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“歴史と教育が未来を育む街 北浦和エリア

都市生活者に地域の魅力を紹介する“住まうTOKYO”。
今回は東京から視点を移し、“歴史と教育が未来を育む街”として知られる北浦和エリアの魅力をご紹介したいと思います。

江戸時代には五街道のひとつ、「中山道(なかせんどう)」の交通の要所「浦和宿の上町」としても栄えた北浦和エリア。
由緒正しい宿場町には、現在でも埼玉県の県庁が置かれ、JR「東京」駅から28分(※)と歴史に根ざした地の利を活かし、
都市生活の場として栄えています。

また、小中学校から大学まで多くの学校が集まり、教育施設が充実していることでも知られる北浦和エリア。
サッカーが好きな方には、サッカーの強豪校が集まるエリアとして知られているかもしれませんね。
豊かな自然環境とともに史跡を巡り歩くのも楽しいかもしれません。
周辺には公園や自然も多く、ゆとりのある住環境が子どもたちの未来を育んでいます。

そんな暮らしの豊かさを感じさせてくれる、ご夫婦にもご家族にもぴったりな北浦和エリアの魅力をご紹介します。

(※)JR京浜東北線快速利用(通勤時は各停)。「浦和」駅でJR宇都宮線・高崎線に乗り換え、「上野」駅でJR京浜東北線快速(通勤時はJR山手線)に乗り換え。
通勤時も同じ。日中平常時の所要時間で、乗り換え・待ち時間等は含みません。

豊かな自然と充実した教育施設
北浦和にある有名な学校といえば、どちらの学校を思い浮かべますか?
全国の高校生が知力を競うクイズ番組で過去に2連覇、2013年の東京大学の合格者数が全国公立高校の中で一位の「埼玉県立浦和高等学校」を想像した人も多いのではないでしょうか?進学校でありながら自由な校風で生徒の自主性を重んじている同校は、スポーツなどの部活動も盛んなことでも知られています。特に、水泳部やカヌー部、ボート部、弓道部、ラグビー部などは全国大会の常連校でもあります。
北浦和エリアは小学校や中学校でも大規模な学校が多く、「市立常盤小学校」や「市立常盤中学校」などは規模もさることながら、近年では「研究推進モデル校」にも指定されるなど、歴史や学業も含め県内でも特に有名です。さらには、国立大学である「埼玉大学」は附属の中学校、小学校、幼稚園まであり、地域全体に活気のある子どもたちの姿を見かけます。
というのも、「さいたま市教育委員会」は教育行政方針として「日本一の教育都市」を目指しており、北浦和エリアにはそのモデル校が多く存在しています。そのため、地域全体に子どもを健全に育てようと言う風土があり、休日には公園やグラウンド、スポーツ施設で様々な教室が開かれ、家族連れで参加している姿を見かけます。
また、美術館や市の施設で生涯学習プログラムやカルチャースクールが開設され、子どもだけでなく大人も生涯を通して一緒に学んでいるのが印象的でした。
平日は多くの学生が行き交う埼玉大学。 開放的でのびのびとした埼玉県立浦和高等学校。
埼玉県のモデル校に指定されている市立常盤中学校。
埼玉県庁は浦和に置かれ、中心部として発展した。 歴史を感じる立派な門構えの市立常盤小学校。
  • 平日は多くの学生が行き交う埼玉大学。
  • 開放的でのびのびとした埼玉県立浦和高等学校。
  • 埼玉県のモデル校に指定されている市立常盤中学校。
  • 埼玉県庁は浦和に置かれ、中心部として発展した。
  • 歴史を感じる立派な門構えの市立常盤小学校。
モネ、ルノワール等2000点余が展示されている埼玉県立近代美術館。 常盤公園内には浦和御殿を偲ばせる灯籠などもあり、歴史の重みを感じる。
JR京浜東北線「北浦和」駅から徒歩2分の場所には、「旧制浦和高等学校」の跡地を公園として整備した「北浦和公園」があります。
敷地内には「埼玉県立近代美術館」や大きな噴水があり、穏やかな空気が心を和ませてくれます。お隣は日本庭園風の池がある「浦和北公園」で、こちらは落ち着いた佇まいに癒されます。
また、駅からまっすぐ伸びる国道463号線は、「日本一長いけやき並木」として「新・日本街路樹100景」にも選定されました。所沢市までの全長約17kmにわたって2,417本も植えられたこの並木は、北浦和の美しい景観の一部として住民に広く親しまれています。
様々な歴史を紡いで来た「常盤公園」は、その昔、慶長年間には徳川家康が民情視察を兼ねた鷹狩りに訪れた際に宿泊していた「浦和御殿」でした。明治時代には「浦和地方裁判所」となり、今も周囲を囲む赤レンガに当時の面影を残します。北浦和にはこのように歴史に根ざした公園が多く、それらの史実に触れながら散歩するのも楽しいですね。
日本一の長さを誇る埼大通りのけやき並木。
「北浦和」駅から少し西の方に離れた荒川沿いには「秋ヶ瀬公園」があり、広大な敷地でスポーツを楽しんだり、芝生広場や「子どもの森」、「ピクニックの森」でのどかな休日を過ごす家族を多く見かけます。東には「浦和駒場スタジアム」や「レッズハートフルフィールド駒場」を持つ「さいたま市駒場運動公園競技場」があり、休日にはサッカー少年とその家族で賑わいます。
戸田公園まで足を伸ばせば、1964年の東京オリンピックで漕艇競技会場にもなった国内最大規模の人工静水コース「戸田漕艇場」で、大学のボート部が練習しています。カヌー教室なども開催されるので、ぜひ、親子で体験してはいかがでしょうか?
  • モネ、ルノワール等2000点余が展示されている埼玉県立近代美術館。
  • 常盤公園内には浦和御殿を偲ばせる灯籠などもあり、歴史の重みを感じる。
  • 日本一の長さを誇る埼大通りのけやき並木。
  • 平日の秋ヶ瀬公園内はのんびりしているが、週末は家族連れで賑わう。
  • 水面近くをかなりの速さで進むボートたち。その景色は実に雄大だ。
平日の秋ヶ瀬公園内はのんびりしているが、週末は家族連れで賑わう。
水面近くをかなりの速さで進むボートたち。その景色は実に雄大だ。
夢見る未来のプロサッカー選手

