黒田旗幟店


文化・歴史
ロイヤルシティ佐田岬リゾート/2026.03.27

内海に流れ込む黒潮に乗って豊富な栄養素が運び込まれる宇和海は、古くから豊かな漁場として地域に繁栄をもたらしました。宇和海に面する愛媛県宇和島市では、かつて多くの活魚運搬船が活躍。新しい船が完成すると、祝いの大漁旗もたくさん注文され、市内の染め屋や旗店が競うようにつくっていたといいます。以前は市内に数店の染め屋がありましたが、現在残るのは黒田旗幟店のみ。プリントを導入するなど現代の技術に移行していった店が淘汰されて、木綿の布地に手染めという昔ながらの製法を守り続けています。


(写真左)作業場を2階に構える黒田旗幟店。手染めののれんが目印
(写真右) 当主の黒田勉さん。「えひめ伝統工芸士」に認定され、国の伝統的工芸品産業功労者褒賞を受賞している
黒田旗幟店は、1904年(明治37年)の創業。現在は初代の曽祖父から4代目を数える黒田勉さん、5代目となる息子の直紘さん、勉さんの妻の寿美子さんが、染めから仕立てまですべて手作業でつくっています。黒田さんが下絵から描き、直紘さんと一緒に古くから伝わる「手描き・手染め」の技法で進めていきますが、中でも手染めでなければ表現できないのが「ぼかし」。刷毛で水を塗り、その上から色をのせる……と言葉でいうのは簡単でも、職人としては自然と力が入る作業だとか。色の濃さもその日その日で微妙に違ってきますが、見る人はそこに、人のぬくもりや愛らしさを感じるのかもしれません。


(写真左)制作途中の「干支のれん」。午年の今年のデザインは「武者絵幟」をモチーフにした
(写真右)色を塗ってはしっかり乾燥させ、色止めの豆汁を塗って再度乾燥させる。夏場もストーブを使って乾燥させるハードな作業が続く
技法だけでなく、道具も資材も、黒田さんが職人として独り立ちした60年前から変わっていないといいます。木綿の布地は、糸が太く生地質が厚い河内木綿。色の調合も柿渋や油煙(ゆえん)、ベンガラ、藍色の呉汁(ごじる※大豆粉を水で絞り漉したもの)など、日本で昔から使われている天然の染料を中心に使います。隣り合う色が混ざらないために置く糊も、餅米と塩と糠を混ぜたもの。細部まで身近な素材を使う先人の知恵が宿っています。


大小さまざまな刷毛を使い分けて進む旗のぼりづくり。近年は日本の刷毛職人が激減し、良質な刷毛の仕入れが難しくなりつつあるという
大漁旗をはじめ、神社のぼりや鯉のぼり、宇和島の家庭で飾られる「干支のれん」など、黒田旗幟店の旗のぼりは、宇和島の祭事や暮らしに欠かせない存在です。風になびいた時に迫力が感じられるように黒田旗幟店では両面塗りを施すのが伝統。一枚で畳三畳分の大きさとなる大型船の大漁旗の場合も製法はそのまま、しかも一隻の祝いのために各所から数十本も注文が入るため、一枚ずつ違う図案で表現していきます。




(写真左上)干支のれんの下絵作業。下絵を鉛筆書きしたトレーシングペーパーを、真っさらな木綿の布地にのせ、線に沿って針を刺し、その上から楠灰(くすばい)を入れた袋をあて、布に線画を入れていく
(写真右上、左下)糊で縁取り線を入れた後、刷毛で染料を塗る。最近は色の境にラインを入れないデザインが増えている
(写真右下)しっかり乾かした後、水に浸して糊を洗い落とし、天日干しして完成
毎年、図案から考える「干支のれん」。午年の今年は、武者絵幟をモチーフにしたデザイン。干支のれんづくりは、染物屋の世界では十二支を3周してやっと一人前といわれるそうです。旗やのぼりは、1回つくれば30年は使える頑丈さを保持。黒田さんが若い頃につくったのぼりが修理のために戻ってきたというエピソードも、手作業を続けてきた老舗ならではといえます。「ずっと使ってもらえるのも嬉しいですけど、こうして来てもらって昔話をしたり『お父さん元気?』とか、『次の修理は、お互いに次の代になりますね』とか、そういうやりとりができるのがいいですね」と、黒田さんは微笑みます。


(写真左)仕上げの縫製は寿美子さんが担当
(写真右)5代目となる直紘さんは、黒田さんの元で修業中
取材撮影/2025年12月15日
黒田旗幟店[現地から約65.3km]
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