日本で生まれたやさしい香りで、世界の人々と日本を結びつける。
  • 日本で生まれたやさしい香りで、世界の人々と日本を結びつける。
  • 調香師 大沢さとり「香りの外交」

    コロナ禍をきっかけに香りを暮らしに取り入れる人が世界的に増加し、
    2020年代のフレグランス市場は拡大傾向にある。
    また、大手ブランドのつくる流行にのらない、ニッチフレグランスと呼ばれる
    多様性ある個性的な香水の人気が世界的に上昇しているのも特徴的だ。
    調香師の大沢さとり氏の日本的美意識に根差した香水は、
    新しい時代を自分らしく楽しみたい世界中の人々を魅了している。

    • パルファン サトリ「NOBIYAKA」
              Akaitoサフラン®、枇杷、梅酒の香りを中心に、のびやかで浮遊感のある香りに仕立てた。

      パルファン サトリ「NOBIYAKA」
      Akaitoサフラン®、枇杷、梅酒の香りを中心に、のびやかで浮遊感のある香りに仕立てた。

    2023年春、大沢さとり氏は新作「NOBIYAKA」を発表した。
    調香のカギとなった香りは、佐賀県鹿島市でつくられているAKAITOサフラン®。
    同年11月、生産者の誘いを受け、サフラン収穫の現場を見学した。

    コロナ禍でいろいろな制限が続いていたときに、「息苦しい日々から解放されて、のびのびとした気持ちになりたい」という気分にふさわしい新作を考え始めました。ちょうどその頃、「Akaitoという会社が佐賀でつくっているサフランを使ってみませんか」と声をかけていただいたのです。日本でもサフランが栽培されていることをそのとき初めて知りました。香りがすばらしいだけでなく、佐賀の棚田の農家さんと空き家を利用してサフランを栽培し、地域活性化につなげるという理念もすばらしいと思いました。

    見学させていただくのは今回が初めてです。一般的なサフランの花に比べてAkaitoさんのサフランの花が大きくて、びっくりしました。花を見ただけで丹精こめて大切に育てていらっしゃることがわかります。花の香りは、野性的に感じられたのが少し意外でした。香料になる雌しべの部分を口に含んでみると、苦みの中にほんのり甘みが感じられました。

    これまでにも世界の各地で香料の産地を見学してきました。実際に産地を訪問すると香りの背景がよくわかり、香水のアイディアの引き出しがより豊かになります。調香師にとってそれはとても大切なことなのです。

    • Akaito社の創業者、カナダ出身のマーク・リー・フォード氏と。同社は空き家を活用したサフランの生産を観光にもつなげたいと考えている。
      Akaito社の創業者、カナダ出身のマーク・リー・フォード氏と。同社は空き家を活用したサフランの生産を観光にもつなげたいと考えている。
    • 佐賀県鹿島市のAkaitoサフラン®生産者、西喜佐雄氏。祖父や父親が稲作の間に栽培していたサフランを後世に繋ごうと、平成21(2009)年に引き継いだ。球根の配置等を工夫し、大きな花を咲かせる名人に。
      佐賀県鹿島市のAkaitoサフラン®生産者、西喜佐雄氏。祖父や父親が稲作の間に栽培していたサフランを後世に繋ごうと、平成21(2009)年に引き継いだ。球根の配置等を工夫し、大きな花を咲かせる名人に。
    • 西氏は親から受け継いだ棚田で、稲作をしない時期にサフランの球根を育てている。山の水のおかげか、この辺りは稲に害虫が発生しないため農薬を使わない。
      西氏は親から受け継いだ棚田で、稲作をしない時期にサフランの球根を育てている。山の水のおかげか、この辺りは稲に害虫が発生しないため農薬を使わない。
    • 栽培の話を聞きながら花の香りを楽しみ、香料になる雌しべを試しに食べてみる。なお、サフランに似たイヌサフランには強い毒性があるので食べることができない。
      栽培の話を聞きながら花の香りを楽しみ、香料になる雌しべを試しに食べてみる。なお、サフランに似たイヌサフランには強い毒性があるので食べることができない。
    COLUMN 日本のサフラン

    サフランはアヤメ科クロッカス属の植物で、赤い色の雌しべは乾燥させて薬や染料として用いられる。1gのサフランの香料をつくるのに450~600本もの雌しべが必要とされる。その希少性からギリシャ・ローマの時代から贅沢品として珍重された。世界最大の生産地はイランで、他にスペイン、ギリシャなども産地として知られるが、実は日本でも生産されている。

