江戸切子作家、堀口徹。TOKYOを輝かせる、硝子の華光。
江戸切子作家、堀口徹。TOKYOを輝かせる、硝子の華光。
江戸切子作家 三代秀石 堀口徹「後継の誇り」

日々流行が生まれる東京で、19世紀から受け継がれている江戸切子(カットグラス)。
国の伝統的工芸品にも指定され、今も約100人の職人が活動中である。
その一人、堀口徹氏は、業界最年少で「日本の伝統工芸士」に認定された確かな技術と
伝統を現代の視点で解釈したデザインにより、江戸切子の革新に挑戦する。
2020年の東京五輪を控え、その活躍に異業種からも期待が寄せられている。

堀口 徹(ほりぐちとおる)

堀口 徹(ほりぐちとおる)

1976年東京・江東区生まれ。青山学院大を卒業後、父が経営する堀口硝子に入社。堀口硝子は、江戸切子の職人で「秀石」を名乗った祖父が創業した。入社後は、二代目秀石(須田富雄 江東区無形文化財)に師事。三代秀石を継承し、2008年「堀口切子」を創業。2012年「日本の伝統工芸士」に認定。国内外で作品を発表し、異業界からも注目される。グッドデザイン賞(2013年、2016年)ほか受賞多数。

日本橋髙島屋「三代秀石・堀口徹ガラス展」にて

伝統工芸には、「親の希望で」「家のために」と家業を受け継ぐ人が少なくない。
しかし、堀口徹氏は自ら江戸切子の職人を目指し、職人だった祖父が創業し、
父が経営するガラスの会社に入社した。「好きでこの仕事に入ったのは、自分の誇り」と語る。

 小さいときから手先を動かすのが好きで、伝統工芸の仕事に憧れがありました。中学三年のとき学校で将来の仕事についての時間があり、いろいろある中でも「おじいちゃんの後を継げたら、みんなも喜んでくれるだろう」と、江戸切子にしようと決めました。
 祖父の初代秀石は自分が小学一年のときに亡くなっています。いろんな人から話を聞かせてもらいましたが、相当な暴君だったらしいです。でも、祖父について語る人たちは「ひどいもんだったよ」と言いながら、みんな楽しそう。愛される人だったんですね。アイディアマンで商品開発が得意な、親分肌の人だったようです。
 大学を卒業したときも「江戸切子をやりたい」という気持ちが続いていて、実家の堀口硝子に入社しました。今考えれば、甘く見ていましたね。工芸学校や美大を出ていないのに、「自分は江戸切子の世界に入れる」と思い込んでいましたから。父は、親としては嬉しくても、経営者としては困っていたかもしれません。

  • 江戸切子とは

    江戸切子は透明ガラスの加工に始まり、近代に着色ガラスを被せる技法が加わった。

  • 江戸切子とは

    製品がつくられる過程を並べた。奥から、目安の線を引く「割り出し」、おおよその形を決める「粗摺り」、細かなカットを施す「三番掛け」、砥石での加工「石掛け」、光沢を出す「磨き」、仕上げの「バフ掛け」。

江戸切子とは

 天保5(1834)年、江戸大伝馬町のビードロ屋加賀屋久兵衛がガラスの表面に彫刻を施したのが、江戸切子の始まりという。幕末に薩摩藩でつくられた薩摩切子は藩の事業だったため明治維新で廃れたが、江戸切子は民間だっために、近代には西洋の技術が導入され、東京の産業として定着した。現在は、紋様をダイヤモンドホイールでカットし、砥石で仕上げたものを、研磨剤などで磨き上げてつくられる。
 職人はガラス会社の社員として働いたり、下請けとして加工作業を受注するほか、堀口氏のようにガラスのデザインから自身で手がけ、完全なオリジナルをつくる人も増えている。昭和60(1985)年に東京都の伝統工芸品に、平成14(2002)年に国の伝統的工芸品に指定される。

