工房みやじ
文化・歴史
霧島高千穂リゾートランド/2025.03.28
霧島高千穂リゾートランドがある鹿児島県霧島市には、全国正八幡の本宮「鹿児島神宮」が鎮座しています。創祀は神代とも皇祖神武天皇の御代ともいわれ、平安時代に編纂された延喜式神名帳には「大隅國鹿児島神社」と記されている古社。またの名を大隅國一ノ宮、大隅八幡宮とも称され、地元の人からは親しみを込めて「お八幡さま」と呼ばれています。歴史の深い鹿児島神宮には、伝承される信仰玩具の種類も豊富です。信仰玩具は厄除けの意味合いがあるほか、古事記や日本書紀に出てくる神さまを玩具遊びを通して子どもたちに伝えるもので、各地でその地の伝説などと結びついた玩具がつくられ、社寺の縁日で売られてきました。
(写真左)代表的な信仰玩具「鯛車」が工房の看板 (写真右)玩具づくりの最盛期に訪れた工房内はカラフルな玩具でいっぱい
鹿児島神宮には12品目もの信仰玩具が伝承されています。江戸時代から9品目の信仰玩具づくりを請け負っているのが「工房みやじ」。現在は、花見ユリ子さんと長女の森山かおりさん、次女の佐藤ゆうこさん親子がその仕事を受け継いでいます。木の香りが漂う工房の中は、制作途中の玩具でいっぱい。鹿児島県の伝統的工芸品に指定されている鯛車(たいくるま)、香箱(こうばこ)、地元で「ぽんぱち」と呼ばれる初鼓(はつつづみ)もここでつくられ、鹿児島神宮に納められています。
「最近は中国やイギリスなど、海外からの問い合わせも増えてきました。鹿児島の家庭に普通にあるものが、世界で紹介される時代になったんだなと感じています」と語る森山かおりさん
鹿児島神宮は「山幸彦」と呼ばれる天津日高彦穂穂出見尊(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)と、豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)を御祭神としています。代表的な信仰玩具「鯛車」は、古事記に出てくる赤女魚がモチーフ。前傾姿勢になっているのは、口に引っかかった釣り針を取ってくれた神(山幸彦)への「感謝のお辞儀」を表現しています。「香箱」は豊玉比売命の婚礼の折に持参した「御調度」をモチーフにしたもので、簪や櫛、冠などが模様に。鯛車も香箱も赤色は厄除けを、黄色は実りを表し、代々ひとつのものが一家で受け継がれるといいます。
次女の佐藤ゆうこさんは、ぽんぱちの絵付けの最中。「手描きなので馬の顔はそれぞれ微妙に違います」
旧暦の1月18日を過ぎて行われる鹿児島神宮の「初午祭」は、約470年の歴史を数える鹿児島県の三大行事。毎年数万人規模の参拝客でにぎわいます。いちばんの見どころは、煌びやかに飾られた馬が踊り連と一緒に鳴り物に合わせて踊るように歩く「鈴懸馬踊り」。鈴や花飾りと一緒に、豆太鼓の初鼓(ぽんぱち)もたくさん飾られます。この「ぽんぱち」は、五穀豊穣、家内安全、畜産奨励、商売繁盛のほか、子どもの健やかな成長や厄払いを願うもので、初午祭の縁日で神札やお守り代わりに新調するのが習わし。薩摩川内市で春に行われている「早馬祭」でも、この「ぽんぱち」は欠かせないため、工房みやじの3人も3月末までつくり続けます。
「ぽんぱち」を叩く豆をつけている花見ユリ子さん。3人とも全作業ができるが、繁忙期は分業制で対応。信仰玩具は、古くは農閑期の仕事としていた
和紙を叩く大豆の音が「ぽん、ぱちっ」と響くことから「ぽんぱち」と呼ばれる豆太鼓。太鼓の竹枠づくりからはじめる工房みやじでは代々、鹿児島の伝統的工芸品、蒲生和紙(かもうわし)の和紙職人に、ぽんぱち用に手漉きしてもらった和紙を採用。丈夫で、経年による劣化が少なく、絵具や日本画材で描く絵の色味もきれいに出るとか。つくり方や糊の調合など、受け継いでいる技術を守るために、家内制手工業による信仰玩具づくりが続いています。
(写真左上)「鯛車」の車輪の部分。こちらもすべて手作業
(写真左下)(写真右上)「ぽんぱち」に描かれる絵には初午祭に合わせて御神馬の絵と、山の神の使いとされる猿を描き「大厄が去るように」という願いが込められたものもある
(写真右下)高祖父の代から同じ意匠が受け継がれる「香箱」の模様は、ぽんぱちの意匠としても使われている
鹿児島神宮では、森山さんの祖父、宮路武二さんがつくった、日本で一番大きな鯛車を見ることができます。松の木から削り出してつくった鯛車の大きさは半間(長辺約100cm)。鹿児島神宮に寄贈されてからはたくさんの参拝者に撫でられ、最近になって森山さんたちが塗り直したとか。「昔の鯛車がオークションに出品されていることがあるのですが、顔を見ると『あ、おじいちゃんがつくったものだ!』ってわかりますね」と森山さんは語ります。アジアでも縁起の良い色合わせということもあり、最近は海外からの問い合わせも増加。日本の伝統玩具が、海を渡って新しい縁をつないでいくかもしれません。
(写真左) 1970年(昭和45年)の大阪万博に出展後、鹿児島神宮に寄贈された、宮路武二さん作、日本一大きな鯛車
(写真右上)「工房みやじさんには神宮の玩具を一手に引き受けてもらっています」と語る鹿児島神宮 権禰宜 宮内伸広さん。「鯛車は江戸時代の文献『三國名勝圖會』にも出てきて、旧暦の3月10日に行われた藤祭りに、鯛車の屋台がたくさん並んでいたという当時の様子が記されています」
(写真右下)鹿児島神宮に残る鯛車。「正八幡」の文字がある鯛車は、鹿児島神宮と改称される1874年(明治7年)以前のものか
取材撮影/2024年12月16日
工房みやじ (鹿児島県霧島市隼人町)[現地から約21.6km]