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[Part.1]「北海道開拓使」と「北辰旗」
[Part.2]歴史の重みを感じる石造りの建物で現代の食が花開く
[Part.1]「北海道開拓使」と「北辰旗」 北の地で繰り広げられた物語
1869年に北方開拓を目的に設置された「北海道開拓使」。その旗章として使用されていたのが、北極星をモチーフに五稜星を描いた「北辰旗」です。この五稜星のマークは今でも、北海道の歴史的発展に深く関わっているところで見ることができます。五稜星の誕生から現在に至るまで、北の地でどのような物語が繰り広げられたのか…。その歴史についてご紹介します。
  • 北海道開拓使
  • 開拓使たちのシンボル 赤い五稜星
  • 街の中に見え隠れする五稜星を探す
開拓使設置とともに政治経済の場も函館から札幌へ
  • 戊辰戦争最後の決戦地となった五稜郭
  • 五稜郭祭

 豊かな自然環境と食に恵まれ、毎年、国内外から多くの観光客が訪れる北の大地・北海道。その政治・経済の中心地は札幌市ですが、歴史を紐解いてみると、北海道開拓使が設置される以前、それは北海道の玄関口である箱館(現・函館)にありました。
 時は江戸時代後期、長年鎖国を続けていた日本に対し、次第に外国からの開国要求が強くなります。そうした動きを受け、1854年には日米和親条約を締結。開港した箱館は、五稜郭の築城やキリスト教の伝来などにより、一気に西洋化が進みます。1868年には、榎本武揚ら旧幕臣が五稜郭に立て籠もり、戊辰戦争最後の決戦に挑むも翌年あえなく陥落。明治政府の誕生により蝦夷地は北海道と改められ、開拓使の設置とともに、政治の中心は札幌へと移っていくのです。
 外国との交易が盛んになる中、1870年頃には交易船に旗を掲げることが定められていたため、開拓使長官・黒田清隆の指示によりデザインされたのが、青地に北極星を表す赤い五稜星を描いた「北辰旗」です。これが、「北海道船艦旗章」として認められ、それ以後、開拓使が建てた建築物や開拓使直営工場には、「北辰旗」のマークが付けられました。それらの建物は現在でも見られることができ、その多くは観光スポットとして親しまれています。

赤い五稜星は、開拓使たちのシンボル
  • 開拓の歴史も学べるサッポロビール博物館
  • 「赤れんが庁舎」の愛称で知られる旧北海道庁
  • 札幌の中心部に佇む「札幌時計台」

 開拓使の官営工場設立計画の一環として、1876年に建設されたのが、「開拓使麦酒醸造所」です。当初は東京での建設予定でしたが、開拓使勧業課長・村橋久成の進言により、環境や気候に恵まれた札幌での建設が決定。ドイツ帰りの中川清兵衛がビールの試作に取り組んだ結果、翌年、冷製「札幌ビール」が誕生し、高々と「北辰旗」を掲げた船で東京へと送られました。1886年に入ると、開拓使麦酒醸造所は民間に払い下げられますが、その後の発展は著しく、1906年には日本麦酒、大阪麦酒と合併し、日本一のビール会社へと成長。1964年に「サッポロビール株式会社」へと社名変更するなどさまざまな歴史を経ながらも、「五稜星」はトレードマークとして、ずっと引き継がれているのです。

街の中に見え隠れする五稜星を探してみよう
  • 黄色いボディに赤い五稜星の消火栓
  • JR札幌駅の壁面に設置された「星の大時計」

 道端に配された消火栓は、黄色いボディに赤い五稜星が、そして足元のマンホールの図柄の中にも、さりげなく五稜星があしらわれています。また、札幌市の玄関口であるJR札幌駅の壁面に大きく設置された「星の大時計」は、北辰星をモチーフに、北海道出身の彫刻家・五十嵐威暢氏がデザインしたものです。青い文字盤に白い星を配した時計は、昼間の青空にも夜空にも映え、札幌駅の顔として人気を集めています。
 このように、札幌市内には、至るところに五稜星が見え隠れしていますので、時計台やサッポロビール博物館などの観光スポットでは、五稜星に注目して撮影をしたり、街歩きの際には、身の回りにある星を探しながら散策するのも楽しいかもしれません。

[Part.2]歴史の重みを感じる石造りの建物で現代の食が花開く

※掲載の写真は平成26年5月に撮影したものです。

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