傷に見えるものも、傷ではない。新しい美がそこに在る。
傷に見えるものも、傷ではない。新しい美がそこに在る。
日本画家 千住博「芸術家の視点」

あらゆる分野で、専門を分かつ境界が失われつつある二十一世紀、
アートの世界でも日本画と西洋画は接近しつつあり、
日本画で世界を目指す若者も増えてきた。その嚆矢ともいえる千住博氏は
近年は羽田空港新国際ターミナルのアートディレクションをはじめ、
公共施設に関わることも多い。かつて浮世絵が人々の生活の中にあったように、
千住博氏の作品は人々とともに今の時代を生きている。

  • 「クリフ」2012年 193.9 × 336.3cm

岩絵具で鮮やかな色の絵画を描いてきた千住博氏だが、2012年以降の「クリフ」シリーズでは、
和紙を揉みこみ偶然にできた皺に墨とプラチナを流し込むという、かつてない技法により
画面に断崖を出現させる。このシリーズ誕生の背景には、東日本大震災の衝撃があった。

 3.11の後、日本の人たちはみな傷ついていました。芸術家たちも「自分たちは無力かもしれない」と意気消沈して閉塞状態にあった時期、ふとアトリエにあった皺の寄った紙に目が留まりました。ふだんならそんなものは捨てるじゃないですか。でも、そのときは「これは崖じゃないか!」と思ったんです。さらに和紙を揉みしだき、絵具をかけたりしたら、自然の崖にとても近いものができた。そのことに私は非常に感動しました。傷つき破壊されたように見えるものの中に再発見されるべき美がある、と。
 自分が付けてしまった傷、あるいは付いてしまった傷。そのために絶望したり、悲観したりするのではなく、一歩入り込んで見方を変えれば、それは全然傷ではない。傷ついたり汚れたりしたことではないんだ、新しい生きる力、すなわち"美"が生まれたんだ。……そういう発想が、ポスト3.11に必要ではないかと思ったんですね。"美"とは生きる勇気の感性ですから。芸術家は、新しい視点を提案するのが仕事ですから。

  • 「クリフ」シリーズより。和紙はキャンバスよりも強く、揉みしだいて画材を流してもも破れない。そうした和紙の強靭さにより、この作品が成立しえた。
    「クリフ」シリーズより。和紙はキャンバスよりも強く、揉みしだいて画材を流してもも破れない。そうした和紙の強靭さにより、この作品が成立しえた。

崖を描くきっかけとなった皺のついた和紙は、作品を描く前のものだったが、
NYのアトリエでは完成したと思われた作品も、自ら買い戻した作品も、しばしば破り捨てられる。
千住博氏には、「破り捨てることも、絵を描くことの一部」という信念があるのだ。

 二十代、三十代では良くても、五十代の今では発表できない。そう感じたものは、すぐ破り捨てます。「歴史の判断に委ねるべきでは」とも言われますが、作者としては、残るべきではない作品を破り捨てることも愛情だと思っています。
 これまでに数千点という作品を描いていますが、自分で満足できた作品などほとんどありません。毎回作品が完成したときは、最高傑作だと思うんですよ。ところが、次の日には「なんだ、これは!」と山から谷に、それこそ崖のように転がり落ちているのが日常です。
 俳句の松尾芭蕉は門人の服部土芳(どほう)に「失敗はありますか」と聞かれたとき、「毎句あり」と答えたといいます。どの分野でも一流の芸術家は自分の絶望に対して、再挑戦、再挑戦を続けている。巨匠といわれる画家たちも、不屈の精神で描き続けたことが尊敬に値するのだと思います。

  • 東京の自宅兼オフィスに飾られた現代アート作品。気に入った作品を購入することで、若い画家を応援している。
    東京の自宅兼オフィスに飾られた現代アート作品。気に入った作品を購入することで、若い画家を応援している。
  • インテリアはすべて自身で選んだもの。日本の伝統工芸品、西洋アンティーク等をミックスさせて、美しい空間に仕立てるセンスはさすがである。
    インテリアはすべて自身で選んだもの。日本の伝統工芸品、西洋アンティーク等をミックスさせて、美しい空間に仕立てるセンスはさすがである。
  • 左「湖畔初秋図」 1993年 174.0×703.2cm 右「湖畔に蜻蛉図」 1993年 174.2×752.0cm
    作中の男女は、若き日の千住博氏と夫人。結婚記念に制作された作品で、ふたりのやさしい表情に見る者の心もあたたまる。
  • 「晩夏」 2016年 168.0×744.0cm 公共施設のための巨大な作品を手がけると同時に、日本の伝統的な障屏画にも意欲的に取り組む。

制作以外にも著作、教育等、多方面に活動する千住博氏。対談などで異分野の人々と語り合い、
物理学者や生命学者など、科学者の言葉に刺激を受けることも多い。
彼らの多くが、「人間が美しさを好むのは、生きるための本能である」と言う。

  • 千住博氏

 東大の名誉教授で物理学者の佐藤勝彦さんは「人間が緑を見て美しいと思うのは、そこに行けば生き延びられるからである」とおっしゃっていました。名言だと思いましたね。
 滝を美しいと感じるのも同じです。滝が流れる地球では、私たちが生きていくことができる。だから、美しいと感じる。それは日本の人だけ、人間だけではく、鹿やリスも滝に何かを感じていると思うんです。生命に関わることですから。
 滝が流れているのは、崖の上です。崖に流れる水を描くのが私の絵だとしたら、崖は私の人生といえるでしょう。滝を描こう描こうと思っていた私は、崖に這いつくばっていたんですよね。そのことに気づいたとき、生きていることの美しさを崖に感じることができました。
 崖を登るのは大変ですが、崖の上は眺めがいい。風当たりは強いけれど、清々しさもあります。人生崖っぷちといいますが、崖は人間の人生と相似形をなしているのです。

人間は自然の美しさをつくることはできない。しかし、千住博氏は芸術家として自然の美を描き、新しい視点を人々に提案することができる。そして、その作品は作家の人生が終わった後も、世界と対話を続けるだろう。(了)

人間は自然の美しさを
つくることはできない。
しかし、千住博氏は芸術家として
自然の美を描き、
新しい視点を人々に
提案することができる。
そして、その作品は
作家の人生が終わった後も、
世界と対話を続けるだろう。(了)

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