
能楽の大成者、世阿弥の芸術論「風姿花伝」は演劇にとどまらず、
日本の様々な芸道に多大なる影響を与え続けている。
しかし、世阿弥や能楽の影響は芸術にとどまらない。
江戸期の平和と文化発展にも能楽が寄与した考える大倉源次郎氏は、
現代を生きる人々も能楽のメッセージを読み解き、社会に生かすべきだと訴えている。
大学で『古事記』を学び、古代への関心を深めた大倉源次郎氏。
大和地方で始まった稲作が全国に広がったことや神仏の教えの普及は、
能の成立への過程に欠かせない要素と見て、田植神事の復興にも協力している。
昔は田植のときにお囃子がいて、早乙女が働いている横で歌ったり踊ったりしました。なぜそんなことをしたかというと、田植が大変だったからだと思うのですね。
「男」という漢字は田に力と書きますが、土を耕したり、畔をつくったりする力仕事は男性の仕事。それに対して田植は女性の仕事。田植は力でやるものではないですね。私はここ二年続けて田植をやりましたが、力を入れると茎のところを折ってしまいます。女性の弱い力でやったほうがいい。暑かったり雨が降ったりする中で田植をするのは重労働です。でも村々から早乙女や若い衆が集まってダンスパーティーみたいにしたら、楽しみになります。みんなで楽しく働けば仕事も早く終わりますよ。
昔の絵図を見ると、田植の横で打つ鼓に金蒔絵が施されています。仏像や仏具のように貴重な金を用いて装飾しているのは、「鼓舞」するという言葉通り、人を動かす力を持っている鼓はとても大切な道具でした。
稲作の広がりは神社や仏教の広がりとも重なっています。神仏の力を借りて豊作を祈願する。収穫できたら神や仏に感謝を捧げる。それが能楽の源流にあるので、寺社の行事として能の奉納が行われてきたのです。
公演のため全国の都道府県すべてに足を運んでいる大倉源次郎氏。
自身の経験から、古来、能役者は国造りの物語を地方に伝えるとともに
地方の物語を都に伝える、情報共有のメディアだったのではないかと考えている。
静岡の三保松原の羽衣伝説をもとにした「羽衣」というとても有名な曲があります。このストーリーを読み解くと、漁で日銭を稼ぐ海の民と、絹文化を伝える民族の出会いを描いた「異文化との遭遇」を描いたもの。両者が互いに少し気遣いをしたことで大きな争いが起きることなく、静岡の地で平和的に共存し、文化が育ったという歴史が語られています。能の物語にはこうした先人からのメッセージが隠れていて、能を通して日本の歴史をつくってきた人々の知恵を学ぶことができます。
徳川幕府は能を「式楽」に制定し、武士の統制に文化を用いました。公式に能は武士の嗜みとされたわけですが、権力者の教育として非常によかったと思います。能というのは誰もがどんな役もできる演劇です。一般的な演劇ではキャラクターに応じた配役がされ、たとえば『美女と野獣』なら美女と野獣の配役を交代しませんが、能なら可能です。仮面とコスチュームという変身装置を使って、体形も何も関係なく、その人の心を演じればいい。権力者も女性、老人、敗者を演じて、その心を知る。江戸時代の日本はそれをやっていたから、全国各地にすぐれたリーダーが育ったのでしょう。
今の日本では文化も経済で語られますが、逆ですよ。まず文化として高いものを目指す。それによって経済も回る。今こそ文化倍増政策が必要です。
世阿弥が「秘すれば花」と語ったように、能においては、
言葉で説明するよりも、体得することが重視されてきた。
しかし、大倉源次郎氏は能の魅力を伝えるために言葉を用いることを恐れない。
能といえども秘すれば高度情報社会に埋もれる危険があるためだ。
世界に能楽を伝えていきたいと思いますが、まずは日本の人々に知ってもらいたい。日本の人がみな一年に一度能を見るようになれば、日本は変わります。とくに若い人たちに見てほしい。彼らは能について先入観がないので、初めて見ると新鮮に感じてくれるようです。また、今の若い人は「鬼滅の刃」のような、目に見えない力が働く物語にアニメで親しんでいるので、能の物語を直感的に理解してくれます。
能はハッピーエンドではない、すっきりしない終わり方の物語がほとんどです。でも、最近はハリウッド映画もそうなってきていますよね。勧善懲悪型のヒーローが悪役を倒して、美女と結ばれるような映画は前ほどつくられません。スパイダーマンのような曖昧な終わり方の映画が増えています。これを私は能楽の影響だと思っています。日本の映画監督、小津安二郎氏は「私は能楽を映画という手法でつくり直した」と語っていました。世界中の映画監督が敬愛する小津作品を通して能楽に触れたことになります。
今は世界中の若者が日本のアニメを見ていますから、日本だけでなく世界中の若い人々が能のよき理解者となり、能が世界平和や地球の自然に貢献する。そういう可能性もあると思います。
年齢も身分も様々な人物が登場し、
喜怒哀楽の極みを演じる能の物語は
人間という存在に対する
深い洞察と思考に根差す。
AIによって人間の本質が
問われている今こそ、
能は世界に向かって開かれるべきだ
という確信が大倉源次郎氏にはある。