竹工芸作家、藤沼昇。言語を超えて伝わる、竹のエネルギーを編む。
竹工芸作家、藤沼昇。言語を超えて伝わる、竹のエネルギーを編む。
竹工芸作家 藤沼昇「海を渡る竹工芸」

アジア各地で古くから生活用品や建築等の材料として親しまれる竹。
日本では室町時代より茶人が籃を花入れとして賞翫するなど、
竹工芸は鑑賞の対象でもある。近年では欧米で日本のアートとして認知され、
2019年はニューヨークのメトロポリタン美術館での展覧会が日本に巡回し、
日本の人々はようやく海外での熱狂に気づき始めた。
潮流の変化に貢献した一人、竹工芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)、
藤沼昇氏は地元・栃木県大田原市を拠点に、世界に通じる竹の美を探求し続ける。

藤沼 昇(ふじぬまのぼる)

藤沼 昇(ふじぬまのぼる)

1945(昭和20)年、栃木県大田原市に生まれる。1976(昭和51)年30歳で地元の竹工芸作家・八木澤啓造に師事。精緻かつ独創的な作品は、1981(昭和56)年より日本伝統工芸展で受賞を重ね、1986(昭和61)年日本工芸会会長賞受賞。2004(平成16)年紫綬褒章受章。2005(平成17)年ロスアンゼルス日本文化会館での個展、2011(平成23)年シカゴ美術館での個展などにより、アメリカにファンを獲得。2012(平成24)年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。作品はシカゴ美術館、大英博物館、メトロポリタン美術館、MOA美術館、東京国立近代美術館などに所蔵される。

浮世絵や陶磁器、漆器と違い、日本の竹工芸は世界に紹介される機会が少なかった。
しかし近年、竹工芸は日本のアートとして海外で展覧会が開催され、
アート市場でも注目される分野となりつつある。

 日本の竹で編まれた籃を、アメリカでは美術商が取り扱っていると聞くと、日本の人は驚きますよね。竹といえば「竹細工」と思っている人が多いから。私も昔はそうでした。
 「竹細工」とは、伝承のものづくりです。伝統の形をそのまま伝統の技法でつくります。「竹工芸」は創作です。「創」の字は、どういう意味かご存じですか? 初めてものをつくり出すことですよ。makeではない、creation。自分の頭で想像し、思ったことを形にする。自分でデザインを考えるのが、作家です。自分で考えたデザインを実現するために技法も考えるから、creationは技術を進化させます。
 竹を素材とする作家には、いかにも現代アートという感じのインスタレーションを得意とする人もいるけれど、僕は生活に役立つものをつくりたい。生活は「生命の活動」です。生活に役立つということは、人間の魂の活動に役立つこと。その人が誰かを喜ばせようとものを飾ることも、「用の美」の「用」だと思います。

  • 伊勢﨑淳氏の実家の庭にある、室町時代の壺。当時は水や酒などの保存に大壺が必要だった。実家は現在、甥の陶芸作家・伊勢﨑創氏が引く継ぐ。

    地元の竹を集め、保存している。
    その中から、次の作品のイメージに合う竹を選ぶ。

  • 今回の取材時に制作していた作品のアイディアスケッチ。使用するひごの本数は、これまでの経験をもとに計算して割り出す。

    今回の取材時に制作していた作品のアイディアスケッチ。
    使用するひごの本数は、これまでの経験をもとに計算して割り出す。

  • 1本の竹を半分に割き、4分の1に割き、8分の1に…という過程を繰り返し、幅1.6㎜、厚さ0.4㎜の竹ひごを、外側用に360本、内側用に240本をつくる。

    1本の竹を半分に割き、4分の1に割き、8分の1に…という過程を繰り返し、
    幅1.6㎜、厚さ0.4㎜の竹ひごを、外側用に360本、内側用に240本をつくる。

  • 1本の竹を半分に割き、4分の1に割き、8分の1に…という過程を繰り返し、幅1.6㎜、厚さ0.4㎜の竹ひごを、外側用に360本、内側用に240本をつくる。

    1本の竹を半分に割き、4分の1に割き、8分の1に…という過程を繰り返し、
    幅1.6㎜、厚さ0.4㎜の竹ひごを、外側用に360本、内側用に240本をつくる。

  • 竹ひごを染料の入った大鍋で加熱し、色を染める。

    竹ひごを染料の入った大鍋で加熱し、色を染める。

  • 底の部分から編み始める。この作品では底を「鉄線編」で六角形の模様をつくる。

    底の部分から編み始める。
    この作品では底を「鉄線編」で六角形の模様をつくる。

  • 底の部分に続き、胴の部分を編む。最初は円形に広がっていたひごが、立体になっていく(後編に続く)

    底の部分に続き、胴の部分を編む。
    最初は円形に広がっていたひごが、立体になっていく(後編に続く)

