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出西窯

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SLOWNER WEB MAGAZINE

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文化・歴史

志を焼き入れた、名もなき器たち

ロイヤルシティ大山リゾート/2026.02.26

出西窯

ロイヤルシティ大山リゾートが広がる山陰地方には、多くの窯元が点在しています。松江藩の御用窯として発展した窯元や、大正末期から昭和初期にかけての民藝運動で、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)やイギリス人陶芸家のバーナード・リーチらから薫陶を受けた窯元など歴史もさまざまで、各窯元が独自の焼き物をつくり続けています。そうした中にあって、終戦直後の1947年(昭和22年)創業という比較的歴史の浅い窯元が、出雲市で作陶している「出西窯(しゅっさいがま)」。生まれ育った村を衰退させないように、5人の青年たちがゼロから始めた窯元です。

隣の工房でつくられた焼き物の直売所「くらしの陶・無自性館」。作品を問屋に卸さず、直売するスタイルも当時は新しかった

終戦を体験し、大きな価値転換を求められた彼らが辿り着いた答えは、誰かが誰かを搾取することのない工芸の共同体をつくり、村に根付いた農村工業を起こすというものでした。実家の牛舎や蔵を工房とし、全く知識のないところからさまざまな窯元を巡って、教えを乞います。青年たちの志に応えようと柳宗悦やリーチ、河井寬次郎、濱田庄司らが直接指導したほか、染色家や哲学者ら他分野の師も、つくり手としての生き方まで時に厳しく導きました。「その器に唇を寄せて喜びがあるか」というリーチの言葉をはじめ「美しいものは皆、無名の中で生まれている」など数々の言葉は、今も出西窯の陶工たちにとって大きな指針になっています。

農協の米倉庫だった建物を再利用した工房。陶工ひとりに1台ずつロクロがあり、それぞれ決められた種類の器を成形から釉掛けまでを受け持っている。定休日以外は見学できる

出西窯の特徴であり、最も大切にしていることは、ていねいな手仕事を貫くこと。粘土づくりは採取した原土を水簸(すいひ)するところから、釉薬(うわぐすり)づくりも原料となる広葉樹の灰をつくるところからすべて自前で行われています。実際の器づくりも分業制ではなく、成形から釉掛けまでひとりで受け持つ体制。ある意味、時代を逆走するやり方のように思えますが、「暮らしの道具としての器」を喜んで使ってもらえるように、細部に宿る技と志が多くの人々を魅了しています。

1966年(昭和41年)に築窯した6連房の登り窯では、現在も年に3〜4回窯焚きが行われている。窯焚きは2日間続き、ふたり組3交代制で1,200度以上の窯内を維持する

ていねいに、主張せず、美しく

出西窯が理想としているのは「現代の生活に合う美しくて健やかな器」。この言葉を理解するために、創業者メンバーのひとり、多々納弘光氏を父に持つ陶工 多々納真さんにお話を伺いました。「例えばコーヒーがおいしいか、おいしくないかを感じる時に、器の主張はいらないと思います。器はあくまで暮らしの道具。主張を感じるものは、道具ではないんですね。何かを味わう時には、器のことを意識しないでもらって構わないと思っています」。

(写真左上)使う時の心地よさを考え抜かれたモーニングカップ。取手の指あたりのよさは、バーナード・リーチから直伝されたウエットハンドル技法によるもの
(写真右上)つくり手の温かみを感じる柔らかいフォルムと独特の厚みも、出西窯らしさ
(写真下)「出西ブルー」と称される呉須(ごす)釉をはじめ、飴(あめ)釉、緑釉、白掛地(しろかけじ)釉など、手づくりの釉薬でみずみずしい仕上がりに

多々納さんは修業を始めた頃の父の言葉を振り返ります。「父からは、“すぐにできるものじゃない。同じことを重ねていって、忘れてからできるようになるけん、けど毎日やることが秘伝”と教わりました。すると5年くらい経った時、自分が化けていくのがわかりました。次の世代にも、自分たちで納得できる器ができるよう、自己勉強に励んでほしいと思っています」。
現在の出西窯を受け継ぐのは、多々納さんをはじめ24名のスタッフ。研修を終えてもほとんどの若者が出西に移住し焼き物づくりに励むといいます。敷地内には、焼き物の直売所 「くらしの陶・無自性館」と工房を中心に、出西窯の器で供されるベーカリーカフェやセレクトショップも併設し『出西くらしのvillage』と名付けた生活提案の場を展開。創業者たちが目指した願いは、現代のカタチで叶えられています。

創業者メンバーから代替わりし、二代目を継承する多々納真さん

取材撮影/2025年11月12日

出西窯[現地から約70.4km~71.5km]

出西窯[現地から約70.4km~71.5km]
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