自然の神々とともに生きる技術として、木彫や染織などの工芸を受け継ぐアイヌの人々。
明治維新以降、日本政府による同化政策などによりアイヌ文化は徐々に失われたが、
第二次大戦後の北海道観光ブームでアイヌ木彫は全国に知られるようになった。
その時代に木彫を始めた貝澤徹氏は、アイヌの神(カムイ)と向き合う木彫家に刺激され、
自己表現を目指すとともに伝統に学び、アイヌ文化に根差した木彫を世界に発信している。
貝澤 徹(かいざわ とおる)
1958年、北海道平取町二風谷に生まれ、工芸家の父、貝澤勉やその仲間の職人に囲まれて育つ。曾祖父、貝澤ウトレントクは明治時代の名工の一人。高校卒業後、父が営む「北の工房 つとむ」で木彫を始める。アイヌの伝統の木彫技術をふまえたメッセージ性の高い作品により、現代のアイヌ・アートを代表する作家の一人として大英博物館などに作品が収蔵される。北海道アイヌ伝統工芸展北海道知事賞ほか受賞多数。2020年文化庁長官表彰。「北の工房つとむ」店主。
貝澤徹氏の地元、北海道沙流郡平取町二風谷は、アイヌ工芸のさかんな地域である。
高校時代は北海道ブームの最盛期であり、木彫品をつくり、販売する父の店は大繁盛。
高校を卒業したら父の店で働き、ゆくゆくは跡を継ごうとシンプルに考えた。
とくに木彫を習っていませんでしたが、父親は家で木彫をしていたし、僕の祖母は二風谷の工芸品を観光地に卸す仕事をしていて、小さい頃から職人の仕事を身近に見ていたので、やり方はなんとなく知っていました。中学校時代に冬休みの工作で木彫をやったこともあります。当時は北海道ブームでお客さんがひっきりなしでしたから、高校を出たばかりのにわか職人でも、店先でカンカンやっていると「兄さん、それくれよ」と、つくるそばから売れました。
彫刻を始めて二年目か三年目、阿寒湖畔の木彫家、藤戸竹喜先生が祖母の店にやって来ました。レイバンのサングラスをかけ、ハーレーダビッドソンにまたがって、アメリカンポリスのスタイルで、ドドドドドと。そのときは祖母に「孫にやってくれ」と小さな木彫りの熊を渡して帰られ、直接お話をしていないのですが、圧倒されました。土産物の熊はいっぱい見てきましたが、いただいたのは全然違う。生きているように写実的。ご本人もかっこいいし、つくるものもかっこいい。「こんな人になりたいなぁ」と憧れました。それまでは「土産物として売れればいい」くらいの気持ちでしたが、そのときから「せっかく彫るなら良いものをつくりたい」という考えに変わりました。
COLUMN
アイヌ工芸の里、二風谷
北海道沙流郡平取町二風谷は、日高山脈北部を水源とする沙流川の中流域に位置する。道内でも、アイヌの伝統文化が色濃く残る地域の一つである。
アイヌは身の回りの自然物から生活に必要な品々をつくり、伝統的に、木製品には木彫で、布製品に刺繍で文様をほどこした。中でも二風谷は工芸がさかんなことで知られる。明治時代には宮内庁が貝澤徹氏の曾祖父の作品を買い上げるなど、早くから二風谷のアイヌ工芸は高い評価を得ていた。
二風谷では観光地で販売する工芸品がつくられ続けたことによって、伝統の技術が絶えることなく受け継がれている。2013年には「二風谷イタ」(木製の浅い盆。表面にアイヌ文様をほどこす)、「二風谷アットゥシ」(オヒョウなどの樹皮を原材料とする糸で織った反物)が北海道ではじめて伝統的工芸品として経済産業省に認められた。現在平取町では、二風谷の工芸品のブランド化や、次世代のアイヌ文化の担い手の育成につとめている。
偉大な先輩の作品に触発され、以後約十年は動物などの立体を専門に木彫の腕を磨いた。
一方、アイヌ文様や伝統的なイタ(盆)を彫ることは長く避けていた。
父は好きなものを自由につくらせてくれました。うちは店で直接販売していましたから、問屋の注文を受ける必要がないわけです。お客さんの希望でコロボックルを彫ったりはしましたが、伝統的なアイヌ文様やイタは「自分がわざわざやらなくても」という気持ちがありました。同じ道に進んだ弟は伝統工芸にもすっと入っていけましたが、僕は三十代になってからです。
1997年に二風谷アイヌ文化博物館で「民族工芸の変容と展開」というシンポジウムがあり、僕も提言者として出席しました。そのとき資料として僕のひいおじいさんで、明治の名工だったウトレントクがつくったイタを参加者に回して見てもらったところ、一人の先輩が夢中になって見ていたんです。他の人はぱっと見て回していたけれど、その人は目の色を変えていた。それを見ていたら、「ひいおじいさんは先輩が夢中になるようなものを彫ったのに、自分が彫るのはイヤとか言っている暇はないな」と思いました。
それで実際にやってみると、思った以上に難しい。曲線を彫ればいいわけではないんです。二風谷のアイヌ文化の保存活動をされていた萱野茂さんには「彫らない空間の表現が大事」と言われました。彫りと文様のバランスが一番大事かもしれませんね。
ウトレントク作品の複製から二風谷の伝統工芸の研究を始めた貝澤徹氏。
立体と伝統工芸の両方をつくるため、先輩に「どっちつかず」とも言われたが、
何を彫っても無意識にアイヌの自分が出てくることを感じていた。
伝統工芸だからといって誰がつくっても同じではつまらない、と僕は思います。2001年アイヌ文様が北海道遺産に指定されたときに、札幌の赤れんがで実演彫りを男三人でやったときは、三人同じイタを彫るのもおかしいので、インテリアの一部としても楽しめるように布のような表現を試してみました。それをお客さんに「斬新ね」と言われて、僕の「樹布」が生まれました。お客さんのおかげで、僕の方向性は間違っていないと思えたんです。
布のようなやわらかい表現は、「アイデンティティ」という作品につながります。ファスナーを開けるとリバーシブルで、裏はアイヌ文様。ファスナーの部分は伝統的な鎖彫りを意識しました。これが何を表現しているのかは、つくったあとからわかりました。それは現代の日本人として生きるアイヌである、僕自身です。ファスナーを上げれば日本人。でも、中はアイヌ。それでタイトルを「アイデンティティ」としました。
この作品は見た人が自分の感性でいろいろと意味づけをしてくれます。作者としてはそれがとても嬉しいです。
アイヌと日本人という
二つの属性を持ち、
伝統と現代に向き合う
貝澤徹氏の作品は、
「アイデンティティ」をきっかけに
メッセージ性を強く
打ち出すようになった。
アイヌ文化と現代性の両立を
模索する作品は
持続可能性を求める時代性により
アートとしての価値を
さらに高めている。
(後編へ続く)