使う人が幸福になることがつくり手には一番の幸福である。
  • 使う人が幸福になることがつくり手には一番の幸福である。
    窯から出てきたばかりの「叩き唐津黒紅茶盌」。
    鉄釉とセレン赤という顔料を藁灰釉に混ぜて焼成し、
    引き出すことで艶やかな紅色を出す。十四代が完成させた技法である。
  • 陶芸家 十四代 中里太郎右衛門「幸福の創出」

    豊臣秀吉の時代から焼きものの名産地となった肥前唐津。
    現在の佐賀県唐津市には約七十の窯元があり、それぞれ個性を競っている。
    唐津藩の御用をつとめた中里太郎右衛門窯はその中で最も古く、
    歴代当主の名作や研究のために収集された貴重な古唐津を多数所蔵する。
    現在の当主である十四代は、窯が受け継ぐものを自身の作品に活かすだけでなく、
    地域活性化に役立て、故郷に笑顔を増やす試みを続けている。

    • 足で回転させる「蹴轆轤」で茶盌を成形していく。
              蹴轆轤は朝鮮半島から渡ったもので、日本では唐津から使うようになった。
              瀬戸では中国から伝わった手動の轆轤を用いる。

      足で回転させる「蹴轆轤(けろくろ)」で茶盌を成形していく。
      蹴轆轤は朝鮮半島から渡ったもので、日本では唐津から使うようになった。
      瀬戸では中国から伝わった手動の轆轤を用いる。

    • 数分の間に扱いにくい唐津の砂っぽい土をのびやかに成形し、大ぶりの茶盌に仕上げる。完全な左右対称ではないのが手づくりの味わいに。

      数分の間に扱いにくい唐津の砂っぽい土をのびやかに成形し、大ぶりの茶盌に仕上げる。完全な左右対称ではないのが手づくりの味わいに。

    唐津焼は基本的に手づくりで、工場生産はされていない。
    そのため経済規模は大きくないが、国内外に唐津焼のファンがいるため
    唐津という名をPRする上で大きな役割を果たしている。

    唐津焼はお茶というイメージがありますけれど、お茶をしない人にも人気があります。玄人好みがするというか、好きな人は本当に好き。とくに酒器はものすごいコレクターがいっぱいいます。外国の人にも人気で、とくに朝鮮唐津が好きという人が多いです。令和五年度から事務方に入ってもらったオーストラリア出身のスタッフも、朝鮮唐津が好きでうちに来たといいます。今、唐津焼が好きで唐津に来る人は、日本人より外国人のほうが多いかもしれないです。

    唐津焼は素朴で土の味わいがよく、釉薬も含め、色もきれい。何より、使うほどに良くなるのがいいですね。唐津焼の特徴として、貫入といって、表面に釉薬のひび割れのようなものができます。長い間使っていると、そこに茶渋とかが定着して色や風合いが若干変わるんですね。それは悪いものではなく、使って変化するのを楽しむ。だから、唐津焼は「作り手八分、使い手二分」と言います。使って育てるというのが、好きな人にはたまらない。

    • 全国から唐津焼のファンが集まる「唐津やきもん祭り」の様子。秋には窯元見学ができる「唐津窯元ツーリズム」を開催。(写真提供:唐津観光協会)
      全国から唐津焼のファンが集まる「唐津やきもん祭り」の様子。秋には窯元見学ができる「唐津窯元ツーリズム」を開催。(写真提供:唐津観光協会)
    • 佐賀は日本酒の産地でもあり、唐津市内では地元の酒、魚を唐津焼で楽しむことができる飲食店が少なくない。(撮影協力 鮨 笑咲喜)
      佐賀は日本酒の産地でもあり、唐津市内では地元の酒、魚を唐津焼で楽しむことができる飲食店が少なくない。(撮影協力 鮨 笑咲喜)
    • 貫入は窯で焼いた器が冷える過程で、素地と釉薬の収縮度の差から生まれる。土によって貫入の入り方は異なり、陶器を鑑賞するポイントとなっている。
      貫入は窯で焼いた器が冷える過程で、素地と釉薬の収縮度の差から生まれる。土によって貫入の入り方は異なり、陶器を鑑賞するポイントとなっている。
    • 唐津の土は基本的に砂質で、粘り気が少ない。この土質が唐津焼に貫入が生まれる理由にもなっている。
      唐津の土は基本的に砂質で、粘り気が少ない。この土質が唐津焼に貫入が生まれる理由にもなっている。
    COLUMN 登窯での焼成

