
琉球王国の宮廷において1719年に創始された、音楽や舞踊と一体になった演劇「組踊」。
明治維新で琉球王国が滅びた後は、宮廷の役者たちが劇団をつくり、民間にも広まった。
現在では日本が世界に誇る芸能のひとつとして、ユネスコの無形文化遺産に指定される。
主に女形として活躍する組踊立方(役者)の人間国宝、宮城能鳳氏は、
優美かつ凛とした琉球時代の女性たちを演じ、その愛や悲しみを舞台に蘇らせる。
宮城 能鳳(みやぎのうほう)
1938年沖縄県生まれ。幼少より琉球古典舞踊の手ほどきを受ける。1961年宮城流の流祖、宮城能造に師事し、本格的に組踊、琉球舞踊を学ぶ。1995年宮城流鳳乃会を創設。1990年より沖縄県立芸術大学教授をつとめ、現在は名誉教授として後進の育成に力を注ぐほか、歴史に埋もれた演目の復曲、新作の創作なども手がける。2006年国の重要無形文化財保持者として認定される(人間国宝)。
琉球王国では中国の使者を迎える際など、儀礼的な宴席において
士族による音楽や舞踊などの芸能が披露された。それらを総合した組踊は、
琉球王国の時代へと観客をタイムスリップさせる演劇だ。
組踊は能楽よりも展開に現実味があって、現在進行形でドラマが進んで行きます。過ぎ去ったことは演じない。ドラマのわかりやすさが特徴であり、魅力であると思いますね。
また、組踊は役どころによって台詞の節回しが違います。組踊では「唱え」といいますが、台詞は琉球古典語です。母音が日本語の「あいうえお」と違い、今の沖縄方言とも違います。その発音を若い人に教えるのに、今は以前より時間がかかります。お客様も耳だけで意味を聞き取るのは難しいと思いますが、表記は日本語ですから、舞台横の字幕と音楽から自由に想像をめぐらせていただけます。
組踊には台詞、古典音楽、古典舞踊という三つの柱がありますが、三つとも沖縄の最高の文化です。また、装束も沖縄文化を代表する紅型です。総合芸術である組踊を鑑賞するということは、沖縄文化のすべてに触れるということですから、ぜひより多くの方々にご覧いただきたいと思います。
「組踊」と「琉球舞踊」
沖縄の祭祀芸能に始まる琉球舞踊は、琉球王国の時代、中国から首里城を訪問した使者(冊封使)を歓待する士族の芸能として発展した。その一方、本土の武家政権との交流から、士族は教養として能や狂言を学んでいた。
18世紀初期、琉球王国の公的な宴会をとりしきる「踊奉行」だった玉城朝薫は、王国の故事をもとに、能や狂言の演出を参考に、琉球音楽・台詞(唱え)・所作・琉球舞踊によって構成される演劇「組踊」を創始。1719年初演とされ、2019年は組踊三百周年にあたる。
組踊はもともと宮廷の士族によって演じられたため、
立方(役者)は、女性役もすべて男性がつとめるのが本式とされる。
女形は能楽のように面をつけず、化粧をして女性役を演じる。
男性が女性を演じるのは歌舞伎と似ていますが、所作はかなり違います。沖縄の女形は、ガマク(注・腰のあたりの側面のこと)と面づかい(注・顔の動かし方)が連動するようにして、無理のない線をつくります。それはシナをつくるのではないのです。重心の置き方は逆で、日本舞踊は上半身が反り気味ですが、下半身に重心があります。
沖縄の古典舞踊では、女踊でもぴんと一本筋が通っていないと良くないのですね。芯が通って自然体である、というのが基本です。また、女形は細かいところも一挙手一等足に注意してやらないといけない。顔がきれいだからといって、おおざっぱな人は女形に向かないでしょう。女の人に「素敵だわ」と言われるくらい自然体で女性を演じるには、しっかりとした舞踊の基本があって、それぞれの役のツボどころを押さえないと。ツボをしっかり押さえると、色艶もついてきます。自然に出なくては、本物ではありません。
気高く凛としている組踊の女性たち。その表現を体得するため、
女形こそ男らしい男踊の稽古が欠かせない、と宮城能鳳氏は考える。
沖縄の女形は男の役も演じますから、男踊も稽古します。男踊の稽古をあまりやらない人の女踊は、くねくねした不自然なものになりやすいです。男性とは骨格が違う女性を演じるわけですから、そのままではできませんが、女になろう女になろうと意識すると、それも自然体でなくなります。
私の師匠の宮城能造先生は女形の名手でしたが、空手の段も持っておられて、私も空手の基本や棒術を教えられました。私は正直「舞踊だけでいいのに」と思っておりましたが、のちのち先生の教えはすばらしかったと気づきました。沖縄の舞踊は、重心の移動などに空手と重なるところがありますし、男踊には空手の技法が随所に見られます。男踊を学ぶことで、剛と柔、言うならば車の両輪のかみ合わせを身に付けられます。それによって一本芯の通った女性の色香を表現できるようになるのです。
舞台で女性を演じる宮城能鳳氏は、
凛として芯が通った女性そのもの。
自然な気品に満ちた佇まいは、
ときに沖縄の透き通った海を思わせ、
また歴史の激動に耐えて沖縄の文化を
今に伝えた人々の強さを思わせる。
(後編へ続く)