愛媛県西予市、宇和島市


自然・風土
ロイヤルシティ佐田岬リゾート/2026.03.27

ロイヤルシティ佐田岬リゾートがある愛媛県伊方町をはじめ、九州に面した四市五町※は、南予(なんよ)地域といわれています。リアス海岸が囲む宇和海沿岸ではマダイやブリなどの養殖業が盛んで、真珠なども日本有数の生産量を誇るほど。そんな海を見下ろすように急傾斜の段畑があちこちに点在。さまざまな食の恵みを生み出す多様な地形は、個性的な景観としても人々を楽しませてくれます。一方で西予市(せいよし)や宇和島市の市街地には、城下町や宿場町として栄えた往年の雰囲気を色濃く残すエリアも現存。時間と自然が交錯する風景が、行く先々で広がっています。
※宇和島市、八幡浜市、大洲市、西予市、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町




(写真左上) 西予市宇和町卯之町の旧宇和島街道、重要伝統的建造物群保存地区
(写真右上)清泰山 光教禅寺へ続く石畳の参道
(写真左下・右下)現在の西予市宇和町の基盤を創った人々の業績を展示する「宇和先哲記念館」。この町で開業した医学者で蘭学者の二宮敬作や、彼に医学を学んだ楠本イネらを往年の医療器具を交えて紹介
南予地域の中心に位置するのが西予市です。市の中心地 宇和町は、宇和島街道の宿場町として栄えた後、明治以降も商家が並ぶ在郷町(ざいごうまち)として発展します。宇和町卯之町(うのまち)の一画は、今も江戸中期から昭和初期の建築物が軒を連なる、重要伝統的建造物群保存地区。この町では、江戸後期の蘭学者で医学者の二宮敬作が22年間開業していたほか、のちに日本初の産科女医となったシーボルトの娘・楠本イネも、二宮に医学を学ぶために何度も訪れています。「宇和先哲記念館」では、こうした宇和町ゆかりの偉人たちの功績を見ることができます。


(写真左)国の重要文化財に指定されている「開明学校」は、1882年(明治15年)に建築された擬洋風の小学校校舎
(写真右)光教禅寺山門。開明学校の横は清泰山 光教禅寺。開明学校は光教禅寺の境内だったところに建築されたという。ベンガラ色の山門は1758年(宝暦8年)築
卯之町の旧宇和島街道を歩いていると、建物の美しい意匠に何度も立ち止まりたくなります。江戸時代創業の旅館や商家に施された白壁や格子窓、うだつや飾り瓦など伝統的な日本の意匠は、一世紀以上経た今も色褪せない存在感を放っています。一方で、明治から大正の間に建てられた洋風の建物も、和の町並みに不思議と溶け込んでいます。例えば、四国最古の小学校といわれる「開明学校」は、町民の寄付によって建てられた擬洋風の小学校校舎。外国製のガラスがアーチ型窓に使用されるなど、文明開化を積極的に取り入れようとした町民の思いがその意匠から垣間見られます。


旧宇和町小学校校舎を活用した宇和米博物館。109mも延びる木造廊下では、ぞうきんがけのタイムを競うイベントが話題
旧街道近くの高台にある宇和米博物館も、歴史を感じる建築物です。1928年(昭和3年)、開明学校の後身として建てられた旧宇和町小学校の第一校舎で、現在も第二校舎、講堂(ともに1915年・大正4年築)とともに現存。中でも、第一校舎のつくりは15の教室が横並びに連なり、柱のない木造廊下が109mも延びるという当時としてもユニークな設計。この廊下を舞台に繰り広げられる「ぞうきんがけレース」は毎回人気で、大人も子どもも上履きシューズに履き替え、レースに参戦。丁寧に磨かれた廊下は窓からの陽光を受けて、ひときわ清々しい輝きを見せています。

西予市と宇和島市の境に広がる法華津峠
宇和海を縁取る南予の複雑なリアス海岸、エメラルドグリーンの海に浮かぶ小島や整然と並ぶ養殖イカダ。手前には海に向かって広がる段畑。そんな宇和海を取り巻く雄大な風景を一望できるのが「法華津峠(ほけつとうげ)」です。標高約436m地点にある峠の頂上は、天気の良い日には佐田岬半島や九州まで望めるという絶好のビュースポット。ここから坂道を南下すると、南予を代表する観光地、宇和島市に辿り着きます。

薬師寺渓谷にかかる、落差7mの直瀑「岩戸の滝」
愛媛県南部の中心都市、宇和島市の市街地から車で約15分の距離に、自然豊かな薬師寺渓谷が広がっています。渓谷の中に流れるいくつかの滝の中で、遊歩道を歩いて最初に見られるのが「岩戸の滝」です。滝の手前では、両岸から迫り出す巨大な岩が滝を隠す扉のように覆いかぶさり、その向こうで美しい白色の清流が滑っています。

「耕して天に至る」と称された、宇和島市の三浦半島、遊子水荷浦地区の段畑
宇和海沿岸の海岸線を車で走ると、空まで続くような段畑が姿を表します。その開墾は江戸時代、当時の宇和島藩がイワシの漁場だった宇和海沿岸部に新しい漁村を拓くことを奨励。耕作できる平地がほぼない環境で、人々は山の急斜面に端正な石垣を幾層にも築き、大規模な段畑を開墾しました。その多くは、真珠やハマチなどの養殖産業の活気と反比例して耕作が放棄されていきましたが、宇和島市三浦半島の遊子(ゆす)地区、水荷浦(みずがうら)では現在も住民による保存と耕作が続いています。宇和海で営まれ続けた半農半漁の生活と、人々のたくましさを映すその景観は、次の世代に継承すべきものとして、2007年(平成19年)に文化庁の重要文化的景観の選定を受けました。


(写真左上)宇和島城へ続く、森の中の石段。火災や伐採を免れた城山のため、珍しい巨木や植物も見られる
(写真右上)代右衛門丸の石垣は、古い石垣と新しい石垣が混在している
(写真下)1672年(寛文12年)の姿をとどめる宇和島城
市街地の中心部では、緑に包まれた丘陵地に建つ宇和島城が、今も宇和島の町を見守っています。宇和島城の天守が初めて建造されたのは1601年(慶長6年)。築城の名人といわれた藤堂高虎が、6年かけてつくり上げました。1615年(元和元年)には、伊達政宗の長男 秀宗公が入城、1666年(寛文6年)頃には2代目藩主 宗利公が、天守以下、城郭の大修理を実施。現在の天守は宗利公による再建当時のもので、国内に残る現存12天守のひとつに数えられる国の重要文化財です。天守までは、急な登り道が続きますが、苔むした石段や壮大な石垣などは美しく、疲れた体の癒やしに。城を囲むように、市内には宇和島藩や伊達家ゆかりの神社が点在しています。


(写真左)宇和島藩の一の宮と定められた宇和津彦神社。拝殿前から宇和島城の天守を眺めることができる
(写真右)伊達家の家老、山家清兵衛(やんべせえべえ)をまつる和霊神社の境内では、太鼓橋や大鳥居が存在感を放つ
清泰山 光教禅寺[現地から約44.7km]/宇和先哲記念館[現地から約45.1km]
開明学校[現地から約45.0km]/宇和米博物館[現地から約44.6km]
法華津峠[現地から約49.9km]/薬師寺渓谷[現地から約72.3km]
岩戸の滝[現地から約72.3km]/遊子水荷浦地区[現地から約86.6km]
宇和島城[現地から約65.8km]/宇和津彦神社[現地から約66.8km]
取材撮影/2025年12月14日〜15日
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