雅やかな截金の輝きを、ガラスで美の主役に。
  • 雅やかな截金の輝きを、ガラスで美の主役に。
  • 截金ガラス作家 山本茜「不可能を可能に」

    人類は先史時代から権威や神力などを表現するために金の装飾を用いてきた。
    寺院の堂や仏像などをきらびやかに飾り、仏の世界を表すことも装飾の一種で、
    仏教用語ではこれを「荘厳(しょうごん)」という。
    荘厳の技法であった截金(きりかね)を学生時代から手がけてきた山本茜氏は、
    ガラスの技法を融合させ、截金の繊細な美を立体化することに成功した。
    独自の「截金ガラス」は世界の人々を魅了し、近年は作品の入手が困難な作家のひとりに数えられる。

    • 山本茜(やまもと あかね)

    山本茜(やまもと あかね)

    1977年金沢市生まれ。京都市立芸術大学日本画(模写・水墨画)専攻卒。在学中に独学で截金を始め、2000年、截金の重要無形文化財保持者(人間国宝)江里佐代子氏に師事。2002~2008年京都造形芸術大学非常勤講師。2009年、截金の作品で第38回日本伝統工芸近畿展 新人奨励賞を受賞。2009年富山市立富山ガラス造形研究所に入学。2011年同研究所を卒業し、京都市内に工房を設立。截金ガラスの作家として、2014年第61回日本伝統工芸展 NHK会長賞、2015年伝統文化ポーラ賞奨励賞、2020年第33回京都美術文化賞などを受賞。

    美術の道を選んだきっかけは大学受験直前に見た上村松園の展覧会という山本茜氏。
    大学で日本画を学んだことが截金との出会いにつながった。

    子どもの頃からものをつくることが好きで、絵を描くのも好きでした。でも、美術は趣味でやるものと思っていました。上村松園先生の展覧会で「絵は遊びではなく、命がけでやるものなんだ!」と強い衝撃を受け、「私もそうなりたい!」とすぐに志望大学を京都大学から京都市立芸術大学に変更しました。高校は進学校だったので、芸大に行きたいとは言い出しにくかったのですが、最後には自分の気持ちに正直になって決断しました。

    截金との出会いは、大学の課題で平安時代の仏像や仏画を模写したのがきっかけです。金沢出身なので金箔にはなじみがありましたが、截金の細やかさは金沢の武家文化とは異なります。同じ金箔がこんなに雅やかになるなんて京都の文化はやっぱりすごい!と、中学時代から源氏物語のファンだったこともあり、截金に憧れの美の世界を感じました。

    大学では截金の模写は金泥で描くように指導されましたが、私は平安時代と同じ技法で模写したくて独学で截金を始めました。ある程度できるようになって、より技術を深めたいと截金の人間国宝だった江里佐代子先生に指導をお願いしたところ定期的に作品を見ていただけるようになり、ますます截金に夢中になりました。

    • 大学時代の研究で行った、浄瑠璃寺四天王像の彩色復元模写。実際に截金を施すことで、当時の人の心に近づけるように感じていた。
      大学時代の研究で行った、浄瑠璃寺四天王像の彩色復元模写。実際に截金を施すことで、当時の人の心に近づけるように感じていた。
    • 大学には截金の指導者がいなかったため、京都の仏師の妻として截金を始め、2002年截金の人間国宝となった江里佐代子氏の指導を受けた。
      大学には截金の指導者がいなかったため、京都の仏師の妻として截金を始め、2002年截金の人間国宝となった江里佐代子氏の指導を受けた。
    COLUMN 仏を荘厳する截金

    截金は金箔を何枚か焼き合わせて厚くしたものを、竹刀(ちくとう)で線状あるいは三角、四角などの形に切り、それを仏像や仏画などに貼りつけ、輪郭線や文様とする装飾技法である。仏教とともに大陸から伝わったとされ、日本における古い例として飛鳥時代の法隆寺金堂の四天王像、東大寺戒壇院戒壇堂の四天王像などがあげられる。平安時代から鎌倉時代にかけては浄土思想の発展に伴って日本独特の截金が発展し、流麗な唐草文やつなぎ文などで仏画や仏像を美しく飾った。

    しかし、金の文様を金泥で表現するようになると截金はあまり用いられなくなる。京都の浄土真宗本願寺派の庇護により技法は受け継がれていたが、昭和初期、截金職人の数が数名になるまで衰退した。そこで、截金の技法をより多くの人に知ってもらおうと仏画や仏像以外に応用することが始まった。現在は工芸品やアクセサリーに截金を施すことも行われている。

