熊本県御船町(みふねまち)、山都町(やまとちょう)
自然・風土
ロイヤルシティ阿蘇一の宮リゾート/2025.09.30
ダイナミックな自然を体感できる阿蘇カルデラ。その独特の景色は、カルデラを囲う外輪山を越えてもなおどこまでも続き、訪れる人を圧倒します。ロイヤルシティ阿蘇一の宮リゾートから南へ、車で約1時間。外輪山の裾野に形成された大地では、自然と共存するために奮闘した、いにしえの人々のたくましい物語を垣間見ることができます。
御船町のシンボルロードでは、恐竜や恐竜の化石のモニュメントをあちこちで見かけることができる
阿蘇くまもと空港から南へ。外輪山の裾野に広がる御船町(みふねまち)は、各地からファンが訪れる「恐竜の町」です。1979年(昭和54年)、当時小学一年生の少年が、日本で初めて肉食恐竜の化石(通称“ミフネリュウ”)を発見。このエリアは、白亜紀後期に形成された地層にあるため、その後も恐竜の化石が相次いで見つかり、国内有数の恐竜化石産出地として国際的にも注目されています。そんな恐竜の町を盛り上げるために、道路脇に恐竜や恐竜の化石モニュメント、建物の屋根の上にも迫力満点の恐竜模型が設置され、訪れる人を楽しませています。
(写真左)生活物資を運ぶ庶民の道だった旧街道「日向往還」
(写真右)日向往還の往来を支えたアーチ式石橋「八勢目鑑橋」。熊本県指定重要文化財
熊本県内には約320基ものアーチ式石橋があり、そのうち80を超える石橋が三方山(さんぽうざん)を水源とする緑川流域に残っています。御船町の山中に架かる「八勢目鑑橋(やせめがねばし)」は、熊本から現在の宮崎県延岡市までを結ぶ旧街道「日向往還」のルート上にあります。石橋が架かる前は村人がつくった木の橋が架かっていましたが、大雨のたびに人馬が危険にさらされるという状況を見かね、豪商・林田能寛(はやしだ よしひろ)が私財を投じて石橋の架橋に尽力。実績も技術力もあった名石工の宇助を棟梁として、1855年(安政2年)にわずか4カ月の工事で完成させました。
名石工、橋本勘五郎・弥熊父子が手がけた下鶴橋。現在は歩道橋として使われている
明治時代に入ると、軍隊の物資輸送に適さないという理由から、日向往還に代わる新しい道がつくられました。その道に架けられた「下鶴橋(しもつるきょう)」には今も、正確な石垣の継ぎ目や丸みを帯びた欄干、擬宝珠柱など見事な意匠が残っています。手がけた石工は東京の日本橋をはじめ、数多くの眼鏡橋を架設し「肥後の石工」の名を全国に広めた名石工 橋本勘五郎と、その息子の弥熊(やぐま)。橋の両側には月と星、徳利と盃の形に彫り抜いた添石があり、酒好きの弥熊が「月星を眺めて、いっぱい飲もう」という思いを込めたという逸話も残っています。
境内に入った瞬間から独特の空気に包まれる「幣立神宮」
九州のほぼ中央に位置し、九州中央山地の北端に接する山都町(やまとちょう)。この町の分水嶺の丘の上に立つ「幣立神宮(へいたてじんぐう)」は日本最古の神社と伝わっており、古代から「日の宮」の名でも崇敬を集めています。神武天皇の孫、健盤龍命(たけいわたつのみこと)が、阿蘇へ下向する際にこの地で休憩し、幣帛(へいはく/供物のこと)を立てて天神地祇(てんじんちぎ)を祀ったことがこの地の起源に。その神々しい雰囲気は、表参道や横参道に広がる森からも感じられ、特に横参道にある御神木のひとつ、五百枝杉(いおえすぎ)は天を掴むような枝ぶりで、圧倒的な存在感を放っています。
長崎鼻展望台から見た蘇陽峡。五ヶ瀬川上流に位置する阿蘇溶結凝灰岩の台地が川に浸食され、峡谷が形成された
ダイナミックなカルデラを体感できるのが「蘇陽峡」です。約200mの高さに及ぶ絶壁がおよそ10kmに渡って続く、全国でも珍しいU字型の峡谷で、九州のグランドキャニオンとも称されるほど。展望台からは深い森の中を縫うように川が走る絶景が一望できます。
標高約400mの山間に広がるのは、江戸時代末期に造成された「峰棚田」です。10kmほど離れた川から水を引くために、7つの隧道(ずいどう)や1mごとに1mmの落差をつけた用水路を設える難工事を住民総出で敢行。現在もこの用水システムを利用して農業が営まれています。
約28haにわたって拓かれた約450枚の「峰棚田」。緻密な設計と住民の努力が、現在も田園を潤す
2023年(令和5年)、土木構造物としては全国で初めて国宝に指定された「通潤橋(つうじゅんきょう)」は、日本最大級の石造アーチ水路橋です。深い谷に囲まれ、飲む水にも事欠いていた白糸台地に水を送るべく、時の惣庄屋(現在の町長にあたる)布田保之助(ふた やすのすけ)の計画のもと住民総出で建設にあたり、1854年(嘉永7年)に完成しました。時を経て1956年(昭和31年)には、取水する笹原川の水を白糸台地と他地区に送る分水装置として「小笹円形分水」を設置。田の面積に応じて、公平に水が流れるように工夫されています。
通潤橋の上流、笹原川の脇に設置されている小笹円形分水。笹原川から取水した水が毎分約1.2t湧き出す
通潤橋は、通潤用水と呼ばれる水路の一部にあたります。橋より高い位置にある白糸台地に水を送るために、布田保之助は吹上式に注目。笹原川がある北側の取入口と白糸台地につながる南側の吹上口の高低差を利用して、勢いよく水を吹き上げる仕組みを実現。橋の中には、水力に負けないように石の通水管が通され、管の継ぎ目は特別な配合の漆喰を使い漏水を防いでいます。こうした通潤橋の架橋には橋本勘五郎をはじめ、近隣の石橋を手掛けてきた名石工たちが、棟梁として本領を発揮。支線水路を合わせると長さ40km以上に及ぶ通潤用水は、通潤橋完成の翌年に竣工しました。
現在も現役で白糸台地の棚田を潤す通潤橋。年間120日程度の予定で行われる豪快な放水は見もの
シンボルロード[現地から約51.6km~54.1km]/阿蘇くまもと空港[現地から約34.4km~36.9km]
八勢目鑑橋[現地から約52.0km~54.5km]/下鶴橋[現地から約58.1km~60.6km]
幣立神宮[現地から約48.4km~50.9km]/長崎鼻展望台[現地から約43.1km~45.6km]
蘇陽峡[現地から約54.4km~56.9km]/通潤橋[現地から約60.5km~63.0km]
小笹円形分水[現地から約59.0km~61.5km]
取材撮影/2025年8月8日~8月10日
SLOWNER TOPへ