    登窯とは焼きものの焼成に使われる炉のタイプのひとつで、土地の傾斜を利用して熱を低いところから高いところに移動させ、効率的に炉を高温に保つことができる。この技術は中国で開発され、朝鮮半島を経由し唐津に伝わった。

    登窯では「連房式」と呼ばれる房が連続したものが一般的だが、中里太郎右衛門窯で主に用いられているのは、古い唐津焼で用いられ、十二代が復活させた「割竹式」に近い形である。

    登窯での焼成は時間がかかり、失敗も多い。釉薬の種類によっては登り窯が向かないものもあり、中里太郎右衛門窯においてもガス窯を使用する場合もある。しかし、現在、十四代の作品はほぼすべて登窯で焼成し、薪の炎や自然の灰がつくり出す表情を活かしている。

    • 中里太郎右衛門窯で現在メインで使用している登窯は2005年に築窯したもので、四室が連なる。
              「胴木間」は焚き始めに火を入れるところ。他にもより小さい登窯やガス窯などがあり、用途で使い分ける。

      中里太郎右衛門窯で現在メインで使用している登窯は2005年に築窯したもので、四室が連なる。
      「胴木間」は焚き始めに火を入れるところ。他にもより小さい登窯やガス窯などがあり、用途で使い分ける。

    • 「窯詰」と呼ばれる窯に器を並べる作業の様子。炎の動き方や灰の飛び方を予想しながら置く場所を決める。
              壺を置くところには釉薬がくっつかないように籾殻の灰を敷く。

      「窯詰」と呼ばれる窯に器を並べる作業の様子。炎の動き方や灰の飛び方を予想しながら置く場所を決める。
      壺を置くところには釉薬がくっつかないように籾殻の灰を敷く。

    • 窯を焚く際には、焚口の上部に酒、塩、いりこを供え、窯の神様に祈りを捧げる。
              いつから始まったのかわからないほど古くから続く習わしだ。

      窯を焚く際には、焚口の上部に酒、塩、いりこを供え、窯の神様に祈りを捧げる。
      いつから始まったのかわからないほど古くから続く習わしだ。

    • 第一の房の内部が1300℃になると入り口を閉じ、第二の房の口を開いて薪をくべる。
              投げ入れる薪の量に合った空気がないと逆に温度が下がるため、タイミングを見計らう。

      第一の房の内部が1300℃になると入り口を閉じ、第二の房の口を開いて薪をくべる。
      投げ入れる薪の量に合った空気がないと逆に温度が下がるため、タイミングを見計らう。

    • ふつうは焼成後は24時間以上窯を放置し、熱が冷めてから取り出すが、
              焼成中に窯から引き出し急冷することによって艶やかな色を出す技法もある。

      ふつうは焼成後は24時間以上窯を放置し、熱が冷めてから取り出すが、
      焼成中に窯から引き出し急冷することによって艶やかな色を出す技法もある。

    唐津焼は唐津市唯一の国指定伝統的工芸品であるが、市内に唐津焼専門の公的施設がない。
    十四代中里太郎右衛門は長く美術館の建設を市に訴えているが、
    実現の道はまだ遠いと見て、令和2(2020)年、「御茶盌窯記念館」を開設。
    中里家が所有する歴史的価値のある古唐津や歴代の名品を一般に公開している。

    残念ながら、唐津焼を地元の誇りに思ってくれている人は一部に過ぎないです。「唐津といえば、唐津おくんち」と言う人が多い。地元の人がそうだから、議員も行政もそうなります。

