木として生きた時間と同じくらい長く愛されるようにつくる。
  • 木として生きた時間と同じくらい長く愛されるようにつくる。
  • 木工芸作家 宮本貞治「木工芸を次世代に」

    均一性や効率を優先する観点からは無垢の木は扱いづらい存在かもしれないが、
    長い年月をかけて成長した木の表情には人工物にない味わいと豊かさがある。
    その魅力を生かす技術にすぐれ、木工芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された
    宮本貞治氏は、木工芸を志すデジタル世代の若者を指導しながら、
    作家として自身の新しい扉を開こうとしている。

    • 宮本貞治「タモ拭漆波紋楕円卓」

      宮本貞治「タモ拭漆波紋楕円卓」

    • 宮本貞治「黒柿重ね宝石箱」

      宮本貞治「黒柿重ね宝石箱」

    2023年、宮本貞治氏は木工芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
    その際、「各工程で現れる材の個性を見極めながら柔軟に進め、素材の特徴と
    自身の表現を生かし合う造形を生み出す」という評価がなされた。

    材木をどう切ってどう使うかを決める「木取り」は時間がかかる。(もく)がある材から60㎝の長さのものをつくるとしたら、杢を中心に60㎝を計るか、ずらしたほうがいいのか。62㎝がええと思っても、設計図で60㎝としたら60㎝にしかできへん。それは理想の形ではない。はじめの頃は設計図も描いたんやけど、描かないほうが木も木目も生きてくるのがわかって止めた。

    材の裏表わかる? 木が生えていたときに外側だったほうが表で、幹の中心に近いほうが裏。木は表側に反る習性があるから、お盆の場合ふつうは木裏のほうから彫るけど、逆反りする木もあるし、表から彫るほうが杢がきれいなのもある。樹種が同じでも一本一本全然違う。すっと真っ直ぐ立っている木もあれば、ねじれながら育つ木もあるやろ。育ち方が木目になるんや。今つくってる棚の扉の木は、単体だと何の変哲もないけど、4枚に挽いて開いたものを並べたら万華鏡のようになった。使いにくい木も、やり方次第で生きてくるもんや。

    • 木取りについて説明する宮本氏。写真の材の木目をどのように見せるか、どこから切るかで、制作可能な作品が変わってくる。
      木取りについて説明する宮本氏。写真の材の木目をどのように見せるか、どこから切るかで、制作可能な作品が変わってくる。
    • 写真の材は乾燥によって強い反りが出ている。宮本氏は経験則から反りをおおよそ予想できるが、個性が強く、予想を裏切るものもある。
      写真の材は乾燥によって強い反りが出ている。宮本氏は経験則から反りをおおよそ予想できるが、個性が強く、予想を裏切るものもある。
    • 制作中の棚の扉。無垢の板を4枚に割り、合板とした。一枚板は扉にすると湿度で不具合が生じやすいが、合板にすると安定性が高まる。
      制作中の棚の扉。無垢の板を4枚に割り、合板とした。一枚板は扉にすると湿度で不具合が生じやすいが、合板にすると安定性が高まる。
    • 宮本氏の工房の乾燥室。展覧会会場の空調環境により出品作品に不具合が生じた経験から、制作する前に材料を展示会場に近い環境に置き、重さ・幅の変化がなくなるまで乾燥させる。
      宮本氏の工房の乾燥室。展覧会会場の空調環境により出品作品に不具合が生じた経験から、制作する前に材料を展示会場に近い環境に置き、重さ・幅の変化がなくなるまで乾燥させる。
    COLUMN 木工と木材

    日本の木造の建物の柱や梁などには主に杉や松などの針葉樹が用いられる。それは針葉樹の組織構造がシンプルで真っ直ぐに育つことから、長い材を切り出しやすく、比較的軽くて扱いやすいといった理由による。一方、木工芸品や内装材には主に栃、欅、楢、栗などの広葉樹が用いられる。枝を広げて葉を伸ばし、冬に葉を落とす広葉樹は、養分を蓄える機能が発達していて、組織の構造が複雑であり、細胞の密度が高いことから、硬くて頑丈な樹種が多いためである。

    組織の特性により広葉樹の材に現れる複雑な模様を「杢」あるいは「杢目」と呼ぶ。杢目は木が成長過程に受けた衝撃などによってつくられるもので、同じものは一つもない。木目に玉が浮いているように見える「玉杢(たまもく)」、凝縮された組織が角度によっては光って見える「縮杢(ちぢみもく)」、筍が競い合って生えているように見える「筍杢(たけのこもく)」などは貴重な杢として賞玩される。材の模様は樹木の成長記録でもあり、長い年月を生きた巨木や老樹の複雑な杢目はことに珍重され、伐採可能な老木が少なくなった現代ではますます価値が高くなっている。

    • 全長2m以上、樹齢推定六百年以上の欅材の一部。欅や栃の中心部は赤みが強く、外側は白っぽい。
              拭き漆を施すことにより玉杢や縮杢の美しさがさらに際立つ。