祖父の一番弟子だった二代目秀石(須田富雄 江東区無形文化財)に技術を学び、
32歳で「堀口切子」を創業。それは「職人になる」という初心を貫くための独立だった。

 江戸切子には色がついてキラキラときれいというイメージがありますが、実際に始めたら「スキ」と呼ばれる透明なものの魅力であったり、脇役的なカッコいい加工や、特殊な加工に魅了されていきました。
 自分は手先が器用なほうですが、手先が器用な人が有利なのは最初の五年だけ。十年ぐらい経つと不器用な人が追い付いてきます。大事なのは続けることで、器用な人は飽きがくるのが早いから、逆に危険ですね。自分自身、飽きっぽい性格ですが、江戸切子に関しては飽きなかった。やりたいことがいっぱいありました。
 でも、堀口硝子はガラス全般を扱っていて、自分は商品管理や営業など経営側の仕事もしていました。先輩が朝から晩まで加工していて、後輩の自分が他のことをしていたら、腕の差は埋められません。目と体力を使う江戸切子職人は、スポーツ選手と同じで、二十~三十代で一定の技術を身に付けなくてはいけないので、32歳での独立はぎりぎりのタイミングでした。堀口硝子が嫌いで独立したわけではなく、江戸切子部門として独立したという気持ちです。

  • 人を驚かせることが好きだという堀口氏。ぐい呑みに酒を注ぎ、傾けるという動作ごとに異なった光の像が現れる。
    人を驚かせることが好きだという堀口氏。ぐい呑みに酒を注ぎ、傾けるという動作ごとに異なった光の像が現れる。
堀口切子「緑被籠目ニ麻ノ葉文蓋物」(みどりぎせかごめにあさのはもんふたもの)
堀口切子「緑被籠目ニ麻ノ葉文蓋物」
(みどりぎせかごめにあさのはもんふたもの)

独立の翌年から二年連続で江戸切子新作展にて最優秀賞を受賞するなど、
伝統の技術によって現代的な感性を表現した作品で、頭角を現す。
「伝統工芸」の型にはまらない姿勢は、工場のデザインにも貫かれる。

  • 白を基調にしたインテリアにあわせ、機械も白を選んだ。カラーを選べない機械は、別注で白く塗り替えた。
    白を基調にしたインテリアにあわせ、機械も白を選んだ。カラーを選べない機械は、別注で白く塗り替えた。
  • オリジナル作業コートは、お気に入りのブランドに依頼した。作業中の背中を丸めた姿勢でも樂なデザインとなっている。
    オリジナル作業コートは、お気に入りのブランドに依頼した。作業中の背中を丸めた姿勢でも樂なデザインとなっている。

 四十~五十年前のものづくりは、企画する人、デザインする人がいて、各職人に仕事を割り振っていたので、職人は手が早く正確に作業できるのが第一でした。今は職人でもマルチな能力が求められ、デザインや営業も、という風になっています。自分も独立したときから、ブランディングを意識しました。工場を白で統一したのもその一環ですね。好きでやっている仕事だから、好きな空間で働きたいじゃないですか。そうすると、見る人が見れば、「こういうセンスの人なんだ」と伝わります。
 「江戸切子の工場らしくない」と言われますが、それも意識しました。江戸切子とは東京でつくられているカットグラスのことで、それ以外はとくに縛りがありません。産業としての側面もありますから、大正時代はアールデコ調をつくったり、時代ごとに使い手のニーズに合わせてきました。だから、伝統工芸でありながら自由度が高く、ガラスで何をやってもいい。「江戸切子らしくない」と言われることは、むしろ江戸切子らしいと思っています。

堀口徹

江戸切子という伝統工芸に、
大きな自由を見出した堀口徹氏。
2012年最年少で伝統工芸士に認められ、
「江戸切子らしくない」作品の数々は、
若い世代が江戸切子というジャンルを知る
きっかけにもなっている。
(後編へ続く)

PREMIST SALON MOVIE HORIGUCHI TORU
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江戸切子作家 三代秀石 堀口徹<「後継の誇り」編>