが、早く形になるのは正直うらやましい。私なんか一週間やっても形にならないですよ。
そもそも私らの仕事は奈良時代と変わらない。奈良の正倉院にある漆器と、私が作ったものと何が違うかと言えば、表面のデザインが違うだけ。やっていることは基本的には変わらない。本当に日本に古くからある仕事ですよ。
僕の場合、この仕事をやっていて一番楽しいのは次の作品のアイディアを考えているとき。「こういう表現をしたいな」と思えたときが一番うれしい。ああしよう、こうしようと考えるときは、わくわくしています。
前につくったものと同じようなものは、あえてつくらない。僕の座右の名は、「自分の真似をしない」。公募展で審査する鑑査は、誰がどの作品をつくったか当ててみるとだいたいわかるものですが、僕の作品はわかりにくいですよ。「わからないから山下さんでしょ?」と言われます。
COLUMN
金刀比羅宮の桜樹木地蒔絵
「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮は、香川県琴平町の琴平山に鎮座する。伝説では琴平山が瀬戸内海の島であった時代に、大物主(大国主)が行宮を置いたのが起源といい、朝廷、武家、庶民にも広く崇敬されてきた。
現在ある本宮は明治11(1878)年に改築されたもので、拝殿、幣殿、神殿で構成される。その天井と壁には江戸の蒔絵師・山形屋治郎兵衛らによる桜樹木地蒔絵が施されていたが、傷みが進んだことから平成11(1999)年より復元プロジェクトが始まった。
もともと桜の花には銀の薄板が貼られていたが、銀は表面が硫化すると黒くなり、年月によって剥離しやすい。そこで監修の山下義人氏らは、今回の復元では金箔とプラチナ箔を3枚重ね、桜の色を表現した。木地となる檜材は、直径1m余りの大木から製材されて10年以上経つ良材が木曽で見つかり、平成16(2004)年の「平成の大遷座祭」では新しくなった138枚の天井画が参拝者を迎えた。
山下義人氏の地元、香川県は瀬戸内海と山地に挟まれ、面積は日本一小さいが、
身近にある山や海は、氏の作品づくりに欠かせないアイディアの源泉でもある。
香川県は風土がとても良いと思いますよ。里山があって、それからすぐ海があるというような、独特の地形も美しい。山も形がいい。平野部にポツンとある。自分が育った環境だからというのもあるけれど、ほっと安心して暮らしていける、いいところです。
世界全体から見たら、日本そのものにそういう感じがあるかもしれない。地震は多いけれど、海に囲まれて国境もないし、気候も春夏秋冬が規則的にめぐってくる。そういう風土があって、自然と共に生きるという独特の文化がつくられてきたのでしょう。日本画や工芸でシンメトリーを嫌がるのも、自然の中にはシンメトリーがないからですよ。あえて中心をずらすというのも同じ。この国にいると人種とか関係なく、みんな日本的になるのかもしれないと、ふと思ったことがありました。
でも、日本に生まれても、自然を見てきれいだと感じる人と感じない人がいます。美しいと感じる人のほうがトクだと思いますね。身の回りには美しいものがいっぱいあるのに、何も感じないのはもったいない。
瀬戸内国際芸術祭をはじめ、アートを目当てに香川を訪れる人は近年増えているが、
香川で漆がさかんなことはあまり知られておらず、他県でも漆業界は衰えている。
漆芸に目を向けてもらうには何をすべきなのか、山下義人氏は長く考え続けている。
私のようにものづくりが好きで漆を始めるという選択が難しい時代です。とにかく漆器が売れない。昔は職人仕事をしながら個性を表現するという道がありました。今は作家になることが逃げ場になっているような気がします。
漆離れの根底は、漆器がもともと庶民のものじゃないことにあると思います。正倉院の時代から漆器は特権階級の人たちの道具でしたから、中流階級が増えても売れない。そのうえお金持ちの生活も変わったでしょう。せめてもの汁椀ですが、それもたいがいプラスチックです。また、日本の人はいまだに西洋への憧れがあるけれど、漆は外国で「ジャパン」と呼ばれるくらい、とても日本らしい。それも漆離れの原因だと思います。
私たちも状況を変えたいといろいろやってきましたが、空回りばかりです。デザイナーとコラボレーションしても、その人に漆を応援する気持ちがなければ意味がない。ここ数年、香川県の支援と雑誌『家庭画報』の協力による海外ブランドとのコラボレーションで、新しい漆器の開発に挑んでいます。高田賢三さんとの仕事では大きな手応えを感じましたが、その後すぐにコロナで亡くなってしまわれた。本当に残念です。
「海外に目を向けて」ともよく言われますけど、その前にお膝元の日本をなんとかしないと。いかにして日本の人々が「ジャパン」を愛してくれるか。そこを考えることが今一番大事だと思いますね。
日本各地で漆の木を植林するなど、
漆文化を維持するための
努力が続けられている。その努力は
愛されることによってしか報われない。
愛されるためには、
お互いが出会う必要がある。
山下義人氏は出会いの
チャンスを諦めていない。