
明治時代、西洋画と区別するため「日本画」と呼ばれるようになった日本の絵画。
天然の鉱物を砕いて粉にした岩絵具を、膠(にかわ:動物性の油脂)で和紙や絹に
定着させるその技法は、地球のエネルギーと四季ある日本の風土を内包する。
世界の美術界において日本画で評価を得るのは難しいとされてきた中、
1990年代からNYを拠点に、国際的な活躍を続ける日本画家、千住博氏。
自然の中の美から受ける感動を、世界の人々と共有することを目指している。
千住博(せんじゅひろし)
1958年、東京都生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。1987年、同大学院後期博士課程単位取得満期退学。1993年、拠点をニューヨークに移す。1995年、ヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門で東洋人として初めて名誉賞を受賞。2007~2012年、京都造形芸術大学学長。現在は同大教授、2011年、軽井沢千住博美術館開館。2016年「ウォーターフォール」「クリフ」の世界的評価に対し、平成28年度外務大臣表彰受賞。妹はバイオリニストの千住真理子、弟は作曲家の千住明という、芸術家一家としても知られる。
1990年代に始まり、今も新作が待望される、
滝をモチーフにした「ウォーターフォール」シリーズ。
本物の滝がそうであるように、画面の上から下に絵具を流し落とすという斬新な技法は、
千住博氏の「滝らしい滝を描きたい」という一念から生まれた。
私が描く滝は、どこの有名な滝というものではありません。実際にイグアスの滝、ナイアガラの滝と、世界のいろいろな滝を見てはいます。滝として一番迫力のある形は何だろう、一番きれいな飛沫の上がりかたは何だろうと、徹底的に見て頭に入れ込み、描くときはそこからベストの組み合わせを選んでいます。現実をありのままに描くという人もいますが、私はそうではない。でも、私が描きたいのは、地球の滝という現実そのものなんです。
この地球上には水があり、重力があり、ほどよい温度があり、だから滝が流れている。人間を含め、すべての生命はそのおかげで生きています。それが現実の世の中じゃないですか。滝はそのことを私たちに教えてくれる大切な存在です。生命のエッセンスが凝縮されているので、私たちは本能的に美を感じるのではないでしょうか。
「ウォーターフォール」シリーズをはじめ、代表作の数々を一堂に展示する、
軽井沢千住博美術館は、自然の光がふんだんに入る建物そのものの美しさ、
植栽の色彩が展示作品とよく響きあい、空間全体がひとつの名作となっている。
作品の保護の意味から、ふつうの美術館では暗くて閉鎖的な空間で絵を見るようになっていますが、私は森の中を歩いていたら、たまたま絵があるようにしたかった。草花を見るような気持ちで絵を見るとともに、絵を見るように木や草花を見て、私たちが自然の宝の中に生きていることを感じてほしかったんです。その思いをくんで、建築家の西沢立衛は土地の起伏をそのまま生かした、素晴らしいプランを立ててくれました。
ガラス張りで、日光が入ってくるので、作品の劣化を心配されますが、天然の岩絵具は変色しないものなんですよ。地球は日に当たっても褪色しないですよね。それと同じです。和紙も、キャンバスや絹に比べると強い。
身近に接していただけるよう、作品をガラスには入れていません。たまたま傷がついたとしても、修復すればいい。絵はいずれにしろ百年たてば修復が必要になりますし、直らない傷はないのです。
2016年は伊藤若冲生誕三百年、琳派四百年の展覧会が話題になるなど、
日本美術の人気が国内外で高まっている。
千住博氏はその現象の理由を、現代アートが置き忘れ、
日本美術が追求してきたことを今の時代の人々が求めているため、と考えている。
西洋美術は「新発見」の積み重ねから成り立っています。一方、日本美術は「再発見」の積み重ねです。たとえば、桜を描く作家は、桜の美しさを発見するわけではなく、改めて気づいて描く。こんなに素晴らしい宝物があった、ということを再発見するのです。
また、今の人たちは「私は」ではなく「私たちは」という視点で、みんなで感動できるものを模索しているように思います。もともと日本ではみんなで感動を分かち合いたいという気持ちが強い。みんなで分かち合う、そのこと自体が喜びなんです。
「私たちは」という視点は日本美術に限りません。すぐれた芸術はいつの時代も「私は」ではなく、「私たちは」という複数形です。たとえばダヴィンチは、「私たちが生きている地球にはこんなに面白いものがある」といろいろな角度から伝えようとしたわけです。私自身も「私だけにわかる美しさ」ではなく、「こんなに美しい滝がある、こんなに素晴らしい地球に私たちは生きている」ということを、みんなに伝えたいと思っています。
NYら日本の美の深層を見つめ、自然に美の核心を見る千住博氏。あくまでも「私たち」の視点から、芸術の可能性に挑み続けている。
(後編 「芸術家の視点」編へつづく)