    何十年も唐津焼の美術館が欲しいと思っていて、父が亡くなったときに膨大なコレクションを唐津市に寄贈しました。当時の市長は美術館について検討委員会を立ち上げてくれ、できる寸前まで行ったけれども、結局できませんでした。それで思い切って「御茶盌窯記念館」を開きました。建物は中里家の旧宅をリノベーションしています。

    せっかくつくるならただ見るだけでなく、唐津焼を使って食事ができるようにしたかった。それが一番の希望でしたね。器は使ってこそ本当の良さがわかります。ここで調理もできるよう、小さいながらプロ用の厨房機器を揃えたキッチンをつくりました。シェフや鮨屋さんに来ていただいて、唐津の美味しいものを古唐津やうちの作品で召し上がっていただくイベントは、毎回お客さんにすごく喜んでいただいています。

    • 築百五十年以上の中里家の旧居と蔵をリノベーションした「御茶盌窯記念館」。歴史的な名品や歴代当主の作品を通し、唐津焼の多彩さに触れることができる。
      築百五十年以上の中里家の旧居と蔵をリノベーションした「御茶盌窯記念館」。歴史的な名品や歴代当主の作品を通し、唐津焼の多彩さに触れることができる。
    • 和室では十一代以降の歴代当主の代表作を大型テーブルに置いて展示。床には十二代作「叩き朝鮮唐津花生」に庭の花をいけ、季節の軸を飾る。
      和室では十一代以降の歴代当主の代表作を大型テーブルに置いて展示。床には十二代作「叩き朝鮮唐津花生」に庭の花をいけ、季節の軸を飾る。
    • 十二代中里太郎右衛門(無庵)「叩き朝鮮唐津花生」1979年
                日常的な環境で歴代当主の名品を鑑賞できるのも御茶盌窯記念館ならでは。窓からの自然光で見る唐津焼はより美しい。
      十二代中里太郎右衛門(無庵)「叩き朝鮮唐津花生」1979年
      日常的な環境で歴代当主の名品を鑑賞できるのも御茶盌窯記念館ならでは。窓からの自然光で見る唐津焼はより美しい。
    • 御茶盌窯記念館での食事会の一例。地元の人気店の主人や県外の有名シェフが腕をふるった料理を古唐津や歴代当主の作品でいただく。
      御茶盌窯記念館での食事会の一例。地元の人気店の主人や県外の有名シェフが腕をふるった料理を古唐津や歴代当主の作品でいただく。
    COLUMN 唐津焼の多様性

    御茶盌窯記念館に展示されている歴史的な唐津焼には、古唐津と呼ばれる素朴で力強い唐津焼の他に、唐津藩の献上品としてつくられた「献上唐津」がある。

    献上唐津は繊細な呉須絵や象嵌による装飾を施しているのが特徴的である。将軍家や位の高い大名家などへの献上品であったことから、上品さやおだやかさが求められたと考えられている。献上品としては茶器や食器のほか床を飾る香炉や置物などもつくられた。

    現在も唐津でつくられる陶器は幅が広いが、どれも「唐津焼」と呼ばれる。一つの技法、一つの意匠にとらわれないのは唐津焼の伝統といえるだろう。中里太郎右衛門窯も同様で、当主によって作風は異なる。十一代は藩の御茶盌窯で置物などをつくる仕事に従事し、廃藩後も器はつくらず陶彫を専門とした。十二代は古唐津の技法を復活させ、十三代は得意な絵を活かしモダンな表現を試みた。十四代も「朝鮮絵唐津」という新しい技法に取り組むなど、独自の作風を探求している。

    • 「献上唐津呉須松竹梅文三段重」十九世紀
              縁起のよい松竹梅を具象的に描いた瀟洒な三段重。献上唐津は藩主から家臣に褒賞として渡されることもあり、今もたまに市内の旧家で見つかる。

      「献上唐津呉須松竹梅文三段重」十九世紀
      縁起のよい松竹梅を具象的に描いた瀟洒な三段重。献上唐津は藩主から家臣に褒賞として渡されることもあり、今もたまに市内の旧家で見つかる。

