ジャパンと呼ばれる漆芸を、日本の人々にこそ愛してほしい。
  • ジャパンと呼ばれる漆芸を、日本の人々にこそ愛してほしい。
  • 漆芸家 山下義人「漆こそジャパン」

    江戸時代後期から独特の漆芸を育んできた香川県だが、
    香川の人々ですら地元の漆芸のことをよく知らないというのが現在の状況である。
    香川県に伝わる蒟醤(きんま)の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)認定された山下義人氏は、
    海外の人々が japanとも呼ぶ漆器の魅力を日本の人々が再認識し、
    漆芸の持続可能性を高めることを呼びかけている。

    • 山下義人「蒟醤花器 夕立」2019年 個人蔵
            四万十川の夕立がモチーフ。激しい雨が夕闇の川面に飛沫を上げて注ぎ込む様を表現した。

      山下義人「蒟醤花器 夕立」2019年 個人蔵
      四万十川の夕立がモチーフ。
      激しい雨が夕闇の川面に飛沫を上げて注ぎ込む様を表現した。

    • 山下義人「銀河靴ベラ」2022年 個人蔵
            蒔絵で星々が描かれた球体に挿して置ける。アートとしても美しい、新しい「用の美」の提案である。

      山下義人「銀河靴ベラ」2022年 個人蔵
      蒔絵で星々が描かれた球体に挿して置ける。
      アートとしても美しい、新しい「用の美」の提案である。

    漆芸は日本の工芸の中でも制作にとくに長い時間がかかる。
    山下義人氏が重要無形文化財保持者に認定された蒟醤の場合、
    生涯で制作できる作品数は、展覧会に出品するレベルではわずか150点から200点程度という。

    たとえば陶芸なんかは早いですよね。あれはあれで大変な面があると思いますが、早く形になるのは正直うらやましい。私なんか一週間やっても形にならないですよ。

    そもそも私らの仕事は奈良時代と変わらない。奈良の正倉院にある漆器と、私が作ったものと何が違うかと言えば、表面のデザインが違うだけ。やっていることは基本的には変わらない。本当に日本に古くからある仕事ですよ。

    僕の場合、この仕事をやっていて一番楽しいのは次の作品のアイディアを考えているとき。「こういう表現をしたいな」と思えたときが一番うれしい。ああしよう、こうしようと考えるときは、わくわくしています。

    前につくったものと同じようなものは、あえてつくらない。僕の座右の名は、「自分の真似をしない」。公募展で審査する鑑査は、誰がどの作品をつくったか当ててみるとだいたいわかるものですが、僕の作品はわかりにくいですよ。「わからないから山下さんでしょ?」と言われます。

    • 工房に並ぶ工具や刷毛などの道具。木地づくりは専門家に依頼しても、へらや作業用の板など、制作に必要なものを自作するため、漆芸家には工具が必須。
      工房に並ぶ工具や刷毛などの道具。木地づくりは専門家に依頼しても、へらや作業用の板など、制作に必要なものを自作するため、漆芸家には工具が必須。
    • 酒器や椀などの依頼にも対応できるよう、シンプルな形の木地をある程度ストック。漆芸に使う木材はよく乾燥しているものが望ましく、山下氏の場合、数年は乾燥させた材木を木地にする。
      酒器や椀などの依頼にも対応できるよう、シンプルな形の木地をある程度ストック。漆芸に使う木材はよく乾燥しているものが望ましく、山下氏の場合、数年は乾燥させた材木を木地にする。
    • 工房の一角にある乾燥用の室。漆は高温多湿の環境で早く乾燥するが、早過ぎる乾燥は表面の皺の原因になるため、湿度を調整した室の中で乾燥させる。
      工房の一角にある乾燥用の(むろ)。漆は高温多湿の環境で早く乾燥するが、早過ぎる乾燥は表面の皺の原因になるため、湿度を調整した室の中で乾燥させる。
    • 金刀比羅宮の本宮拝殿で、第二十三代宮司・琴陵泰裕氏と山下義人氏。
            拝殿は祈祷を受ける場所で、一般の参拝者も祈祷を申し込めばこの場所までは入ることができる。

      金刀比羅宮の本宮拝殿で、第二十三代宮司・琴陵泰裕氏と山下義人氏。
      拝殿は祈祷を受ける場所で、一般の参拝者も祈祷を申し込めば
      この場所までは入ることができる。

