
漆芸作家として作品を制作しながら、正倉院宝物の研究や、
文化財の修理や模造を手がけることによって、
日本の漆芸技術の歴史を自らに取り込んできた室瀬和美氏。
貴重な素材や難しい技術が、時代の奔流に失われなかった奇跡に感謝し、
蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝)として
日本の漆の未来のために、今できることに挑戦し続けている。
漆を薄く塗り、固め、みがく。下地だけでも、それを五回以上繰り返す。
漆という素材の強みを十分に活かすために、十分な手間と時間をかけるのは、
漆芸家にとって普通のこと。「百年かけて育った材料を、
百年使えるようにつくるのが、日本のこころ」と室瀬和美氏は言う。
日本には、見えないものへの崇敬の念があります。自然に対しては、「自然の中に人間が生かされている」と考え、自然からのものを大事に使う。ものをつくる人は、大事に使ってもらえるように、見えないところも美しくつくる。見えるところだけ装う「はりぼて」的な考え方は、使うことを前提としていません。
使うものを美しくつくることは、漆芸に限らず、日本の美の根底にあります。絵画でも、日本の襖絵や屏風絵は、使うもの。仏像も信仰で使うものといえます。そういう意味で、日本の美の中心には、使う人、相手というものがつねに意識されています。だから相手に喜んでもらうために、見えないところまでとことん丁寧につくる。
人には好き嫌いはあります。しかし、好みを超えたところに、究極の美があります。それは自分の趣味に合わないとしても、良い、美しいと感じられる。そして、絶対に使いやすい。そこを目指すのが私たちの仕事です。
蒔絵オルゴール
「響~モーツァルト」 Musical Box "Mozart"
縦27.5×横12.5×高10.8cm 2011
日本の美しい工芸品は、外国人にも喜びを与えることができる。
実際、南蛮貿易の時代より近代まで、精緻な工芸品は外貨獲得の手段でもあった。
世界が情報でつながる現代では、世界に日本の美を発信し、
日本のこころを輸出することが大事、と室瀬和美氏は考えている。
十年ほど前、イギリスの携帯電話の会社から仕事の依頼を受けました。はじめ「携帯電話のようにすぐ使えなくなるものは、つくりたくない」と断ったのですが、相手は「うちのモバイルは一生使えるから」と言うんです。一台一台が手づくりで、コンシェルジュサービスにつながるというものでした。
そのとき蒔絵の携帯電話を四台つくりました。値段は一台二千万円でしたが、完売。彼らは「ダイヤよりも手でつくったもののほうが、価値がある」と言うんです。日本の技術や材料を、他にはないもの、モノとしてだけでなくモノづくりの価値観ごと評価してくれました。
日本では多くの人が漆に限らず陶芸でも染織でも、日本にあるものはいつでも手に入れられるように思っているようです。でも、本当はそうじゃない。漆も今では輸入に頼っていて、国内需給率はたった2%です。だからこそ、自然から分けてもらった大事なものを大事に使う、という、もともと日本にあった価値観をきちんと世界に発信したい。世界に伝われば、経済もついてくると思うんです。
沖縄で琉球王国時代の漆工品の復元を手がけた経験から、
室瀬和美氏は消えた技術を取り戻す難しさを知りぬいている。
しかし、「伝統とは、守るだけではない」とも言う。
無形文化財とは、無形という通り、あるようで、ないものです。つくったものは形になるけれど、プロセスは形にならない。これは、人に渡しようがない。自分の子どもでも、それ以外の人でも、ほかの人には引き継げない。次の世代の人は、残されたものを見て、感じて、また自分で創りあげるしかありません。
教わるだけで、伝わるものではないんです。教わるだけなら、伝言ゲームの言葉のように、十人が伝える間に減っていってしまいます。次の世代が何かを感じ、創り出し、増やしていかないと維持できない。新しく加えていかないと、消えてしまう。だから、伝統というのは、守ることではなく、創ることです。
比叡山延暦寺の「不滅の法灯」と同じです。あの灯が消えないのは、若い僧侶が新しい油を継ぎ足しているからですよ。そういうものを、私は漆という素材を借りながら伝えていかなければならないと思っています。
華やかな蒔絵に込められた、
使う人の喜びを願い、次の世代を思うこころ。
室瀬和美氏が無形の技で伝えようとする、
そのこころを千年先の若者が受け取るとき、
漆の未来に新たな千年が加えられる。
(了)