    • 十一代 中里太郎右衛門(天祐)「達磨像」
              幕末に生まれた十一代は御用窯に従事した最後の当主で、陶彫の名人だった。
              本作は中里太郎右衛門窯の庭の目立つ場所にあり、日々来客を迎えている。

      十一代 中里太郎右衛門(天祐)「達磨像」
      幕末に生まれた十一代は御用窯に従事した最後の当主で、陶彫の名人だった。
      本作は中里太郎右衛門窯の庭の目立つ場所にあり、日々来客を迎えている。

    • 十三代中里太郎右衛門 「叩き唐津翡翠象嵌魚文壺」1998年
              十三代は十二代が復活させた古唐津の技法を踏襲しつつ、「翡翠」というブルーの釉薬を開発するなど、
              モダンな意匠で唐津焼の新たな可能性を示した。

      十三代中里太郎右衛門 「叩き唐津翡翠象嵌魚文壺」1998年
      十三代は十二代が復活させた古唐津の技法を踏襲しつつ、「翡翠」というブルーの釉薬を開発するなど、
      モダンな意匠で唐津焼の新たな可能性を示した。

    襲名以来、唐津焼のイベントでは中心的な役割を果たし、海外での唐津焼PRも
    積極的に進めてきた。唐津焼振興の旗振り役をこなしているというより、
    自身が多様な人々との交流を心から楽しんでいる。

    食事会もそうですが、自分が楽しんでやったことを他の人たちにも喜んでもらうというのが一番嬉しいです。作品でも、今までにないようなものをつくって、みんなをびっくりさせたい。自分が楽しんで、他の人も喜んでいるのを見るのが生きがいですね。

    それを強く意識するようになったきっかけは、唐津在住の篠笛奏者の佐藤和哉さんとのタイ訪問です。十三代が唐津焼の源流を調べるために何度も東南アジアを訪問していたり、タイの若者がうちの陶房に勉強に来ていたことがあったりした関係で、タイで佐藤さんが演奏をして私が唐津焼についてお話しするというイベントが開催されたことがありました。その講演でお客さんから「どういうものがいい焼きものですか」という質問がありました。私は「人が喜ぶものです」と答えました。すると、お客さんたちが「おおっ」という感じでどよめきました。

    作家によって焼きものについての考えは様々ですけれど、手に取った人が「いいなあ」と感動して幸せな気持ちになるのが一番。それがその人にとって一番いい焼きものですよ。

    • 十二代より中里太郎右衛門は大徳寺で得度した後に当主の座を子に譲っている。十四代も将来同じようにするつもりである。
      十二代より中里太郎右衛門は大徳寺で得度した後に当主の座を子に譲っている。十四代も将来同じようにするつもりである。
    身体的な心地よさや美味の喜びはいつの時代も人を幸せな気持ちにするもの。十四代中里太郎右衛門氏は様々な人の生活に唐津焼が寄り添い、 時間とともに変化しながら人生の幸福に貢献することを願っている。

    身体的な心地よさや美味の喜びはいつの時代も人を幸せな気持ちにするもの。十四代中里太郎右衛門氏は様々な人の生活に唐津焼が寄り添い、 時間とともに変化しながら人生の幸福に貢献することを願っている。

    身体的な心地よさや美味の喜びは
    いつの時代も人を幸せな気持ちにするもの。
    十四代中里太郎右衛門氏は様々な人の生活に
    唐津焼が寄り添い、 時間とともに変化しながら
    人生の幸福に貢献することを願っている。

    陶芸家 十四代 中里太郎右衛門<PART1「無心の唐津焼」編>

    豊臣秀吉の時代に始まり、江戸時代は唐津藩の御用窯をつとめた唐津焼の中里太郎右衛門窯。伝統の復活に尽力した十二代、唐津焼にモダンさを加えた十三代の技を継承する現在の当主、十四代が唐津焼の奥深い味わいの秘密を語ります。