    • 浄瑠璃寺(京都府木津川市)の九体の阿弥陀仏の脇に立つ持国天像(前・国宝)・増長天像(後・国宝)は見事な截金の装飾で名高い。
            もとは四天王が揃っていたが、現在は多聞天像(国宝)を京都国立博物館に、広目天像(国宝)を東京国立博物館に寄託。

      浄瑠璃寺(京都府木津川市)の九体の阿弥陀仏の脇に立つ持国天像(前・国宝)・増長天像(後・国宝)は見事な截金の装飾で名高い。
      もとは四天王が揃っていたが、現在は多聞天像(国宝)を京都国立博物館に、広目天像(国宝)を東京国立博物館に寄託。

    • 増長天、持国天ともにヒノキ材の寄木造の身体に彩色と截金を施す。由来は明かではないが、11世紀の作品と考えられている。
            増長天の裾中央部の裳には、截金で田の字入り二重斜格子文が施され、その縁に鮮やかな花唐草文が描かれている。

      増長天、持国天ともにヒノキ材の寄木造の身体に彩色と截金を施す。由来は明かではないが、11世紀の作品と考えられている。
      増長天の裾中央部の裳には、截金で田の字入り二重斜格子文が施され、その縁に鮮やかな花唐草文が描かれている。

    • 浄瑠璃寺の持国天の胸の部分。胸甲(胸の鎧)を截金で毘沙門亀甲文で飾る。
            手のこんだ装飾は、専門の職人が何人もかかわったものと推測される。

      浄瑠璃寺の持国天の胸の部分。胸甲(胸の鎧)を截金で毘沙門亀甲文で飾る。
      手のこんだ装飾は、専門の職人が何人もかかわったものと推測される。

    大学卒業後は個人で模写の仕事を受けたり、大学の非常勤講師として截金を教えたりしながら
    截金の作家として活動していたが、ふとした気づきに心が大きく揺らぎ、
    今までと同じことはできないと思うに至った。

    江里先生をはじめ現代の截金作家は工芸品にも截金を施します。私自身も作家として箱に截金を施すなどして作品をつくっていました。ところが、截金を始めて十年以上過ぎ、ふと截金は装飾技法なので、主役ではないということに気づいたのです。たとえば仏像の截金は仏像を荘厳していて、作品の中心はあくまで仏像です。截金を一生懸命やっていたので、かえってそのことに気づかなかったのかもしれません。

    どうにかして截金を主役にしたい。「装飾」という役割から截金を解き放ちたい。絵画のように截金そのもので心象を表現することはできないのか……と悶々と悩んでいるうち、ガラスの中に截金を浮かせるというアイディアを思いつきました。でも、そんな技法はないようでした。アクリルなら簡単にできそうでしたが、江里先生に「截金はもともと仏様を荘厳する、人の願いや祈りを表す大切な技法。金とプラチナという永遠に輝く素材を使うのだから、弱い素材と合わせないこと」と言われていたので、耐久性の面からアクリルという選択はありえません。本格的にガラスをやってみようと、富山市立富山ガラス造形研究所に入学しました。

    • 山本茜 截金短冊箱「鳳笙の調べ」2009年、佐野市立吉澤記念美術館寄託
              第38回日本伝統工芸近畿展(平成21年) 新人奨励賞
              細くて均一な線が熟練の技とされる中、あえて太さが一定でない肥瘦線を用いて笙の調べを表現した。
      山本茜 截金短冊箱「鳳笙の調べ」2009年、佐野市立吉澤記念美術館寄託
      第38回日本伝統工芸近畿展(平成21年) 新人奨励賞
      細くて均一な線が熟練の技とされる中、あえて太さが一定でない肥瘦線(ひそうせん)を用いて笙の調べを表現した。
    • 西出大三 木彫截金「富久良雀」加賀市美術館蔵
              截金師は分業が基本で加飾しか行わない。そんな中、截金を施す立体物の制作も手がける西出大三(重要無形文化財保持者)の作品を見て、自分も一から作品を作りたいと思った。
      西出大三 木彫截金「富久良雀」加賀市美術館蔵
      截金師は分業が基本で加飾しか行わない。そんな中、截金を施す立体物の制作も手がける西出大三(重要無形文化財保持者)の作品を見て、自分も一から作品を作りたいと思った。
    • 〈截金の工程 1〉炭火で金箔を炙って焼き合わせ、作業しやすい厚さにする。この作業に適した、真っ直ぐで傷のない炭は年々入手困難になっている。

