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小岩井農場まきば園

“暮らす森”を知ろう

SLOWNER WEB MAGAZINE

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食・趣味・娯楽

知るほどに味わい深い、小岩井農場へ

ロイヤルシティ八幡平リゾート/2025.01.22

小岩井農場まきば園

ロイヤルシティ八幡平リゾートが広がる岩手県八幡平(はちまんたい)市。その南隣に位置する雫石(しずくいし)町には、国内最大級の民間総合農場「小岩井農場」があります。岩手山麓に広がる農場は、総面積約3,000ha。その一部は「小岩井農場 まきば園」として一般開放され、動物と触れ合ったり、農場の食材を味わったりしながら、大自然のおおらかさを満喫できます。

農場の中でも優秀な牛、約70頭が暮らす上丸牛舎一号牛舎。2階は牧草の保管場所になっている

歩いて、眺めて。のどかな大農場を満喫

小岩井農場の創業は1891年(明治24年)。小岩井農場が初めて酪農を始めた上丸(かみまる)地区にある「上丸牛舎」では、牛たちが搾乳用、哺育用、分娩用など4棟の牛舎に分かれて生活しています。搾乳中の牛たちが暮らすのは、1934年(昭和9年)築の一号牛舎。オランダから輸入され、小岩井農場で生まれ育った牛を先祖とするホルスタインは、毎朝5時から搾乳し、運動場に放牧された後、1頭ずつつないで飼養管理されています。同じ敷地内には、牛の体重測定と削蹄(さくてい)場に使われた秤量剪蹄(ひょうりょうせんてい)室も保存。壁には、削蹄の説明に使われたであろう脚の絵が描かれたまま残っています。

(写真左上)出産を控えた牛たちが暮らす、1908年(明治41年)築の上丸牛舎二号牛舎
(写真左下)三号牛舎は子牛専用
(写真右)1936年(昭和11年)に移築された秤量剪蹄室は、昭和40年頃まで使用されていた

明治末期から昭和初期にかけて建てられた、農場内の建物21棟が国の重要文化財に指定されています。これらは、当時の最新鋭の建築技術を用いて「30年先も恥ずかしくない建物を」という思いでつくられたもので、牛舎群のほか、煉瓦造りのサイロ(肥料の製造・保管蔵)など、100年を過ぎた建物も。農場施設として現役で使われている重要文化財は国内で唯一、小岩井農場だけです。そうした歴史や自然を散策しながら、原材料から農場で育てられたフードが味わえるのも、まきば園の醍醐味。特に、一号牛舎の牛たちから搾乳された生乳をたっぷり使ったミルクラーメンやソフトクリームなどは、ここでしか味わえない一品です。

(写真左)ミルクの濃厚さとまろやかさがしっかり味わえて、余韻までおいしい小岩井農場ソフトクリーム
(写真右)塩ベースのスープにミルクをたっぷりブレンドした「まきばのラーメン ミルク」。麺も農場産小麦100%使用

小岩井農場では、羊の飼育も1901年(明治34年)から続いています。当時から、羊毛を使った手紡ぎ手織り物ホームスパンが盛んな地域だったこともあり、乳用牛と共に68頭の緬羊(めんよう)が輸入されたといいます。現在、生活する羊はテクセル種やポールドーセット種などの交雑種が中心。岩手山が間近に迫る草原エリアで、草をはんだりくつろいだりする様子や、羊たちのおやつタイムなどをのんびりと見学できます。

岩手山に近い放牧地で過ごす羊たち。スタッフに甘える姿は、大きく見えてもまだまだ子ども

今も受け継がれる、不毛の地に託された未来

創業当時、この辺りは火山灰土と湿地が広がる荒野でした。数々の鉄道事業で陣頭指揮をとってきた当時の鉄道庁長官 井上勝が、鉄道開発で失われた田畑の埋め合わせに、この地を農地に変えたいと決意。日本鉄道会社副社長の小野義眞と三菱社社長の岩崎彌之助の協力を得て、3人の名字の頭文字から「小岩井農場」と名付けた農場を開設しました。以後、酪農はもちろん、牧草やトウモロコシなど牛や羊のエサとなる草づくりや、農場の大半を植林地にして地域産業にまで発展させた森づくり、そして近年は家畜の排泄物などを利用したバイオマス発電も展開。のどかな農場では、先人たちの骨太な姿勢が脈々と受け継がれています。

案内してくれたのは観光部の土橋葉月さん。「小学生の頃、遠足といえばこの農場でした。循環を意識した取り組みが100年以上前から徹底しているのは、素晴らしいことだなと思っています」

取材撮影/2024年10月10日

小岩井農場[現地から約32.0km~32.5km]

小岩井農場[現地から約32.0km~32.5km]
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