大和ハウス工業株式会社

DaiwaHouse

那須烏山市、高根沢町、宇都宮市、茂木町、益子町

“暮らす森”を知ろう

SLOWNER WEB MAGAZINE

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自然・風土

水、石、土が織りなす、栃木東部の幻想的な風景

南那須・大金台林間住宅地/2023.01.27

那須烏山市、高根沢町、宇都宮市、茂木町、益子町

八溝山(やみぞさん)系へ連なる栃木県東部の丘陵地に広がる南那須・大金台林間住宅地。ここは、全国に展開するダイワハウスの森林住宅地の中で、一番歴史の長い場所です。豊かな里山の地形を生かした住宅地の周辺には、コナラやクヌギなどの雑木林や、ヒノキやアカマツなどの針葉樹の林が広がり、オープンから半世紀を迎える住宅地を四季折々に彩ります。住宅地が位置する那須烏山市に流れる那珂川(なかがわ)は、延長約150kmを誇る一級河川。福島県との県境にそびえる那須岳(標高1,917m)に発し、山間の平地から下流地の田園地帯を東へ流れ下り、やがて太平洋に注ぎます。那珂川に注ぐ江川(えがわ)には、地層の侵食によって生じた不思議な岩肌を走る、高さ約20m、幅約65mの「龍門の滝」が出現。11月下旬にはサケの遡上や、真冬には天候によって凍結する滝を見ることもできます。

龍門の滝の中段には、「男釜」「女釜」と呼ばれる二つの縦穴がある

清流・那珂川は、昔から天然アユのメッカとして多くの釣り人に愛され、守られてきました。上流の那須塩原市方面まで天然アユの遡上が見られ、2002年(平成14年)には日本釣振興会より「天然アユがのぼる100名川」に選定。ヤマメやイワナの放流も行われ、解禁期間の3月から9月中旬にかけてはアユ釣りや渓流釣り愛好者でにぎわいます。
那珂川の渓谷、落石(おちいし)地区に架けられた3連アーチ橋は、土木遺産に認定された「境橋」です。美しいシルエットの橋と、大きく蛇行する川と山が織りなす景観から、この一帯は「関東の嵐山」と呼ばれています。

(写真左)初秋の那珂川で、釣りを楽しむ人々 (写真右)境橋の橋の上には、風景を観賞できる小さなバルコニーが設けられている

建築家、隈研吾氏が携わった、町の玄関口

那須烏山市の西、高根沢町では、建築家の隈研吾氏によってデザインされた駅舎がお出迎えしてくれます。東北本線と烏山線の分岐駅、JR宝積寺(ほうしゃくじ)駅の駅舎は、「人に優しく明るい駅舎」をコンセプトに、構造用合板でランダムなひし形に組んだ天井や、大きなガラスの開口部をレイアウト。竣工された2008年(平成20年)には、国際的な鉄道デザインコンペティション「ブルネル賞」にて奨励賞を受賞しています。駅舎の階段を下りると、同氏が設計した広場につながり、大谷石(おおやいし)を使用した壁のひし形のパターンで、駅舎との一体感を演出しています。

JR宝積寺駅

奇岩に包まれた、石の町の洞窟寺院

高根沢町の西に位置する宇都宮市には、数々の名建築で採用される「大谷石」の大規模な採掘場が広がっています。界隈に独特の山容を現す岩山が点在する中、重要文化財の大谷寺は、大きな岩山に包み込まれるように鎮座。その本尊にも、日本最古の石仏、千手観音(通称・大谷観音)をはじめ、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の計10躰もの磨崖仏が並ぶ圧巻の光景が広がっています。これらは日本の石像彫刻の中でも秀でた技巧であることから、1954年(昭和29年)には国の特別史跡に、1961年(昭和36年)には重要文化財に指定されました。当初は、岩に直接彫刻した表面に朱が塗られ、粘土で細かな化粧を施した後、漆が塗られ、一番表には金箔が押され、金色に輝いていたといいます。この石仏は長らく平安時代の空海(弘法大師)の作と伝えられていましたが、後の研究でバーミヤン石仏との共通点が見られることから、アフガニスタンの僧侶が彫刻したと考えられるようになりました。寺院を覆うダイナミックな岩山とも相まって、巨大な石仏群には、洞窟の中から世の動きを見守っているような温かさがあり、時間を忘れて佇みたくなります。

近づくほどに自然の力に圧倒される大谷寺

宇都宮市から東へ。国道123号線沿いにある茂木町の「道の駅もてぎ」は、毎週末と祝日に、真岡(もおか)鐵道を走る「SLもおか」を間近に見ることができるビュースポットです。SLもおかの蒸気機関車「C1266」は、1933年(昭和8年)に製造され、1972年(昭和47年)に廃車になるまでの総走行距離は約172万kmを誇ります。真岡鐵道真岡線で復活したのは、1994年(平成6年)。道の駅もてぎを通りすぎる直前には、大きな汽笛で応えてくれます。

「道の駅もてぎ」付近を走る真岡鐵道「SLもおか」。運行日の運転は、1回の往復のみ。予約をすれば乗車も可能

茂木町に隣接するのは、「益子焼」で知られる益子町です。益子焼は、江戸末期の開窯とその歴史は意外と新しく、鉢や水がめ、土瓶など日用品の産地として発展。現在もベテランから新進作家まで、益子で活動する陶芸家たちは多く、益子駅東側を中心に窯元や陶器店が並んでいます。1966年(昭和41年)から毎年春と秋に行われている『益子陶器市』では、そんな町並みを散策しながら、陶芸家たちとの会話や器との出会いを楽しめます。

(写真左)1861年(文久元年/万延2年)創業の大誠窯に残る登り窯は、現役の窯では益子で一番大きい窯。今も、入手が難しくなった赤松で器を焼いている (写真右)窯元や陶器店合わせて約300軒が集まる益子町。陶芸の町らしく、器の屋外販売もあちこちで見受けられる

取材撮影/2022年10月13日~15日

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