      〈截金の工程 1〉炭火で金箔を炙って焼き合わせ、作業しやすい厚さにする。この作業に適した、真っ直ぐで傷のない炭は年々入手困難になっている。

    • 〈截金の工程 2〉炭の上昇気流により金箔がめくれないよう、適宜息を吹きかけながら焼く。金箔に縮緬のような皺ができ、独特の風合いとしなやかさが出る。

      〈截金の工程 2〉炭の上昇気流により金箔がめくれないよう、適宜息を吹きかけながら焼く。金箔に縮緬のような皺ができ、独特の風合いとしなやかさが出る。

    • 〈截金の工程 3〉焼き合わせた金箔を鹿革台の上で竹刀を使って切る。あまり細いと撮影できないので、今回は太目に。

      〈截金の工程 3〉焼き合わせた金箔を鹿革台の上で竹刀(ちくとう)を使って切る。あまり細いと撮影できないので、今回は太目に。

    • 〈截金の工程 4〉花びらなどを表現する際に使うパーツは型で抜いてつくる。

      〈截金の工程 4〉花びらなどを表現する際に使うパーツは型で抜いてつくる。

    • 〈截金の工程 5〉糊を含ませた筆を使い、金箔を貼っていく。截金ガラスではガラスに貼った上からさらに別のガラスを重ねて炉で融着させることにより、三次元的な表現ができる。

      〈截金の工程 5〉糊を含ませた筆を使い、金箔を貼っていく。 截金ガラスではガラスに貼った上からさらに別のガラスを重ねて炉で融着させることにより、三次元的な表現ができる。

    山本茜氏がガラスの技法を学びに行った富山市立富山ガラス造形研究所は、
    ガラス工芸を専門とする全国唯一の公立学校である。
    全国から様々な経歴を持つ若者が集まる中でも截金作家は珍しかった。

    研究所に入るときに「截金の形を崩さないでガラスに閉じ込めたい」と先生に言ったら、「それは不可能。紀元前3世紀から人はそれをやろうとしてきたが、できなかった」と言われました。でも、現代のすべての技法を試したら、ひとつくらいは截金に合う方法が見つかるかもしれないと思っていました。研究所では課題の制作とは別に、截金をガラスに浮かせる技法はないか、実際に実験を一つ一つやってみました。学生は自由に炉が使えたので毎日です。

    1時間睡眠くらいの生活を1年ほど続け、ついに型に入れてガラスを成型する、キャストという技法にたどりつきました。この方法で成型したガラスに截金を施し、その上にガラスを重ねて電気炉で融着し、できあがったガラスを削り出し、丹念に手で磨き上げることによって、截金が崩れないままガラスに浮いたような作品ができることがわかったのです。

    この方法はとても手間がかかります。ガラスの色で溶け方が変わるので、色ごとに最適な温度を見つけるまで失敗ばかりです。私がガラス作家を目指していたら、こんな作品づくりはしなかったでしょう。でも、私は截金を主役にできないなら截金作家をやめようという気持ちでいたので、どんなに面倒なことでもやるしかありませんでした。

    • 富山で制作した截金ガラスのサンプル。ガラスの形状による截金の映り込み方を調べるため、様々な形にカットした。色見本も兼ねている。
      富山で制作した截金ガラスのサンプル。ガラスの形状による截金の映り込み方を調べるため、様々な形にカットした。色見本も兼ねている。
    • 富山時代の試作品には気泡が残っているものもあるが、その後の研究により作品のガラスはよりクリアになっていく。
      富山時代の試作品には気泡が残っているものもあるが、その後の研究により作品のガラスはよりクリアになっていく。
    独自に開発した技法によって截金を主役にするという願い現実の作品とした山本茜氏。それは唯一無二の作家として無限の挑戦の始まりでもあった。(後編へ続く)

    山本茜「虹をかける」2013年、個人蔵(撮影協力:箱根ガラスの森美術館)

    独自に開発した技法によって截金を主役にするという願い現実の作品とした山本茜氏。それは唯一無二の作家として無限の挑戦の始まりでもあった。(後編へ続く)

    独自に開発した技法によって
    截金を主役にするという願い
    現実の作品とした山本茜氏。
    それは唯一無二の作家として
    無限の挑戦の始まりでもあった。
    (後編へ続く)

    截金ガラス作家 山本茜<PART2「美の深みへ」編>

    截金作家として出発し、現在は截金ガラス作家として活躍する山本茜氏。後編では華麗で繊細な作品が生み出される制作の背景について伺います。『源氏物語』の世界を夢見る作家の工房は、京都の四季の彩りに包まれています。