
室町時代に成立した音楽劇である能楽で用いられる楽器は、笛、小鼓、大鼓、太鼓のみ。
これら四種の楽器と打楽器の演奏者の掛け声によって、物語の世界がつくりだされる。
西洋の歌曲の伴奏とは異なり、歌(謡)に合わせる音楽ではない。
小鼓方の重要無形文化財保持者、大倉源次郎氏は能楽の中の日本的な要素には
社会をより良くするヒントがあると考え、国内外で能楽の普及活動を展開している。
大倉源次郎(おおくら げんじろう)
1957年大倉流十五世宗家・大倉長十郎の次男として大阪に生まれる。1964年、独鼓「鮎之段」で初舞台。1981年甲南大学文学部卒業。1985年、能楽小鼓方大倉流十六世宗家を継承(同時に大鼓方大倉流宗家預かり)。公益社団法人能楽協会理事。一般社団法人東京能楽囃子科協議会理事。一般社団法人日本能楽会会員。2017年重要無形文化財保持者(人間国宝)となる。
能楽の演奏家である「囃子方」は譜面を持たずに舞台をつとめる。
現在上演される能楽の曲数は約240といわれ、頻繁に上演されるのはそのうち120程度。
プロは長年の稽古により曲を身体で覚えていて、どの流派の相手もつとめることができる。
リハーサルは囃子方だけの簡単な「打ち合わせ」のみか、まったくやらないことが多い。
能楽には指揮がなく、「ヨー」「イヤー」「ハッ」「ホッ」といった掛け声がサインとシグナルのような働きをしています。曲ごとに打つパターンは決まっていますが、楽譜もなく、クラシックの「正しさ」みたいなものはありませんから、この曲なら必ずこう、とは限りません。
いい音を出すということも大切ですけれど、能楽では音のない「間」がさらに大切です。次の音が出るまでの間を聴かせる。そのためにリズムをあえて外すこともあります。しかも能の場合、メンバーが毎日違い、やる曲も毎日違います。そんな中で一番いいものができるようにするのが僕たちのやり方ですね。何か正解があって、みんながそれに向かって行くのではなくて、みんなが集まったところで正解を探していくみたいな形です。
正しい答えがないのは、無責任といえば無責任ですけれども、逆に言うと非常に自由。みんなで互いの力を伸ばし合うことができます。「今日はみんなの息がよく合った」といった我々の気持ちとお客さんの感想が全然違うこともありますが、我々が正しいということもなく、評価はお客さんに委ねています。
日本の小鼓は、砂時計のような形の桜材の胴に、鉄製の輪を用いて二歳以下の若い馬の革を張る。上下の革を結ぶ「調緒」と呼ばれる朱で染めた麻紐は、音の高さや響きを調整する役割がある。
小鼓に似た形の打楽器は世界各地にあり、一般に小鼓の源流はインドと考えられている。しかし、大倉源次郎氏は長年様々な打楽器に触れてきた経験から、インドの前にアフリカのドラムがあり、その後インドから南洋の東南アジア経由で日本に入ってきたのが小鼓、インドから陸で中国、朝鮮半島を経て日本に入ってきたものが太鼓、大鼓と考えている。
大鼓と小鼓は同じ鼓でもタイプが異なり、小鼓の革は二百年以上使用可能であるのに対し、大人の馬の革を用いる大鼓では、革は消耗品で何年も使えない。こうした違いもルーツの違いに関係すると推測される。
現在は東京に拠点を構える大倉源次郎氏だが、先祖は能楽の発祥地、大和の出身である。
海を渡って大陸から楽器を伝えた楽人の末裔、という可能性もある。
親族も能楽関係者が多く、幼い頃から能楽は最も身近な芸能だった。
五歳から稽古をしていますから、最初はとくに何も考えないでただやっていただけですね。物心がつくようになるとすごい先輩方の舞台を見て、自分は大変な家に生まれてしまった、こんな風にできるようになるかな?、と子どもながらに思いました。昔は本当の英才教育で、十五歳で元服するまでに二百曲が身についているように育てていたようでしたが、自分たちの時代はそこまでではありません。ただ、気持ちの持ちようは子どもの頃から教わっていましたね。たとえば、楽器を私たちは「お道具」といいますが、お道具は特別なもので、大事にしなければならないことは小さいときから何度も言われました。
私たちが舞台で使う小鼓の革はたいがい百年以上前のものです。新しくつくったばかりのものは響きがよくないので、打ち込んで育ててやります。夏の湿度が高い環境、冬の乾燥した気候、四季折々に打ち込んで舞台に使えるようになるには十年、二十年では足りません。私が今育てているものを私自身は舞台で使うことがないでしょうね。孫の代くらいになるのではないかと思います。
二十代でピアノの山下洋輔氏らとフランス公演旅行を行うなど
異ジャンルとの共演も数多く経験してきた大倉源次郎氏。
近年は2023年に亡くなった、坂本龍一氏の公演に参加。
晩年の坂本氏は能楽の方法論を取り込みながら自身の新しい音楽をつくり始めていた。
2022年1月1日のNHK-FM「坂本龍一ニューイヤー・スペシャル」のピンチヒッターでDJを、と言われたときはびっくりしましたけれど、そのときの状況を後で聞いてさらにびっくりしました。本当に残念でしたね。彼は能楽に世界の民族抗争を中和させていく何かがあるんじゃないか、ということをすごく期待してくださっていたと思います。
能楽の音楽は風水の音なんです。謡、掛け声は「風」。鼓、太鼓は「水」。太鼓の三つ巴は水が渦巻いているデザインです。風と水は、古代から現在未来にまで流れている自然の音。国境も時間軸もなく、世界のあらゆる人が共有できる音です。そうした自然の音を背景に、ワキの「私はこういう者です」という名乗りからドラマが始まります。だから役者は時空間を超越できる。
世界中の演劇演出家が能を鑑賞されて、「こんな舞台をよく六百年前につくった」とショックを受けています。日本の人は「能なんて古臭い」と言いますけれど、欧米の人たちは「どうしてこんなに新しいのか」と。能楽にある、自然の力を取り入れる日本の考え方や、どんな人とも仲良くする「和」の精神は、今でいうSDGsやLGBTQ。六百年前から先取りしているのです。
現代の日本の生活にある「音楽」は
主に西洋音楽ではあるが、
風による森のざわめきや、
川のせせらぎを楽しむ文化は色濃く残る。
自然の音の霊性を抽象化したともいえる
囃子とともに演じられる能の物語に秘められた
日本の智慧を世界と共有することを
大倉源次郎氏は強く願っている。
(後編へ続く)