
二十世紀初頭、美術界において新しい潮流の発信地はフランス・パリであった。
第二次世界大戦後、アメリカ・ニューヨークの発信力が強くなったが、
芸術の国としてのフランスの立ち位置は今も世界に揺るぎない。
在仏半世紀以上になる画家、松井守男氏は、世界での存在感が弱まる故国を憂い、
フランスの発想を取り入れて社会を再生することを提案している。
1990年代後半以降、松井守男氏は活動の拠点をコルシカ島としている。
コルシカ島の美しい自然と情の厚いコルシカ人を愛する氏は
島に永住するつもりだが、2008年、日本にもアトリエを設けた。
場所は、長崎県五島列島の久賀島である。
2008年はじめ、日仏交流150周年記念にあわせ、銀座のシャネルで僕の個展がありました。そのとき旧知のコルシカの元大司教のすすめで長崎の高見大司教を訪問すると、11月に長崎の殉教者の列福式が行われるとのことで、「列福式に添える展覧会を」と依頼されました。「アフリカで黒いキリストが描かれているように、日本人のキリストを描いていただけないでしょうか」。そう言われて、キリシタンが隠れ住んでいた五島列島に案内され、久賀島と出会ったわけです。
久賀島にはコンビニもカフェもない。でも、僕のアトリエの場所としては日本で一番良かった。それは、久賀島にはコルシカ島にはない光があるから。海の色もまったく違う。コルシカは透明感のある青ですが、久賀島は海と山が近くて、海も緑色。それも僕の新しい色となりました。
久賀島は人も飾りがなく、素朴です。日本で子どもに絵を教える活動をすることがあるのですが、島の子どもたちのほうが発想は自由です。コンクリートブロックの割れ目に生えるタンポポを描く子がいたり、港にいるのに後ろの山を描いていたり。都会よりもよほど教育的な環境だと思うけれど、中学・高校で島を出てしまうと、子どもたちは戻ってこない。コルシカ島の子どもたちは大学を出たら戻ってくる。そこは政治の差だと思いますね。
COLUMN
久賀島と潜伏キリシタン
五島列島の南側に位置する久賀島は、もとは仏教徒のみの島だったと考えられている。十八世紀、五島藩の開拓移民政策に従って、外海地域の潜伏キリシタンが移り住み、島に新しい集落を形成した。移住地は農業に適さなかったので、旧来の住民の農業や漁業を手伝う関係が生まれ、他の島よりも交流は盛んだった。
幕末の開国後、居留民のため、長崎に大浦天主堂が建てられると、潜伏キリシタンが信仰の告白に訪れ、天草や五島でひそかに信仰が守られていたことが判明。日本人に対する禁教は続いていたので、キリシタンは厳しい迫害を受けた。久賀島でも「牢屋の窄」と呼ばれる弾圧があった。
しかし、1873(明治6)年、欧米の圧力により禁教が解かれ、その後は各地に日本人のための教会が建てられた。島内の教会堂跡やの潜伏キリシタンの墓地は、2018(平成30)年7月「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
日仏交流に携わり、日本の人々と交流する機会が増えると
日仏の違いに驚くことも増えた。アートビジネスや美術教育などでは
日本のやり方に疑問を感じることが少なくない。
フランスでは一般の家庭にも絵が飾られています。ヨーロッパの長い歴史から、絵がいざというときに資産になることも常識として知っています。高齢の夫婦は絵を買うときに孫を連れてきて、絵は心を豊かにしてくれることや、価値を見分けることの大切さなどを話して聞かせます。だから子どもも関心が高い。また、お金に余裕のない若い夫婦などは将来有望な学生の作品を買い、長い目で応援してくれます。
僕も学生時代からお客さんがついていました。普通は画廊や画商を通すけれど、僕は直接コミュニケーションを取るのも楽しかったし、権威的な画廊が嫌いだったから。ピカソも晩年までは画廊を通さず、「おまえの作品の値段はおまえが決めろ」と言っていました。今も僕はそうやっています。
日本では僕は何度も「あなたの名前は知らない。本当に有名なのか」と言われました。そういう人は自分がどう感じたかよりも、有名かどうかが気になるのです。フランスの人は自分が良いと思った作品を買うのですが。
ピカソは「人間は、生まれたときに、みな同じチャンスをもらうのだ」と言っていました。問題は、何を選択するか、ということ。アートに限らず、自分で判断し、選択することで、人生は変わります。日本にはそのことに気づいていない人が多いのではないでしょうか。
2020年日本滞在中にコロナ禍が始まり、2021年まで約二年間を
日本で暮らしてきた。異例の長期滞在で現代の日本をより深く知った今、
未来の日本のために、アートを活かしてほしいと感じている。
日本は景色がすばらしい国だと改めて思いました。たとえば、高速道路で東京と京都の間を移動していると、いつ行っても景色が違う。季節でも違うし、時間帯でも違う。湿気があるから山に霧がかかるでしょ。それがすごく美しい。飽きることがありません。
自然はものすごく変化に富んでいる一方で、走っている車の色は黒と白ばかり。成人式に招かれて行けば、女性はみんな同じような袴。他人と同じものを選ぶのが安心、という考え方が日本では当たり前なのが残念です。
アートは既成概念を取り払い、新しい価値をつくり出すもの。人と同じことをしていたら誰も見てくれません。ビジネスでも教科書がない時代ですから、アートの思考法はビジネスにも活かすことができます。日本はもともとすばらしい文化や美意識があり、浮世絵などはピカソにも影響を与えていました。その感性を取り戻してほしい。人生は一度きりだから、他人を気にしないで、自分のために感動と幸福を求めていいと思います。
松井守男氏にとって
育ての親であるフランスは、
自分で判断し、
責任を持つことを教えてくれた。
おかげで幸福な
今があると感謝しつつ、
身体には日本の血が流れている。
日本の人々も幸福であれ、
と祈らずにはいられない。