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スタッフからの現地便り

豊後武士その弐★大神氏のルーツ

  • 更新日:2010年03月15日
  • カテゴリ:歴史
           豊後武士その弐★豊後 大神氏のルーツ
 
                  はじめに  
  チリメンの決意
平日朝のテレビ番組では、星座による運勢占いが紹介されています。
ある日、チリメンの星座の運勢で『仕事運が今年最強の日!』と伝えられました。
喜びも、つかの間。
そんな最強の日に限って、いつも休日なのです。
仕方なく、その日は最強の家事の仕事をしました。
会社勤めの仕事運に恵まれないチリメンは、
『恋愛』と『ブログ歴史』に運命を賭けると、決意を新たにしました。
 
 
                    前   説
■豊後武士その壱★で、
  蛇神の子ども伝説が残る、豊後武士の姓祖:大神 惟基を、ご紹介致しました。
■今回のその弐★では、
  平安時代を遡り、遥か古代の神話から大神氏のルーツに迫りたい、と思います。
  このシリーズは写真が無いので、イメージ挿絵を駆使して、お届け致します。
  決して、手抜きではございません。 予めご了承くださいませ。 チリメンm(_ _)m
 
 
                    序    章
          日本神話 『大和の国造り
日本神話で、『出雲の大国主命が、大和の三輪山で国造りをした』と、有ります。
海に鍛冶翁が降臨し、「大物主神を三輪山に祀れば、大和の国が出来る」と、神託しました。
そして、大国主命が、自身の和魂を祀って造りあげた国が、大和の国なのです。
大物主神は蛇神で、国の守護神(和魂)・氏神であり、水神、雷神、豊穣神などでもあります。
ちなみに、大国主命の祖神は、三貴神のひとりで、海原を支配したスサノオ尊です。
のちに、大国主命は皇祖神と『出雲の国譲り』を行い、出雲大社で大黒大明神となります。
 
          三輪山(御諸山)の大神(おおみわ)神社
三輪山は、神々が降臨する日本各地の山々と同じく、円錐の形をしている山のようです。
大三輪山の物主)を祀る大神(おおみわ)神社は、大和国 磯城郡 大神郷に在ります。
神社に神殿は無く、拝殿から先は三輪山が御神体で禁足です。
日本神道の原型とも、日本最古の神社とも云われ、859年度の神階では正一位になっています。
 
古事記や日本書紀によれば、
10代 崇神天皇(在位:紀元前97~30)が、紀元前91年に大物主神を祀る社の創建を指示しました。
また天皇は、三輪山の蛇神の子とされる大田田根子命(男性)を、初代宮司に抜擢したとあります。
(神代の昔にあった大和の『蛇神の子ども誕生』が、のちに豊後でも繰り返されて伝説に成りました)

 
                        (神話の時代の三輪山での、できごと)
 
  一口メモ
■10代崇神天皇
  崇神天皇は、ヤマト王権前の三輪山を信仰する三輪王権の祖ともさています。
       ~実在の可能性もある大王で、3世紀後半から4世紀前半と推測されています。
       ~三輪山の北側に、崇神天皇陵が在ります。
        (三輪山の南側に在る、同年代に建造の茶臼山古墳が、三輪大王のお墓かも・・・・)
   ・・・・・・大和の国には、三輪王権前に邪馬台国があったとも云われています。
        (3世紀中ごろに建造の箸墓古墳が、年代が一致する卑弥呼のお墓かも・・・・)
 
■箸墓古墳
  箸墓の由来は、夫と別れる原因をつくったことを悔やんだ妻が、箸で死んだことからきています。
  箸墓物語=蛇神の大物主神が夜だけ人の姿に変えて、妻を娶りました。
         昼間に会いたいと訴える妻に応えて、大物主神は本当の姿(小蛇)を表します。
         妻が叫んだため、大物主神は三輪山に帰ったきり戻ることはありませんでした。
         これに後悔した妻が座り込んだときに、箸で死んでしまったのです。
  この妻が7代天皇の皇女:倭迹迹日百襲姫(やまとトトひモモそヒメ)で、崇神天皇の大叔母です。
  箸墓古墳は、倭迹迹日百襲姫大市墓として、崇神天皇陵よりも三輪山に少し近い箸中に在ります。
※日本に箸が伝来したのは7世紀とされていますので、箸墓物語は7世紀以降のお話と推測されます。
 
         
  二口メモ
■鍛冶翁
  大昔の伝説では、鍛冶翁がよく登場します。 ~宇佐八幡社の創建起因にも登場します~
  太古の時代の鍛冶作業は、金属を生み出す不思議で神秘で神聖なものでした。
  鍛冶で最先端技術を有する一族は、そのほとんどが渡来してきた人々です。
  渡来の鍛冶一族は、守護神・氏神として鍛冶翁を祀り、一族の繁栄を願いました。
  また渡来人は、大陸の蛇神信仰を持ち込みました。
 