      全長2m以上、樹齢推定六百年以上の欅材の一部。欅や栃の中心部は赤みが強く、外側は白っぽい。
      拭き漆を施すことにより玉杢や縮杢の美しさがさらに際立つ。

    • 樹齢二百年以上の欅を材にしたもの。このタイプの比較的シンプルな板目は、
              作品の意匠を引き立てるうえで効果的な場合がある。

      樹齢二百年以上の欅を材にしたもの。このタイプの比較的シンプルな板目は、
      作品の意匠を引き立てるうえで効果的な場合がある。

    • 樹齢百五十年以上の柿を製材するとごくまれに中心部分に黒い紋様が出てくる場合があり、黒柿と呼んで珍重される。人為的につくることは不可能とされる。

      樹齢百五十年以上の柿を製材するとごくまれに中心部分に黒い紋様が出てくる場合があり、黒柿と呼んで珍重される。
      人為的につくることは不可能とされる。

    • 名古屋で各種銘木を扱う丸ス松井材木店の松井右近氏。代々のやり方のまま、
              十年以上の年月がかかっても銘木の自然乾燥を貫く同店は宮本氏はじめ木工芸家の信頼が厚い。

      名古屋で各種銘木を扱う丸ス松井材木店の松井右近氏。代々のやり方のまま、
      十年以上の年月がかかっても銘木の自然乾燥を貫く同店は宮本氏はじめ木工芸家の信頼が厚い。

    • 丸ス松井材木店の前を流れる堀川は、名古屋城築城の際、建築資材運搬のために開かれた。
              木曽檜は木曽川から伊勢湾を経由し堀川で名古屋に運ばれたことから、昭和初期までこの界隈は日本有数の木材集積地だった。

      丸ス松井材木店の前を流れる堀川は、名古屋城築城の際、建築資材運搬のために開かれた。
      木曽檜は木曽川から伊勢湾を経由し堀川で名古屋に運ばれたことから、昭和初期までこの界隈は日本有数の木材集積地だった。

    • 京都市・下鴨神社近くの和菓子店「宝泉堂本店」。日本伝統素材の内装に、1999年から2009年にかけて宮本氏が手がけた商品棚と卓を配置する。

      京都市・下鴨神社近くの和菓子店「宝泉堂本店」。日本伝統素材の内装に、1999年から2009年にかけて宮本氏が手がけた商品棚と卓を配置する。

    • 京都市・下鴨神社近くの和菓子店「宝泉堂本店」。主人の古田泰久氏が丹精こめた商品がより美しく見えるようにと、テーブルや棚、椅子兼用の台などを宮本氏に依頼した。

      京都市・下鴨神社近くの和菓子店「宝泉堂本店」。主人の古田泰久氏が丹精こめた商品がより美しく見えるようにと、テーブルや棚、椅子兼用の台などを宮本氏に依頼した。

    木工には各分野の専門家がいるが、宮本氏は小物から家具まで多様な作品を手がける。
    また、木工芸品は美術館ではなく生活の場で活躍するのが本来の姿だと考え、
    長く愛用してもらえるように木の状態に心を配り、修理にも応じてきた。

    独立して最初に依頼を受けたのは一澤信三郎さんのお子さん用の学習机やった。一澤さんは親方の黒田乾𠮷さんや辰秋先生と知り合いで、ぼくが親方の仕事をしていたのを知っていたから、できるやろ、と。その後もいろいろ注文いただいて、お金がないときやから本当にありがたかった。

    テーブルとかつくるときはお客さんの家に行って部屋の雰囲気を見てどんな木が似合うか、どういう仕上げにするか、お客さんと話しながら考える。今の住宅の冷暖房は木にはきついな。無垢材だとトラブルになりやすいから、エアコンの部屋のような湿度のところで材料を乾燥させてから使うんやけど、それでも手入れが必要になることもあるな。

    修理して使い続けてもらうのはうれしいことやね。「大事に長く使いたい」と思ってもらえるものをつくりたい。樹齢百年の木でつくったものは、修理しながら最低百年もつようにつくらないと。経年変化を楽しめるように、いかに木の魅力を引き出すか。百年生きた木を使ったものを五年十年で潰してたら木に申し訳ないし、すぐに木が足らんようになってくるやろね。

    幸いなことに、ぼくのお客さんに「もっと安うせい」と言うてくる人はおらん。前に「安くできんか」と言うてきた人もあったけど、「できません」と断った。安くするために手を抜くことはぼくにはできない。注文してもらっても、納得する仕事ができへんかったら自分がつくる意味ないと思う。

