故郷に降り積もる雪の白さが、進むべき道を教えてくれた。
  • 故郷に降り積もる雪の白さが、進むべき道を教えてくれた。
    白瓷捻面取壺 2016年 個人蔵(MOA美術館「 人間国宝 前田昭博 白瓷展」)
    陶芸家 前田昭博「最高の場所」

    一万年以上前から土を捏ねて焼き物をつくってきた日本の人々。
    その歴史の中では約四百年前に始まった磁器は比較的新しい。
    また、日本の磁器は絵画的な色絵や染付が中心で、
    白一色の白磁は、大陸産が珍重され、国内のつくり手は少ない。
    しかし、白磁を自分の道として選んだ前田昭博氏は、
    故郷の鳥取の自然の美とモダンな感覚を重ね、日本らしい白磁の可能性を提起し続けている。

    • 前田昭博(まえた あきひろ)

    前田昭博(まえた あきひろ)

    1954年、鳥取県河原町(現鳥取市)生まれ。
    1977年、大阪芸術大学工芸学科卒業後、自宅に築いた「やなせ窯」で作陶。1991年、日本陶芸展「毎日新聞社賞」。2000年日本伝統工芸展「朝日新聞社賞」他、 受賞多数。2007年紫綬褒章受章。2013年白磁の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。独自の白磁は世界で評価され、陶磁器収集で有名なスイス・アリアナ美術館、韓国・利川世界陶磁器センター、イギリス・大英博物館などに作品が収蔵される。 故郷を工芸で活性化する活動にも取り組んでいる。

    デザインを学ぶつもりで入った大阪芸大で、陶芸に出会った前田昭博氏。
    種々のやきものを学ぶ中で、白磁にだけは他とは違う魅力を感じ、
    創作を始めるとすぐに白という色の豊かさや轆轤(ろくろ)の表現力に惹きつけられた。

    白磁は色も絵もないので、自然に目が形にいきますよね。そうすると光が当たっているところと陰になっているところが自然に見えてきます。

    「陰翳礼讃」じゃないですけれど、白磁には白磁でしか感じられない陰影があるんです。自然の光で見るのが一番美しく、暗い所に置いてもちょっと明るい。昔の人は美しい月明かりとか、ロウソクの光で、表情の変化を楽しんでいたのではないでしょうか。

    陶器をつくる土に比べると磁器をつくる土は粒子が細かく、手びねりでくっつけることができません。轆轤で内から外にふくらませて形をつくります。それで生まれるふくよかな曲線が、 僕にとっては轆轤の一番の魅力です。日本では華やかな絵付を引き立てるためにこうした白い生地がつくられてきました。でも、僕は形だけで見せたい。その気持ちは最初からずっと変わらないです。

    • MOA美術館「人間国宝 前田昭博 白瓷展」
      MOA美術館「人間国宝 前田昭博 白瓷展」
    • MOA美術館「人間国宝 前田昭博 白瓷展」
      MOA美術館「人間国宝 前田昭博 白瓷展」
    • 白瓷面取壺 2020年 個人蔵(MOA美術館「人間国宝 前田昭博 白瓷展」)
      白瓷面取壺 2020年 個人蔵
      (MOA美術館「人間国宝 前田昭博 白瓷展」)
    • 前田氏の工房「やなせ窯」。鳥取市の郊外、河原町に位置する。

      前田氏の工房「やなせ窯」。鳥取市の郊外、河原町に位置する。

    • 祖父は農業を営んでいたが、父は美術教師で、木版画家でもあった。美大進学も父の影響が大きいという。

      祖父は農業を営んでいたが、父は美術教師で、木版画家でもあった。
      美大進学も父の影響が大きいという。

    白磁に夢中の状態のままで大学を卒業し、鳥取の実家に戻った。
    「あと一年だけ続けよう」と、納屋を工房にして活動を始めたが、
    その後しばらく「あと一年だけ」を繰り返すことになる。

    鳥取には、大正時代、柳宗悦らの民藝運動に共鳴して活動した吉田璋也(しょうや)さんの流れで、今も民窯がけっこうあります。私がやきものを志したのも地域性と無関係ではないかもしれません。 でも、白磁は民窯とは違うので、制作の面ではあまり参考になりませんでした。

    工芸をやっている人からは「白磁をやるのは無謀だ」とも言われました。はじめはその意味もわかりませんでしたが、色も絵もないというのは、ごまかしようがない。それで評価をいただくというのは実は一番大変なことだと、 だんだん分ってきました。だからといって別なものをつくろうとは思いませんでした。やきものは十何代目という人や、家業としてやっている人が多い分野です。でも、僕は自分から始めるのだから、自分で好きなものをやらなくてはもったいない。 やってダメなら変えることもできますが、やらないで無理だと思うことは僕にはできませんでした。

    ひとりで続けられたのは、作品を買ってくださった方たちのおかげです。ゴッホのように誰にも買ってもらえないで創作を続けるのは、並大抵のことじゃない。一人でも二人でも喜んでくださる方がいると思うと、次への励みになりました。