日本の竹工芸

 竹工芸の技法は、割いた竹を組む・編むことによって造形する「編組物(へんそもの)」、竹筒のまま用いる「丸竹物(まるたけもの)」に大別される。
 竹でものを編むことは、縄文時代すでに行われていた。その後、鉄器の普及により、大型の竹の利用が進んだと考えられている。室町時代に茶の湯と竹工芸が結びついだことや、生活文化の発展に伴い、インテリアとして美しい(かご)が求められたことなどから、精緻な技法が発展。華麗な花籠は江戸時代の画人に好まれた題材でもあった。
 明治時代、陶芸や漆芸に比べ、竹工芸は「竹細工」として一段低く見られていた。しかし、大正から昭和にかけて活躍した飯塚琅玕斎(ろうかんさい)は作品の芸術性を高め、後進に大きな影響を与えた。

なぜ竹工芸が今、欧米で注目を集めるようになったのか。
その答えは、竹という素材のシンプルさにあると藤沼氏は考える。

 色を染めたり、漆を塗ったりしますが、竹にはお化粧的な要素がありません。たとえば、陶芸では窯で焼いた後は、人の手が触れていた粘土とはだいぶ離れた姿になっているでしょう。でも、竹は僕の手が触れていた姿そのまま。だから、その竹に作者がどう向き合ったか、作品にそのまま出てしまいますよ。
 大きい作品を買ってくれた人が玄関に飾っていて、「家に帰って作品に触れると『おかえりなさい』と言われているみたいで、毎日エネルギーをもらえる」と言っていたんです。それを聞いたときには、ちゃんと伝わったんだと嬉しかったですね。
 僕の制作のテーマは「気」。この仕事を始めて十年ぐらいして、「気」はエネルギーだということに気づいて、竹と自分の気を合わせることをすごく意識するようになりました。竹はシンプルな素材なので、そうやって気を合わせ、気を入れてつくると、見る人はちゃんと何かを感じてくれるんです。

  • 竹のエネルギーが迸るような作品「春潮」。この太さのものを編むのは力が要るが、無理に力を加えると折れるため、竹の声によく耳を傾け、宥めるようにしながら力を加える。
    竹のエネルギーが迸るような作品「春潮」。この太さのものを編むのは力が要るが、無理に力を加えると折れるため、竹の声によく耳を傾け、宥めるようにしながら力を加える。
  • 工房に併設されたギャラリー。海外のコレクターや研究者が訪れることも。

    工房に併設されたギャラリー。
    海外のコレクターや研究者が訪れることも。

  • 「どの作品が好きかで、その人の心理状態がわかる」と藤沼氏。「人は自分に欲しい力を感じさせる作品を好きになるんですよ」

    「どの作品が好きかで、その人の心理状態がわかる」と藤沼氏。
    「人は自分に欲しい力を感じさせる作品を好きになるんですよ」

1990年代末からアメリカで展覧会を行い、
作品の販売をアメリカのエージェント(代理人)に委ねている藤沼氏。
コレクターの作品の選び方や扱い方に、日米の違いを感じることも多い。

  • ギャラリートークでは軽妙な語り口で聴衆を沸かせる。銀座・和光の「工芸・Kôgeiの創造-人間国宝展-」にて。
    ギャラリートークでは軽妙な語り口で聴衆を沸かせる。
    銀座・和光の「工芸・Kôgeiの創造-人間国宝展-」にて。

 日本でアート作品を購入する人はたいがい世間での評価とか、メディアでの何かで選びますが、アメリカのコレクターは自分がいいと思ったものを選びます。他人の意見は、ギャラリーの人の意見でさえあんまり聞かない。アメリカのお金持ちは自分で事業を立ち上げて成功した人が多いでしょ。だから、自分の価値観を一番信じているんですね。「ギャラリーで作品を見て気になったけれど、ノボルがどんな人なのか見てから決めたかった」と、わざわざアメリカから栃木まで僕に会いに来た人もいました。お金だけでなく、熱意もすごいんだ。
 作品を買った後も、アメリカは違う。自分が生涯をかけて集めた美術品を子どもに遺さないで、美術館に寄贈します。英語で才能をGiftというけれど、神に与えられた才能で稼いで手に入れたものだから、社会に還元する。それを次の世代が見て学ぶ。そういう循環が日本にもほしいですね。

藤沼 昇(ふじぬまのぼる)
何かを創造するには、伝統や前例を守るよりも多くのエネルギーが必要だ。藤沼昇氏はそのために人生の全てを竹工芸に捧げ、日々竹と向き合った。そんな彼の作品が放つ波動は、言葉を超えて、夢を持つことの大切さとイノベーションの価値を知る世界の人々に届いている。(後編へ続く)

何かを創造するには、伝統や前例を
守るよりも多くのエネルギーが必要だ。
藤沼昇氏はそのために人生の全てを
竹工芸に捧げ、日々竹と向き合った。
そんな彼の作品が放つ波動は、
言葉を超えて、夢を持つことの大切さと
イノベーションの価値を知る
世界の人々に届いている。
(後編へ続く)

PLATINUM SALON MOVIE VOL.21 FUJINUMA NOBORU
PLATINUM SALON FUJINUMA NOBORU PHOTO GALLERY 1
竹工芸家 藤沼昇<「下野竹取物語」編>