    • 京都東山の帆布かばん店「一澤信三郎帆布」には会計カウンターをはじめ宮本氏の手がけた什器があちこちに配置され、手づくりのかばんを引き立てている。

      京都東山の帆布かばん店「一澤信三郎帆布」には会計カウンターをはじめ宮本氏の手がけた什器があちこちに配置され、手づくりのかばんを引き立てている。

    • 一澤信三郎帆布のミーティングルーム。独立まもない1991年、一澤信三郎氏が選んだホワイトオークで、写真の応接セットや店のカウンター等を制作した。

      一澤信三郎帆布のミーティングルーム。独立まもない1991年、一澤信三郎氏が選んだホワイトオークで、写真の応接セットや店のカウンター等を制作した。

    • 2008年制作の栗材の応接セットで一澤信三郎氏と。テーブルの脚や背もたれに刻まれた意匠、華やかな杢目の見せ方などに宮本氏らしさがあふれている。

      2008年制作の栗材の応接セットで一澤信三郎氏と。テーブルの脚や背もたれに刻まれた意匠、華やかな杢目の見せ方などに宮本氏らしさがあふれている。

    弟子はとらない方針だが、京都美術工芸大学の依頼に応じ、
    2013年より特任教授として学生たちに木工を指導している。
    木工を実践的に学べる大学は少ないため、全国から学生がやってくる。

    大学の話があったときは、教科書に載っていないノウハウを伝えられるかなと思って受けた。うちの息子は機械が好きでそっちの方面にいったから、息子には伝えられない。でも木工したい子たちに教えたら、次の世代に伝えられるやろ。

    学生もいろいろやね。自分がそのぐらいの年だったときこんなことできたかな、と思うような子もおるよ。今は情報がいっぱいあるし、パソコンを使って、すごいデザインしたりする。そのかわり情報を信頼し過ぎとるところもある。目の前に専門家がいるのに、誰が書いたかわからん記事を見て「こう書いてある」とか言うのは怖い。

    そういう子たちを十年教えてきたことで人間国宝に認定されたと思う。「これからも若い子をよろしくお願いします」という意味やろね。まだやったことないけど、外国で教えるのも、あんまり乾燥した場所でなければありえる。向こうの材料でつくって拭き漆するとか。日本の技術の伝承をよそでするのも面白いかもしれん。

    これからの自分の作品づくりでは、若いときにはできなかった枯れた作品をつくってみたい。体力的には落ちてきたかわり、見ていて疲れない、年相応の作品もこれからはやれるかなと思う。

    • 京都美術工芸大学で卒業制作を指導する様子。教え子たちの主な就職先は木工関係の企業である。宮本氏の背中を追うように、木工芸作家として活動している卒業生もいる。
      京都美術工芸大学で卒業制作を指導する様子。教え子たちの主な就職先は木工関係の企業である。宮本氏の背中を追うように、木工芸作家として活動している卒業生もいる。
    • 工具の使い方の指導では、けがをさせないよう気を使う。学生の多くが鉋や鑿を一度も使ったことがない状態で入学し、卒業までに伝統的木工芸の基本技術を習得し、ものづくりの楽しさを実感する。
      工具の使い方の指導では、けがをさせないよう気を使う。学生の多くが鉋や鑿を一度も使ったことがない状態で入学し、卒業までに伝統的木工芸の基本技術を習得し、ものづくりの楽しさを実感する。
    • 学生に見せるために大学に持ってきた、人生で最初につくった盆。上に載っているのは一年生の課題の豆鉋のサンプル。道具づくりを重視する姿勢をカリキュラムに反映させた。
      学生に見せるために大学に持ってきた、人生で最初につくった盆。上に載っているのは一年生の課題の豆鉋のサンプル。道具づくりを重視する姿勢をカリキュラムに反映させた。
    自分の老いを意識することで、拭き漆の艶やかさとは逆の恬淡とした表現に面白味を感じ始めたという宮本貞治氏。樹齢を重ね個性的な杢目をつくり出す木のように年齢を重ねた先にも人には美との出会いがある。

    宮本貞治「栗拭漆鉋目盛器」

    自分の老いを意識することで、拭き漆の艶やかさとは逆の恬淡とした表現に面白味を感じ始めたという宮本貞治氏。樹齢を重ね個性的な杢目をつくり出す木のように年齢を重ねた先にも人には美との出会いがある。

    自分の老いを意識することで、
    拭き漆の艶やかさとは逆の
    恬淡とした表現に
    面白味を感じ始めたという宮本貞治氏。
    樹齢を重ね個性的な
    杢目をつくり出す木のように
    年齢を重ねた先にも
    人には美との出会いがある。

    木工芸作家 宮本貞治<PART1「銘木に刻む流紋」編>

    2023年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された滋賀県在住の木工芸作家、宮本貞治氏。木の個性を活かし、「刳物」「指物」「拭き漆」という技法によって木の生きてきた時間ごと作品に仕上げます。その卓越した技術の土台となっているのは、師の黒田乾𠮷とその父で木工芸初の人間国宝、黒田辰秋の作品に学んだ、ものの見方と身体感覚であると言います。