    • 陶石の粉に水分を加えて粘土状にした土を練る。鳥取では採石されず、材料は九州の天草から取り寄せている。
      陶石の粉に水分を加えて粘土状にした土を練る。鳥取では採石されず、材料は九州の天草から取り寄せている。
    • 壺をつくるときは、轆轤でいったん筒状にする。安定感のある歪みのない筒をつくることが重要だ。
      壺をつくるときは、轆轤でいったん筒状にする。安定感のある歪みのない筒をつくることが重要だ。
    • 内側から手で圧力をかけ外側から支え、ふくらみをつくる。力の入れ加減が非常に難しく、若い頃はしばしば限界を越えて失敗した。
      内側から手で圧力をかけ外側から支え、ふくらみをつくる。力の入れ加減が非常に難しく、若い頃はしばしば限界を越えて失敗した。
    • 口の部分も壺の表情をつくる重要なポイント。内側と外側が滑らかにつながるような口づくりに、独特の感性があらわれている。
      口の部分も壺の表情をつくる重要なポイント。内側と外側が滑らかにつながるような口づくりに、独特の感性があらわれている。
    • 表面を滑らかに整える。「磁器の土は指の圧を記憶し、残るから」と慎重にへらを使う。
      表面を滑らかに整える。「磁器の土は指の圧を記憶し、残るから」と慎重にへらを使う。
    • 全体の形をつくり乾燥させた壺に、「面取」という技法を施す。乾燥した壺の全体をよく見て、面の取り方を決める。

      全体の形をつくり乾燥させた壺に、「面取」という技法を施す。
      乾燥した壺の全体をよく見て、面の取り方を決める。

    • 下書きした線を目安に、磁器用カンナで交差するように削っていく。

      下書きした線を目安に、磁器用カンナで交差するように削っていく。

    • 形ができてきたら、面の微妙な凹凸をなくしていく。透明な釉薬をかけて焼くと、滑らかな白い肌になる。

      形ができてきたら、面の微妙な凹凸をなくしていく。
      透明な釉薬をかけて焼くと、滑らかな白い肌になる。

    • 自作の道具の一部。独自の技法の進化とともに、表面を削る箆などを自分なりに工夫してつくってきた。

      自作の道具の一部。独自の技法の進化とともに、
      表面を削る箆などを自分なりに工夫してつくってきた。

    応援してくれる人たちの存在は心強かったが、過疎地でひとり白磁をつくることには多くの不安があった。
    結婚し、子どもが生まれると不安はさらに募ったが、作陶十四年目、
    大きな賞を受賞したことで、故郷で一生白磁をつくり続けると覚悟を固めた。

    陶磁器の産地にいれば、産業として積み上げてきた歴史から、効率よくつくるための指導を受け、教わることができたと思います。でも、産地で学ぶ技術は自分ひとりのものではないので、そこから独自のものをつくり出す大変さがあったでしょう。 僕はそんなことも知らなくて、根気よく自分がつくりたいものを形にすることだけをやってきました。周りに手本となる人はいませんでしたが、いつのまにか山陰の雪の白が僕のお手本になっていました。 山陰の雪はどこかぬくもりがあります。その色が僕の目指す白になりました。

    若いときは、同じ世代で産地にいる人はもっともっといいものをつくっているだろうと、ここを恨むというのか、なんでこんなところで始めてしまったのかなぁと自分を情けなく思うこともありました。 でも、ここにいたから、自分らしい作品をつくることができ、評価をいただけたのでしょう。今はここが僕には最高の場所だと思っています。

    • 工房の界隈の冬景色。山陰ならではのしっとりとした雪の色は、創作の源泉となった。(前田昭博氏撮影)
      工房の界隈の冬景色。山陰ならではのしっとりとした雪の色は、創作の源泉となった。(前田昭博氏撮影)
    • 積雪の多くない鳥取市だが、工房のある河原町西郷谷では、寒の時期に雪景色が見られる。(前田昭博氏撮影)
      積雪の多くない鳥取市だが、工房のある河原町西郷谷では、寒の時期に雪景色が見られる。(前田昭博氏撮影)
    • 山陰では冬の晴天は貴重。積もった雪に太陽の光と陰がさまざまな模様を描くのを見るのが楽しい。(前田昭博氏撮影)
      山陰では冬の晴天は貴重。積もった雪に太陽の光と陰がさまざまな模様を描くのを見るのが楽しい。(前田昭博氏撮影)
    世間の常識や他人からの知識に従うだけでは、その範囲の外にある可能性拓くことはできない
        二〇一三年、重要無形文化財保持者に認定されたとき前田昭博氏は自分だけのものを与えてくれた、故郷鳥取に改めて深く感謝した。(後編へ続く)
    世間の常識や他人からの知識に従うだけでは、その範囲の外にある可能性拓くことはできない
          二〇一三年、重要無形文化財保持者に認定されたとき前田昭博氏は自分だけのものを与えてくれた、故郷鳥取に改めて深く感謝した。(後編へ続く)

    世間の常識や他人からの
    知識に従うだけでは、
    その範囲の外にある可能性
    拓くことはできない
    二〇一三年、重要無形文化財保持者に
    認定されたとき
    前田昭博氏は自分だけのものを
    与えてくれた、故郷鳥取に
    改めて深く感謝した。
    (後編へ続く)

    PREMIST SALON MOVIE VOL.31 MAETA AKIHIRO
    PREMIST SALON MAETA AKIHIRO PHOTO GALLERY 1
    陶芸家 前田昭博<「未来への創造」編>