
アジア、ことにモンスーンの影響で降水量が多いモンスーンアジアに広く分布する竹は、
先史時代より農具や生活用品の材料として用いられてきた。室町時代、中国製の花籃が
茶の湯で珍重されるようになり、日本でも竹を編む技術がより高度に発展した。
千利休の出身地、大阪府堺市の竹工芸家、四代 田辺竹雲斎氏は
技術の継承にとどまらず、現代を生きるアーティストとして世界に対峙する。
四代 田辺竹雲斎(たなべ ちくうんさい)
1973年大阪府堺市に三代竹雲斎の次男として生まれ、幼少から竹に触れて育つ。大阪市立工芸高等学校(現・大阪府立工芸高等学校)美術科を卒業後、 東京藝術大学美術学部彫刻科に進学。 卒業後、大分県竹工芸訓練支援センター(現・大分県立竹工芸訓練センター)で2年間の訓練を修了し、父三代竹雲斎に師事。2001年にフィラデルフィア美術館クラフトショーに招待出品以降、ボストン美術館・シアトル美術館・サンフランシスコアジア美術館・大英博物館・フランス国立ギメ東洋美術館等で展覧会を開催し、作品が美術館に所蔵されている。2017年、四代田辺竹雲斎を襲名。竹のインスタレーションでも国内外で活躍。2022年芸術選奨美術部門文部科学大臣新人賞、大阪文化賞を受賞。
父も母も竹工芸家という家に生まれた四代田辺竹雲斎氏。
小さい頃から竹を編み、竹工芸家になるのが当たり前という環境に育ったが、
将来について悩んだことがなかったわけではない。
竹工芸の道に進むことを疑うことなく東京藝大に入ったのですが、3年ぐらいのときに「本当は何がしたいんだろう?」と考えるようになりました。うちは母の親も漆芸家で、工芸以外の世界を知るためにいろいろなバイトをやってみました。レストラン、カラオケ、ガソリンスタンド、引っ越し業者…、様々な業種を経験しています。バイトでお金を貯めたら、テントを担いでバイクで日本のあちこちを旅しました。その頃は授業に出ないし、作品もつくらなかったので、学校では落ちこぼれです。
3年ぐらいそんな感じで過ごしていたのですが、自分はこれというものが見つからない。バイトを頑張ったり、イベントを頑張ったりしても、いつもどこか空虚でした。自分の本当の人生を生きていない。結局自分から逃げているのかなと気づき、父に頭を下げて改めて竹と向き合うことにしました。
その後、大分県にある日本で唯一の竹工芸訓練支援センターに行きました。迷っていた時代の遅れを取り戻すのに必死でしたが、本来いなきゃいけない場所に戻ったという感じで、しっくりきました。
田辺家のある大阪府堺市は大阪湾に面する港町で、戦国の世には日明貿易、南蛮貿易で栄えた。余裕のある堺の町人たちは教養人でもあり、十六世紀後半、 堺出身の武野紹鴎、その弟子の千利休らはわび茶の流行を牽引した。茶の湯では茶杓、花籃など竹の工芸品が欠かせないことから、堺は竹工芸の産地となった。さらに江戸時代末から明治期にかけては全国的に中国の文人文化が流行し、とくに愛好者が多い堺には他所からも竹工芸のつくり手が集まった。その一人が初代田辺竹雲斎である。華道や煎茶に造詣の深い初代竹雲斎は、すぐれた芸術性と緻密な技術で堺の竹工芸会の顔となった。
しかし、太平洋戦争の際に港湾都市である堺は空襲の被害を受け、竹工芸のつくり手の多くが堺を離れた。戦後に戻ってきた人もいつしか廃業し、昭和後期に堺の竹工芸のつくり手は二代田辺竹雲斎とその関係者のみとなった。
大分での研修を終えたばかりの2001年、無名の若者だったにもかかわらず、
アメリカ「フィラデルフィア美術館クラフトショー」の招待作品に選ばれた。
このときの経験は、海外での日本の工芸の可能性を考えるきっかけとなる。
フィラデルフィアでは日本から15名くらい招待された中で、一番若い私のオブジェ作品を美術館が買い上げてくださったんです。日本では竹のオブジェのような作品は全然売れなかった時代です。アメリカではいいものなら認められるのかと驚きました。でも、キリスト教美術の流れから、海外で美術といえば絵画か彫刻か現代アート。工芸という分野はありません。それから毎年グループ展などで海外に行きましたが、工芸を美術館で大きく扱ってもらうには壁みたいなものがありました。
このままじゃ壁を破れない、インスタレーションで竹工芸を現代アートに昇華していこうと決めたのが2008年くらいです。工芸展でロンドンに行ったときに、たまたま現代彫刻家のアニッシュ・カプーアのパフォーマンスを見たんです。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツという由緒ある建物の壁を大砲で壊すようなパフォーマンスに圧倒的に心が震えて、ここまで大きいことをしないと人の心を引き付けることはできないのかと思いました。
工芸は置いて俯瞰して楽しむものですが、国籍や年齢も関係なくより多くの人の心に届くには、体感できる大きさは大事なことだと思います。中に入って光を感じたり、竹に触って何かを感じたりできる、記憶に残すアートが私のインスタレーションのテーマになりました。
四代田辺竹雲斎氏の竹のインスタレーションは世界各地で大きな反響を呼んでいる。
作品の前で号泣したり、踊ったり、現地の人々の多様かつ感性豊かな反応は
現代アートと工芸という分野の違いを乗り越えていく力になった。
概念を重視するのか、技術を重視するのかは、現代アートと工芸の大きな違いですね。
世界的にはマルセル・デュシャンが便器を使った「泉」という作品を発表したときに、美術というのは技術の時代から概念を伝える時代になったと思うんです。一方、工芸は概念というより技術を伝えています。
私は両方やる人間なので、両方の意味を持っていたいと思います。まず、技術を継承する人間なので、次の時代に技術を残さないといけない。一方で現代の作家として、人と自然が共有できる竹という素材を使って、命の循環という概念を表現しています。そのコンセプトは日本的であったり環境的であったりするものですが、工芸はコンセプトがどうあっても技術がなければ誰も認めてくれません。工芸のつくり手は何かの技術に特化することで注目を集めます。
世界には工芸の工房も現代アートのラボもありますが、両方やる工房はほとんどありません。両方をやるのは難しいので、どちらかにしたほうがいいとよく言われました。でも、技術を誰にも負けないくらい鍛えて現代アートもできたら、それは無敵じゃないかと思います。
田辺家には「伝統とは挑戦なり」
という家訓があるという。
竹工芸による現代アートへの挑戦は、
従来の工芸家のありかたとは異なるが、
田辺家の思想に沿ったものなのである。
(後編へ続く)