    • 明治時代の改築では複数の蒔絵職人がいたらしく、138枚すべて微妙に絵が違っていた。今回の復元では昔の絵の輪郭からその雰囲気を再現した。

      明治時代の改築では複数の蒔絵職人がいたらしく、
      138枚すべて微妙に絵が違っていた。
      今回の復元では昔の絵の輪郭からその雰囲気を再現した。

    • 神域の新緑を背にした金刀比羅宮の本宮。
            古くから信仰の地として守られてきた森には、樹齢八百年以上の楠などが生い茂る。

      神域の新緑を背にした金刀比羅宮の本宮。
      古くから信仰の地として守られてきた森には、
      樹齢八百年以上の楠などが生い茂る。

    COLUMN

    金刀比羅宮の桜樹木地蒔絵

    「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮は、香川県琴平町の琴平山に鎮座する。伝説では琴平山が瀬戸内海の島であった時代に、大物主(大国主)が行宮を置いたのが起源といい、朝廷、武家、庶民にも広く崇敬されてきた。

    現在ある本宮は明治11(1878)年に改築されたもので、拝殿、幣殿、神殿で構成される。その天井と壁には江戸の蒔絵師・山形屋治郎兵衛らによる桜樹木地蒔絵が施されていたが、傷みが進んだことから平成11(1999)年より復元プロジェクトが始まった。

    もともと桜の花には銀の薄板が貼られていたが、銀は表面が硫化すると黒くなり、年月によって剥離しやすい。そこで監修の山下義人氏らは、今回の復元では金箔とプラチナ箔を3枚重ね、桜の色を表現した。木地となる檜材は、直径1m余りの大木から製材されて10年以上経つ良材が木曽で見つかり、平成16(2004)年の「平成の大遷座祭」では新しくなった138枚の天井画が参拝者を迎えた。

    山下義人氏の地元、香川県は瀬戸内海と山地に挟まれ、面積は日本一小さいが、
    身近にある山や海は、氏の作品づくりに欠かせないアイディアの源泉でもある。

    香川県は風土がとても良いと思いますよ。里山があって、それからすぐ海があるというような、独特の地形も美しい。山も形がいい。平野部にポツンとある。自分が育った環境だからというのもあるけれど、ほっと安心して暮らしていける、いいところです。

    世界全体から見たら、日本そのものにそういう感じがあるかもしれない。地震は多いけれど、海に囲まれて国境もないし、気候も春夏秋冬が規則的にめぐってくる。そういう風土があって、自然と共に生きるという独特の文化がつくられてきたのでしょう。日本画や工芸でシンメトリーを嫌がるのも、自然の中にはシンメトリーがないからですよ。あえて中心をずらすというのも同じ。この国にいると人種とか関係なく、みんな日本的になるのかもしれないと、ふと思ったことがありました。

    でも、日本に生まれても、自然を見てきれいだと感じる人と感じない人がいます。美しいと感じる人のほうがトクだと思いますね。身の回りには美しいものがいっぱいあるのに、何も感じないのはもったいない。

    • 自宅兼工房は高松市郊外にあり、里山の緑に囲まれている。自身で植えた木や草花の成長や庭を訪れる野鳥の観察が山下夫妻の日々の楽しみである。
      自宅兼工房は高松市郊外にあり、里山の緑に囲まれている。自身で植えた木や草花の成長や庭を訪れる野鳥の観察が山下夫妻の日々の楽しみである。
    • 夏以外は毎朝仕事を始める前に焚火をしながらコーヒーを味わう。前編に掲載の作品「蒟醤丸箱 炎」にも焚火のイメージが反映されている。
      夏以外は毎朝仕事を始める前に焚火をしながらコーヒーを味わう。前編に掲載の作品「蒟醤丸箱 炎」にも焚火のイメージが反映されている。
    • 金刀比羅宮の本宮は海抜251mの場所にあり、讃岐平野を一望できる。
            写真のほぼ中央、ぽっこりと突き出た山は讃岐富士(飯野山)。

      金刀比羅宮の本宮は海抜251mの場所にあり、讃岐平野を一望できる。
      写真のほぼ中央、ぽっこりと突き出た山は讃岐富士(飯野山)。

    • 香川の旅に欠かせないもう一つの名所が、漆芸を庇護した高松藩松平家の別邸であった「特別名勝 栗林公園」。
            文化財に指定された日本庭園としては最大規模。変化に富んだ景観美により大名庭園の傑作と呼ばれる。

