
香道に用いる香木は、ジンチョウゲ科の樹木が長い時をかけ樹液を蓄積したもの。
インドや東南アジアで産出される香木が、はじめて日本に入ってきたのは飛鳥時代。
平安時代には貴族の生活に浸透し、香料の調合を競う遊びも始まる。
貴重な香木を十分に楽しむには、財力はもちろん、洗練された教養やセンスも必要だった。
そのすべてを備えた室町時代の一流文化人、三條西実隆が香道御家流の祖とされ、
公家らしい華やかな香道は現在の当主、三條西堯水氏へと受け継がれている。
三條西家は、南北朝時代、正親町三條家から分かれた公家の家柄である。
室町時代の三條西実隆より香や和歌の家として公家社会の尊敬を集め、
三條西家の作法は「御家流」と称される。
香の家に生まれた三條西堯水氏には香木の香りは家庭の日常に漂うものだったという。
子どもの頃、父や祖父がごく普通に聞いている香りを「試してごらん」といった感じで聞くことは時々ありました。それは遊びのようなもので、ちゃんとしたお稽古は高校、大学になってからです。
和歌は、父や祖父から特別な指導を受けるということはなかったです。昔みたいな「古今伝授」は、ありませんよ。ただ、組香に出てくる和歌を自然に覚えたり、和歌は比較的身近だったかもしれません。子ども時代はかるたの百人一首もやりましたね。うちの家族はみんなムキになって札を取っていました。父ともやりましたよ。子ども相手でも手抜きをしない人でした。
大学卒業後はコンピューターの仕事をしていて、忙しくてなかなかお稽古できない時期もありました。父が亡くなったのはわりと急だったので、ちょっと困った点もありましたが、自分が生まれる前からお香をやっていらっしゃる方のお声を聞き、大先輩のお弟子さんのお声を聞き、という感じですね。お弟子さんのほうが先輩というのは、父の時代にはなかったことでしょう。
香道の流派
香道は室町時代、銀閣寺を創建した足利義政を中心とする文化サロンで形づくられた。義政と親交のあった三條西実隆を祖とする御家流、義政の近臣だった志野宗信を祖とする志野流が、二大流派として存続している。
貴族文化を背景とする御家流は、香の道具に華やかな蒔絵を好み、作法は比較的ゆるやかに、のびやかさを特徴とする。一方、武士文化を背景とする志野流は、禅の世界に通ずる簡素さを重んじ、木地の道具を用いるなど、流派によって道具や作法に違いがある。
三條西家の歴代が集めた香木の詳細は、当主もすべては把握していない。
一度香りを聞いたら無くなってしまうほど、小さくなってしまった香木もある。
それらがどのような香りなのか気にはなるが、そのまま子孫に渡すつもりだという。
香木はとにかく「古いものがいい」と言い続けられています。今の時代の人たちは江戸時代のものでもいいと言いますが、『源氏物語』の時代から「昔のほうがいい」と言われています。大宰府経由で香木が入ってくるようになったときに、光源氏は「最近のものはダメだね」と。我々からすると、その時代のものは、どれだけすごいか。もしタイムトラベルができたら、僕は絶対に光源氏の蔵に行きますよ。
うちにも古いものはありますが、どういう経緯で入手した等の記録はなく、香りがわからないものもけっこうあります。かといって、すべてを聞いて確かめることもできません。使えば使うほど、なくなってしまいますから。ワインのヴィンテージと同じですね。飲まないと味はわからないけれど、開けてしまったら終わりです。最後の1本のようなものは、開けられれない。それは伝えていかないといけないものですから。ワインが大好きで、一代限りなら、興味のままに最後の1本の封を開けるかもしれませんが、僕の場合は伝えていくことが大切なので、そこを考えるとできません。
二十一世紀の宗家として、若い世代に香道を伝えることは必須の課題だ。
新しい弟子たちに接するとき、作法を正しく伝えることよりも、
大事にしていることが、三條西堯水氏にはある。
いい香りというのは、リラックス効果がありますよね。海外には香水やアロマテラピーでリラックスするとか、香りの楽しみ方はいろいろあるのですが、香りといろいろな文学を結びつけて、さらに遊びの要素が入っているのは、日本だけですね。そういった遊びの中から、自分たちの内面を磨いていくというのが、香道のいいところではないかと思います。
また、アロマは個人の部屋に漂わせたり、あるいは個人がつけて楽しむものですが、日本の香道はほかの人と香りを共有するものです。そこが大事な違いであるように思います。すばらしい香りを人と共有し、和やかな時間を楽しみ、笑顔になって帰っていただくということを最も大切にしていきたいですね。
香りに加え、様々な文化的要素を併せ持つ香道は、日本の伝統に親しむための入り口にもふさわしい。三條西堯水氏はその扉を大きく開き、人々を受け入れている。
(了)