    江戸時代に薬として入っていたサフランの栽培が始まったのは、明治19(1886)年、神奈川県大磯町だった。以後、国内各地の農家が栽培に挑戦したが、湿気の多い日本では本場と同じように栽培することは難しかった。多くの農家が断念した中、明治36(1903)年に球根を譲り受けた大分県竹田市の生産者が、悪戦苦闘を経て独自の栽培方法を確立した。それは畑ではなく水田で球根を育て、梅雨が来る前に球根を土から掘り出して室内に置き、その後は水を与えることなく開花させるというものだった。この生産者が周囲にやり方を教え、大分県竹田市は国内最大のサフラン産地となった。

    国産サフランは有効成分を外国産よりも多く含み、料理のプロに珍重される。ただし生産量は減少していて、最盛期は全国で約1000㎏だったのに対し現在は20㎏ほどという。

    • Akaito社で栽培しているサフランは、例年11月中旬~12月上旬に開花期を迎える。
              花から垂れさがっている赤い線のようなものが、香料になる雌しべ。

      Akaito社で栽培しているサフランは、例年11月中旬~12月上旬に開花期を迎える。
      花から垂れさがっている赤い線のようなものが、香料になる雌しべ。

    • ひとつずつ手で摘み取られたサフランの花。赤い雌しべを丁寧に仕分け、乾燥させて香料にする。

      ひとつずつ手で摘み取られたサフランの花。赤い雌しべを丁寧に仕分け、乾燥させて香料にする。

    • 花を摘んだ球根は数日後には田んぼに植え、春まで土の中で栄養を蓄えさせる。その間に新たな球根が生まれる。5月半ば、田植の時期に土から掘り上げ、室内の通風のよい場所に日光を当てずに置いておく。その間は一切水を与えない。

      花を摘んだ球根は数日後には田んぼに植え、春まで土の中で栄養を蓄えさせる。その間に新たな球根が生まれる。
      5月半ば、田植の時期に土から掘り上げ、室内の通風のよい場所に日光を当てずに置いておく。その間は一切水を与えない。

    • 花から採取された雌しべ。色の薄い部分も二級品として活用される。
              Akaito社では従来捨てられてきた花を化粧品などに活用する予定。

      花から採取された雌しべ。色の薄い部分も二級品として活用される。
      Akaito社では従来捨てられてきた花を化粧品などに活用する予定。

    多くの人が日本のサフランを知らないように、
    日本の人も気づかないでいる日本が誇るべきものは数多い。
    大沢さとり氏のつくる香水はそんな気づきのある香りでもある。

    私はスタッフに「私たちの仕事とは、50gでいくら、1gでいくらの液体を売っている仕事ではない」とよく言います。それは「香水を通して日本の文化や情緒を世界の方々に感じていただくことが私たちの仕事」ということです。香りによって心に浮かぶものや、香りを身に着けた瞬間から香りが薄らいでいくまでのストーリーから、日本の美徳とされる振る舞いや空間に思いが至る。香りを触媒として日本のすぐれたものを思い出す。そんな風に感じていただけたら、とても幸せです。

    香水は生活の中にある身近な存在なだけに、他の芸術以上に外国の人たちを日本の文化に近づける可能性があるようにも思います。そこで、これからは「パルファン サトリ」というブランドを「日本の外交官」として、香水と日本文化をセットで紹介できるような展開を考えています。「茶壷型香水さとり」では飾り紐や桐箱、真田紐、包み布などの取り合わせも楽しんでいただけるようにしましたが、漆器をはじめ他の分野との組み合わせもチャレンジしてみたいです。香水を通して日本の伝統文化の維持に協力できるようなコラボレーションを実現したいと思います。

    • 最高級の沈香、伽羅の香りを表現した格調高い香りを、ガラス瓶ではなく有田焼の茶壷に収めた「茶壷型香水さとり」。日本の伝統工芸も楽しめる香水とした。
      最高級の沈香、伽羅の香りを表現した格調高い香りを、ガラス瓶ではなく有田焼の茶壷に収めた「茶壷型香水さとり」。日本の伝統工芸も楽しめる香水とした。
    • 2019年11月、香水の名産地である南仏のグラースにある、世界的に権威のある香水博物館、グラース国際香水博物館に「茶壷型香水さとり」が収蔵された。
      2019年11月、香水の名産地である南仏のグラースにある、世界的に権威のある香水博物館、グラース国際香水博物館に「茶壷型香水さとり」が収蔵された。
    • 香水はファッションの一部として捉えられ、「香水による日本文化の外交」という活動に理解を得ることが難しい場面も多かった。それだけに、2023年12月、「令和5年度文化庁長官表彰」を受け、政府に香水を文化として認められた意義は大きいと感じている。写真は授賞式で、第23代文化庁長官都倉俊一氏と。
      香水はファッションの一部として捉えられ、「香水による日本文化の外交」という活動に理解を得ることが難しい場面も多かった。それだけに、2023年12月、「令和5年度文化庁長官表彰」を受け、政府に香水を文化として認められた意義は大きいと感じている。写真は授賞式で、第23代文化庁長官都倉俊一氏と。
    • 長野県佐久市郊外に位置する曹洞宗の寺院、吉祥寺。天文9年(1540)武田信玄が佐久を攻めた際、戦死者供養の大法要を行った地と伝えられる。