■蛇神さま
  大陸の蛇神は、脱皮を繰り返すことから再生・継続発展・繁栄を約束する氏神です。
  繁栄継続の為に、稲の再生・生長に不可欠な水の神となり、併せて五穀豊穣神でもあります。
  (河川の形を蛇や龍になぞらえ、水田へ引水・治水などを司る神としても祀ったようです)
 
■大田田根子命
  大神神社の初代神官で、蛇神を父親としています。
  蛇神は大物主神の化身で、大物主神は大国主尊の和魂で氏神です。
  大国主尊の祖神はスサノオ尊で、スサノオ尊は新羅に降臨のあと出雲に降臨しております。
  スサノオ尊は、全国の八坂神社の主神(祇園さま)として祀られています。


 
 
                      本     章
          大神(おおみわ)神社の神官末裔
出雲流の蛇神を祖とする初代神官の大田田根子命の神裔で、孫に大友主命がいます。
大友主命は、14代 仲哀天皇(在位: 178~200)が崩御されたとき、宮中を守ったとされています。
この大友主命を氏神とする神官末裔らが、三輪氏、大三輪氏、大神氏へと分れていきます。
そしてヤマト王権の時代には、高級官僚・神官宮司として、日本各地へ赴任・下向したようです。
 
豊の国には、
◇568年~大神 比義(おおみわ ひぎ)が、宇佐に下向してきます。
◇886年~大神 良臣(おおみわ よしおみ)が、豊後の国介として赴任してきます。

 
          大神 比義 <豊前 大神氏の祖>
新羅討伐へ不満を持つ土豪らをヤマト軍が平定した筑紫磐井の乱(527年)など、倭国は乱れていました。
538年(525年説も)に、仏教が伝来したことで、時の権力者らは、倭国統治の律令に仏教を利用します。
中央の大和では仏教推進派の蘇我氏が、大神 比義を豊の国 宇佐郡に送ります~568年のことです。
571年~比義は、15代 応仁天皇(在位:270~310)を軍神として祀る宇佐八幡社の建立に着手します。
 
元々豊の国には、鍛冶翁を氏神とする渡来系 : 秦一族による矢幡(やはた)信仰が有りました。
地方神の矢幡と倭国の軍神が融合して『八幡』となり、神仏習合の仏教読みでハチマンと成りました。
宇佐在地の古豪:宇佐氏と大神氏は、交互に八幡社の神官を勤めたが、律令の弱体で大神氏は神職を失う。
豊前宇佐の大神氏の末裔は、豊前武士や速見大神(おおが)武士、博多で豪商となった大賀氏などもいます。    
八幡社が発展した平安時代の宇佐八幡宮は、豊前豊後にかけて九州一の荘園を持つ大勢力になります。

 
 
            大  本  命
          大神 良臣 <豊後 大神氏の祖>
豊後武士の直系ルーツに一番有力な人物です。
良臣を4代遡ると、大化の改新後の飛鳥時代の三輪 小首(みわの こびと)に当たります。
三輪氏は、大三輪氏・大神氏と同様に、大和国三輪山の大神神社の神官の子孫です。
 
三輪 小首が伊勢国で国介を勤めていたとき、壬申の乱が起きました~672年のことです。
小首は、美濃国で挙兵した大海人皇子(のちの40代 天武天皇 在位:673~686)に加勢しました。
そして、42代 文武天皇(在位:697~707)が、701年大宝律令を全国に制定したとき、
『大』を加えた姓を賜り、大三輪 真上田 子人(おおみわの まかむだの こびと)と名乗ります。
 
そして、子人の4代あと(孫の孫)が、大神姓と朝臣の字名を賜り、
大神 朝臣 良臣(おおみわの あそみ よしおみ)と名乗ります。
良臣は、朝廷官人として肥後と豊後の国介となり、豊後に下向しました~886年のことです。
 
律令制での任期は6年でしたが、良臣が善政したことにより、領民が任期延長の要望運動を起こします。
良臣は、九州鎮西の大宰府に願い出て許可を貰い、息子の庶幾(これちこ)を豊後に残し京へ帰りました。
留まった庶幾は、大宰府より豊後大野郡を担当する官職を与えられ、大野郡の国衙に赴任します。
大野郡の領民に大歓迎された庶幾は、運命の糸で結ばれた清川村の土豪娘と出会うのでした。

 
  (大野郡の山々の景色)[2010年2月撮影」
                             (大神 庶幾 と 華ノ本姫との出会い in 清川村)
豊後武士その壱★惟基誕生の祖母岳伝説どおり、貴族風青年と土豪娘が出会う恋愛話と符合します。
庶幾が美女の噂を聞き大野郡を希望したのか、大野郡の土豪による婿取り策略かは解りませんが、
相思相愛の大恋愛成就と信じたいものです。そして、大神 惟基(これもと)が誕生します。
          ~いにしえの出来ちゃった婚の♪ロマンチックが止まらない~
 
