日本では専門家が少ない白磁を自分の道として、2013年、
鳥取県初の無形文化財保持者(人間国宝)に認定された前田昭博氏。
日本の工芸を継承する責任を担う立場となったことから、
地元に「工芸の郷」をつくることを提唱するなど、
地域と工芸を結び付ける活動にも力を注いでいる。
好きな色と形を突きつめ、日本の白磁の第一人者となった前田昭博氏。
日本ではときに好き嫌いを「わがまま」とみなすが、
器となると好き嫌いが非常に繊細であると氏は考えている。
現代人は手の感覚を使う場面があまりありませんが、視覚で伝えられないものは、触ると一番伝わるんじゃないでしょうか。ほどよい重さとか、掌にしっくりするとか、唇のあたり具合とか。 日本の器はそのあたりをとても大切につくっています。とくに茶器がそうですが、料理の器も日本は種類が多く、素材も、やきもの、塗りもの、竹、ガラスといろいろあります。たぶんそれが日本の食生活を豊かにしてきたのでしょう。
でも、生活様式が変わって、婚礼や法事のための揃いの器を家ごとに所有することがなくなり、将来はつくり手もそんなに必要なくなります。そうであっても、日本の工芸の良さは未来に受け渡していかないといけない。 世代を越えて誰かに感動を与えるものを今つくることは、我々の責任だと思います。
工芸の担い手の育成には、作家が生活しやすい環境づくりも必要だ。
そこで前田昭博氏が地元に「工芸の郷」をつくることを提案すると、
行政が反応し、2016年、工芸作家の移住を促進する計画が動き出した。
僕の「やなせ窯」がある西郷地区は、住民は約1200人ですが、江戸時代の終わりに開かれた「牛ノ戸焼」や工芸作家の工房が点在しています。ものづくりを支えてきた風土を活かし、 工芸を核とした地域づくりができないか、若手作家を支援できないか、と考えてきました。独立したばかりのつくり手には工房を構えるスペースも必要ですし、切磋琢磨できる仲間や、相談ができる先達の存在も大切です。 私自身はずっと仲間がいなくて孤独でしたから、そういう環境を若い人のためにぜひつくりたいと思ったのです。
幸い行政の賛同が得られ、空き家などを利用し、移住作家の活動を支援する仕組みができました。移住された方々には、「西郷工芸まつり」に参加していただいたり、ワークショップの講師をやっていただいたりしています。 そうしたイベントで外からこの地域に足を運ぶ人も増えてきました。また、地域の人たちに工芸がより身近になってきたのではないかと思います。地道に活動を積み重ね、新しい時代の工芸の発信地になることを目指しています。
2020年からのコロナ禍は、工芸界にも甚大な影響を与えた。
鳥取県では感染者は少なかったが、前田昭博氏も自宅にこもりがちであった。
しかし、そのことで日本の工芸の力を改めて感じたという。
日本の工芸は、使えるアートです。ただ道具として使えるだけでは物足らない。使わないときはアートとして楽しめる。長い歴史の中でずっとそういうものを目指してきたし、我々もそういうレベルの作品をつくり続けなくてはいけない。 難しいことですけれど、時代が変わる中でも必要とされるものだと思います。
美術展などで、つい目や足が止まるといった作品があるじゃないですか。工芸も発信する力がある作品は気になるし、気に入ったら使いたくなりますよね。そういうものに触れたり、飾ったりすることで、人はエネルギーをもらっているように思います。
コロナ禍では多くの人たちが自宅にこもりっぱなしになってしまいました。こんなとき、自分の好きなものに囲まれて暮らすのは、唯一元気をもらえる方法かもしれません。本当は人に会うのが一番いいと思いますが、 それはできないので、好きな花器にお花を飾ったり、好きな器でお茶を飲んだり、好きなものを楽しんでエネルギーにする。日本の人は昔からそうやって悲しみや孤独を乗り越えてきたのはないでしょうか。
工芸には政治や経済を
直接動かす力はない。
しかし、作品の美しさや
使い心地のやさしさ
困難に立ち向かう人の力になると
前田昭博氏は考える。
その力の一つ一つはささやかでも、
多くの人に届いていけば
日本の未来を動かす力になるだろう。