
日本の様々な芸能の要素を持つ歌舞伎から舞踊が独立し、発展してきた日本舞踊。
近年は日本舞踊に親しみにくいイメージを持つ人が少なくないが、
身体表現という意味では現在人気のダンスと変わるところはない。
日本舞踊家として半世紀以上のキャリアを持つ尾上墨雪氏は、
尾上流らしい品格を守りつつ、自身の年齢を活かす新たな身体表現を追求している。
尾上墨雪氏はクラシック音楽家との創作舞踊や海外での公演など、
日本舞踊の分野では挑戦的な活動を率先して行ってきた。
それは日本舞踊の本質を追究するための冒険でもあった。
日本舞踊はねじりの動作が多いことがひとつの特徴です。そして足を高く上げません。そこが西洋の舞踊とは大きく違います。西洋は肉体の美そのものを神のように尊びますけれど、日本舞踊は着物を着ます。日本でも「舞踏」は上半身で裸のことがありますが、舞踏と日本舞踊は全然違います。舞踏はテーマ性が強く、天に向かって自分を解放するような動きをします。それに対して、日本舞踊の動きは流れるようになめらかです。そして、風格と気品を大切にしています。
また、日本舞踊ですから、日本らしくないといけない。日本らしさとは人によっていろいろ意見があると思いますが、私はもののあわれを知る心とか、やさしさではないかと思います。日本は自然もやさしいですよね。その分、外来種との競争には弱いけれども、入ってきたものを受け入れて生き残ってきた面もあります。文化も同じです。拒否しないで、受け入れてしまう。それもある意味やさしさでしょう。
COLUMN
日本舞踊の
「舞い」「踊り」「振り」
日本舞踊の動きには、大きく分けて「舞い」「踊り」「振り」の三要素がある。
「舞い」とは回転運動であり、神事や呪術的な行為として神木や祭壇などの周囲を旋回したことが起源と考えられる。「踊り」は跳躍で、喜怒哀楽の感情を爆発させる表現でもある。「振り」は「〇〇の振り」というように何かの真似をすることを意味し、男女の日常動作の真似だけでなく、動物、鬼神、自然現象などの表現もある。
現代の日本舞踊では振りの比重が大きく、演じ分けの巧みさが観客の興味を引き付ける要素ともなっている。
私生活では一男一女に恵まれた尾上墨雪氏。ともに日本舞踊家であり、
長女・紫氏は女優としても活躍。家元を継承した長男・三代尾上菊之丞氏は
歌舞伎「風の谷のナウシカ」での振付をはじめ、新しい試みを次々と成功させている。
息子には家元を継いでくれるなら継いでほしいと思ってはいましたが、それより、「踊りで語り合えない親子関係はない」と思っていました。ぶつかってもいいから、日本舞踊の本質を語り合える親子でありたかった。途中から息子とはぶつかりっぱなしですが、それでいいのです。
家元を譲るのを決めたときは、息子から間接的に「そろそろ次のステップに」というようなことを言われまして、「そうか……」と。気学の専門家に聞いたら「まだ二、三年早い」と言われましたが、私は「今彼に勢いがあるのだから、今しかないだろう」と思いました。
菊之丞を譲った後の名前はどうしようか、いろいろ考えまして、「尾上」が山の頂であるところから、京都の東山の雪景色をイメージして「墨雪」としました。能楽の観世流には「雪」の号がありますが、それとは違うオリジナルの名前です。色を使わず墨で雪を描くというのは日本舞踊で私の目指すところに近く、まさに自分の名前と感じます。
2023(令和5)年に満八十歳を迎える尾上墨雪氏。
舞う姿はまだ若々しいが、表現者として「若いままで良いはずはない」と考える。
八十歳といっても、自分が子どものときに思っていた八十歳とは全然違います。気分としては六十代前半くらいに感じます。年齢とは何でしょうね。ただただ不思議です。
若いときは「枯れる美」というものに憧れたりしますけれど、ある先生から「枯れたらおしまいだ」と言われ、はっとしたことがあります。「生きているものは、枯れたらおしまい」。それは肝に銘じていますけれど、深みとか枯淡という味わいはある程度の年齢でないと出せません。私としては今後自分をそういうところに、自然にもっていきたい。年をとったら、とったなりの体の動き、筋肉の使い方というのがあると思うのです。ただ、プロとして踊るなら、余裕をもっていたい。筋肉をちゃんと使いたい。骨格もちゃんとしておきたい。
実演芸は、生の人間をお見せするものです。生の人間が肉体を使って、生きる力とか、感情とか、あるいは平和とかを訴える。それを見た方が喜んでくださったり、感動してくださったり、涙を流してくだされば、こんなに嬉しいことはありません。社会貢献にもなります。そのためにこれからも努力していきたいですね。
世阿弥は「風姿花伝」で、
すぐれた能役者に老いても残る魅力を
「まことの花」と呼んだ。
価値観の多様な現代日本で
まことの花とは一体どのようなものか。
尾上墨雪は自身の身体をもって
その花を探し続けている。