      長野県佐久市郊外に位置する曹洞宗の寺院、吉祥寺。天文9年(1540)武田信玄が佐久を攻めた際、戦死者供養の大法要を行った地と伝えられる。

    • 住職の三戸部全明氏と。三戸部氏は十六世紀に創建された吉祥寺の歴史や伝説を調べ、訪れた人々に伝えている。

      住職の三戸部全明氏と。三戸部氏は十六世紀に創建された吉祥寺の歴史や伝説を調べ、訪れた人々に伝えている。

    大沢さとり氏が現在計画中のコラボレーションのパートナーは
    長野県佐久市にある、武田信玄に縁のある古刹、吉祥寺。
    スタッフの実家という縁で訪れ、その佇まいに惚れ込んだ。

    吉祥寺は観光名所ではありませんが、茅葺屋根の建物が残っている素敵なお寺です。周囲の田んぼの風景も美しく、日本の原風景を感じられる場所ですね。ここで創作に集中してみたいと思い、住職さんのご厚意で調香用のオルガン台を置かせていただいています。

    茅葺屋根の建物に住職さんが生活していらっしゃるお寺は、佐久地域で唯一だそうです。茅葺屋根の修繕ができる人は佐久地方にも少なく、こちらの修繕は近年小谷村の職人さんが手がけられていると聞きました。貴重な歴史あるものを大切にされているこのお寺で、地域コミュニティの活性化のお手伝いを何かできないかと考えています。

    ここを訪れて茅葺屋根の美しさに感動したり、自然の植物の香りを楽しんだりするだけでも訪れる価値はあります。とくに調香師には良い勉強になりますね。芸術とは技術と内面の両方が備わってはじめて良い作品が生まれるもの。日本の美しいものに感動し心を豊かにすることは、その国らしさや地域性が表現された香りが世界で求められている今、とても大切なことだと思います。

    • 吉祥寺の付近にはのどかな田園風景が広がる。刈田の香りや路傍の草花の香りなど、訪れるたびに季節の香りを楽しんでいる。
      吉祥寺の付近にはのどかな田園風景が広がる。刈田の香りや路傍の草花の香りなど、訪れるたびに季節の香りを楽しんでいる。
    • 野草を摘んで手近なものにざっくりといける。佐久の野草は元気いっぱいで、手に触れるだけで癒される。
      野草を摘んで手近なものにざっくりといける。佐久の野草は元気いっぱいで、手に触れるだけで癒される。
    チューリッヒ芸術大学での講演で、大沢さとり氏は「もはや香水は単なる消耗品ではなく、出会いの瞬間に過去の自分を超越する芸術なのだ」と語った。香りを身につけることで人は新しい自分になれる、ひとりの人間の変化がやがては世界を変えるだろう。

    チューリッヒ芸術大学での講演で、大沢さとり氏は「もはや香水は単なる消耗品ではなく、出会いの瞬間に過去の自分を超越する芸術なのだ」と語った。香りを身につけることで人は新しい自分になれる、ひとりの人間の変化がやがては世界を変えるだろう。

    チューリッヒ芸術大学での講演で、
    大沢さとり氏は
    「もはや香水は単なる消耗品ではなく、
    出会いの瞬間に
    過去の自分を超越する芸術なのだ」
    と語った。
    香りを身につけることで
    人は新しい自分になれる、
    ひとりの人間の変化が
    やがては世界を変えるだろう。

    調香師 大沢さとり<PART1「香水に続く道」編>

    日本を代表する調香師の一人、大沢さとり氏。企業に属さず、自身のブランドを立ち上げて以来、独立独歩で調香師としての道を歩んできました。小さなアトリエから生まれる香りには、日本固有の植物への愛情と、少女時代から芸道を学びながら触れてきた日本の美意識が凝縮されています。

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