しかし、ちょっと年代的が合わないのです。
残る他の家系図を捜してみると、庶幾の4代あとに、大神 惟基(これもと)が生まれたものも有りました。
 
いずれにしても、大和大神流を継承する豊後大神氏の開祖(姓祖)として、惟基が誕生しました。
大神の氏神は蛇神で誉れの三輪王権の末裔であると、父の庶幾または代々が、伝えていたのでしょう。
幸いなことに、豊後 大野郡の国衙には、当時国営の牧草地と兵馬の増産訓練場が有りました。
領民の協力のもと武門鍛錬ができる環境こそが、弓を取っては九州一の武将:惟基を育て上げました。
  
                            (大神 惟基 の肖像)
武士となった惟基は、大神姓を神職名残りの「おおみわ」から「おおが」の読みに変えたようです。
時を経て再び蛇神の子として恐れらるほど、大神 惟基の名は九州武士の間で轟きました。
惟基を姓祖とする末裔たちは、豊後の国衙や宇佐八幡宮の荘園内で、37姓を持つ豊後武士へと発展します。
総じて勇猛果敢な豊後武士は、馬術と弓術に長け、機動力を備えた九州最強の集団となっていきます。
そして惟基の五代あとには、豊後の英雄:緒方 三郎 惟栄が誕生します。
 
                (緒方 三郎 惟栄 の肖像) ~恐ろしき者とは、五代前の 大神 惟基のことです~
 
  三口目メモ
■豊後武士が使う家紋には、下記の二つが多く採用されています。
  杉紋 = 大神神社ゆかりの紋 ~境内の杉の霊木がデザイン 
        一本杉 二本杉 三本杉など
 
  鱗紋 = 蛇神ゆかりの紋 ~鱗を表す三角形がデザイン 
        幾何学的な組み合わせは多数

 
  チリメン脱線
◇JR大分駅の南側には、上野の森と云う標高70mの小高い丘陵が、東西に長く大~きく広がっています。
 ・丘陵の中央から西側は、広い墓地公園になっており、頂きには大分市美術館が建っています。
 ・東側には、百合若大臣伝説が伝承される、5世紀ごろ築造の大臣塚古墳が残っています。
 ・丘陵地には、多くの古寺・神社と磨崖仏が在り、戦国時代の大友家『二階崩れの変』の館跡も在ります。
 ・丘陵を登って南へ下ると平坦になり、豊後国府が在ったと推測される古国府(ふるごう)町に出ます。
  (豊後国府は、886年に大神 良臣が国介として赴任してきた豊後武士発祥に縁りの場所です)
 ・丘陵東側の頂きには弥栄(やさか)神社が在ります。
 
弥栄神社  「以下の写真は全て2009年9月撮影」
  
 ・創建は第49代 光仁天皇(在位:770~781)の時代で、主神はスサノオ尊で、摂社は九社にも及びます。
  建立以来、領主が変わっても大切に守られてきた神社です~明治6年に郷社、大正5年に大分県社。
 ・昭和の中ごろまでは県社として、多くの曳山(ひきやま)が有って、祇園祭りは凄く賑わっていたそうです。
  
  (楼門の左下に、曳山の車輪と車軸の一部が残っています)
  (楼門の右隣には、宝物殿や神楽舞台が有ります) (参道には、白い神馬の像も有ります)

 ・神社の主神がスサノオ尊なので、弥栄を「やさか=八坂」と読むことに納得しました。
  
  (大鳥居には確かに、『祇園宮』と有ります。手前は、狛犬:イタリアン・グレー・ハウンド)
 
 ・神社拝殿の左横に、緒方 三郎 惟栄の石碑が建立されています。
  
  (緒方家縁りのご子孫らが、ご先祖のために建立された石碑です~素晴らしい事です)
  (碑文には、 惟栄のルーツと活躍が漢文調で彫られ、その偉業を称えています)
 
◇緒方 惟栄の5代前は大神 惟基で、惟基の先祖は大神 良臣で、良臣は大神神社の神官末裔で、
  大神神社は大国主命が大和国を造ったことが起因で、大国主命の祖神はスサノオ尊で、
  そして、スサノオ尊を祀る弥栄(八坂)神社の境内に、緒方 三郎 惟栄の石碑が在る・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・古代からの永いルーツが続き、めぐり巡って、深~い縁を感じます・・・・・・・・・・・・・
 
              さて次回、豊後武士の最終章★その参では、
     豊後武士を束ね九州の武将らも動かし、今も尚、大分県内で絶大な人気を誇る、
           豊後の英雄: 緒方 三郎 惟栄を、ご紹介させていただきます。

                                 文責/挿絵:チリメン「間違っていたらゴメンナサイ」

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