      香川の旅に欠かせないもう一つの名所が、漆芸を庇護した高松藩松平家の
      別邸であった「特別名勝 栗林公園」。
      文化財に指定された日本庭園としては最大規模。変化に富んだ景観美により大名庭園の傑作と呼ばれる。

    • アートを目当てに香川を訪れるなら、香川県庁(東館)も外せない。
            梁や柱など和の意匠をとりいれた、日本のモダニズム建築の名作である。丹下健三設計、1958年竣工。

      アートを目当てに香川を訪れるなら、香川県庁(東館)も外せない。
      梁や柱など和の意匠をとりいれた、日本のモダニズム建築の名作である。
      丹下健三設計、1958年竣工。

    瀬戸内国際芸術祭をはじめ、アートを目当てに香川を訪れる人は近年増えているが、
    香川で漆がさかんなことはあまり知られておらず、他県でも漆業界は衰えている。
    漆芸に目を向けてもらうには何をすべきなのか、山下義人氏は長く考え続けている。

    私のようにものづくりが好きで漆を始めるという選択が難しい時代です。とにかく漆器が売れない。昔は職人仕事をしながら個性を表現するという道がありました。今は作家になることが逃げ場になっているような気がします。

    漆離れの根底は、漆器がもともと庶民のものじゃないことにあると思います。正倉院の時代から漆器は特権階級の人たちの道具でしたから、中流階級が増えても売れない。そのうえお金持ちの生活も変わったでしょう。せめてもの汁椀ですが、それもたいがいプラスチックです。また、日本の人はいまだに西洋への憧れがあるけれど、漆は外国で「ジャパン」と呼ばれるくらい、とても日本らしい。それも漆離れの原因だと思います。

    私たちも状況を変えたいといろいろやってきましたが、空回りばかりです。デザイナーとコラボレーションしても、その人に漆を応援する気持ちがなければ意味がない。ここ数年、香川県の支援と雑誌『家庭画報』の協力による海外ブランドとのコラボレーションで、新しい漆器の開発に挑んでいます。高田賢三さんとの仕事では大きな手応えを感じましたが、その後すぐにコロナで亡くなってしまわれた。本当に残念です。

    「海外に目を向けて」ともよく言われますけど、その前にお膝元の日本をなんとかしないと。いかにして日本の人々が「ジャパン」を愛してくれるか。そこを考えることが今一番大事だと思いますね。

    • 香川県漆芸研究所では主任講師の一人として若者たちに指導にあたる。研究所では授業料無料で、基礎から漆芸を3年かけて学ぶことができるが、1学年10名の定員に余裕がある。
      香川県漆芸研究所では主任講師の一人として若者たちに指導にあたる。研究所では授業料無料で、基礎から漆芸を3年かけて学ぶことができるが、1学年10名の定員に余裕がある。
    • 1年生は作業用の板場を自作することが、真っ直ぐな形をつくる練習に。でこぼこにならないようにするのが難しい。「適当にやると、後で後悔するんだよ」と山下義人氏。
      1年生は作業用の板場を自作することが、真っ直ぐな形をつくる練習に。でこぼこにならないようにするのが難しい。「適当にやると、後で後悔するんだよ」と山下義人氏。
    • 香川県漆芸研究所がある香川県文化会館は、建築家・大江宏の代表作の一つ。モダニズムと日本の伝統を融合させるのではなく、「混在併存」させている。
      香川県漆芸研究所がある香川県文化会館は、建築家・大江宏の代表作の一つ。モダニズムと日本の伝統を融合させるのではなく、「混在併存」させている。
    日本各地で漆の木を植林するなど、漆文化を維持するための努力が続けられている。その努力は愛されることによってしか報われない。愛されるためには、お互いが出会う必要がある。山下義人氏は出会いのチャンスを諦めていない。
    日本各地で漆の木を植林するなど、漆文化を維持するための努力が続けられている。その努力は愛されることによってしか報われない。愛されるためには、お互いが出会う必要がある。山下義人氏は出会いのチャンスを諦めていない。

    日本各地で漆の木を植林するなど、
    漆文化を維持するための
    努力が続けられている。その努力は
    愛されることによってしか報われない。
    愛されるためには、
    お互いが出会う必要がある。
    山下義人氏は出会いの
    チャンスを諦めていない。

    TOP PAGE