PREMIST SALON
北大路魯山人 日本の食を芸術と為した巨人の足跡

プロフィール

1883(明治16)年京都府生まれ。本名、房次郎。上賀茂神社の社家に生まれたが、幼少期は養家を転々とする。十代で懸賞金目当てに書を始め、西洋看板の仕事をしながら書を学ぶ。版下書家、書道教授、朝鮮総督府書紀などを経て、1914(大正3)年から日本各地を放浪。この間に書家、篆刻家として名を高め、陶芸に開眼。1920(大正9)年大雅堂美術店を開店。2年後、美食倶楽部を主宰。1925年(大正14)年、星岡茶寮を開き、美食家として名を馳せる。1936(昭和11)年放漫経営から追放され、以後作陶に専念。第二次大戦後アメリカで評価され、日本を代表する陶芸家に。1950(昭和25)年、重要無形文化財に推薦されるが辞退。1959(昭和34)年76歳で死去。

PART1「覚醒の地」編 陶芸家、北大路魯山人。加賀山代温泉の人々が導いた、食と芸術の融合。<「覚醒の地」編を読む>
PART2「美食の継承」編 「器は、料理の着物。」名店に受け継がれゆく、美しき食の哲学。<「美食の継承」編を読む>
MOVIE KITAOOJI ROSANJIN
KITAOOJI ROSANJIN IN KAGA YAMASHIRO PHOTO GALLERY 1
KITAOOJI ROSANJIN IN TOKYO PHOTO GALLERY 2
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