夢見る未来のプロサッカー選手

浦和では休日や放課後ともなると、多くの子どもが広場や校庭など、街の至る所でサッカーをしています。なぜ、浦和の子どもたちはこれほどまでにサッカーに夢中になるのでしょう?それは、埼玉サッカー発祥の地とも言われる「埼玉師範学校(現:埼玉大学教育学部)」に端を発するようです。ここでサッカーを学んだ先生方が浦和の中学校や高校でサッカーを指導し、浦和のサッカー文化は成熟していきました。その結果、埼玉県立浦和高校、埼玉県立浦和西高校、浦和市立浦和高校(現さいたま市立浦和高校)、さいたま市立浦和南高校の浦和4校が、全国大会21回優勝という燦然たる成績を残しています。さらに、浦和レッドダイヤモンズ(通称:浦和レッズ)の本拠地でもある浦和では選手たちと親交を深める機会も多く、間近で見るスーパースターの輝きに、多くの子どもたちは夢を見るのかもしれません。
歴史が育む豊かな文化
北浦和は、江戸五街道のうちのひとつ「中山道(なかせんどう)」の宿場町「浦和宿」の上町として栄えた歴史があります。
北は日光街道、南は府中通りや大山道と結び、交通・物流の要所としても賑わいを見せました。そのため、宿場もさることながら、「慈恵稲荷神社(じけいいなりじんじゃ)」の鳥居を中心として市場が栄え、現在も「浦和区民まつり」として『中山道浦和宿二七の市』が開催されます。
きっと、当時も日本全国の人や物が行き交い、さぞ活況だったことでしょう。
いつも多くの人で賑わう「仲町平和通り商店街」から脇道へそれると、ひっそりとした佇まいの「仲町公園」があります。
実はこの公園、大名行列も一休みしたと言われる浦和宿の「本陣跡」なのです。公園内には大きな岩の石碑があり、そこには「明治天皇行在所阯(めいじてんのうあんざいしょあと)」の文字があります。これは明治元年と明治3年に明治天皇が大宮氷川神社へ行幸した際に、仲町公園が行在所となったことに由来します。
街の至る所に「中山道」や「浦和宿」の文字があり、宿場町の面影を残す。
今はひっそりとした佇まいの鳥居だが、浦和祭りの際は当時の活気を取り戻す。 常盤公園そば、「二七市」が開かれていた「市場通り」にある「農婦の像」。 メインストリートにも「中山道浦和宿」の石碑が鎮座する。 仲町公園内の石碑は高さ4mほどの立派なもので、本陣跡の貫禄を感じさせる。
  • 街の至る所に「中山道」や「浦和宿」の文字があり、宿場町の面影を残す。
  • 今はひっそりとした佇まいの鳥居だが、浦和祭りの際は当時の活気を取り戻す。
  • 常盤公園そば、「二七市」が開かれていた「市場通り」にある「農婦の像」
  • メインストリートにも「中山道浦和宿」の石碑が鎮座する。
  • 仲町公園内の石碑は高さ4mほどの立派なもので、本陣跡の貫禄を感じさせる。
そもそも、浦和宿は幕府の直轄領(通称:天領)だったため、先に触れた常盤公園の位置に浦和御殿が設けられ、徳川家康が鷹狩りに来た際の休憩所となりました。常盤町(旧・浦和宿上町、現・浦和区常盤1丁目)は当時の浦和宿の中心地であったため、今なお閑静な住宅街として当時の名残を残しています。
また、参勤交代の際には「浦和が鰻の食い納め」とも言われ、江戸から外へ、外から江戸へ向かう際に鰻を食したことから、この地には30軒以上もの鰻屋が軒を連ねています。なかには100年以上の歴史を持つ店も多く、お馴染みの「蒲焼き」は浦和が発祥との説も。実際、それぞれのお店独自の味付けや調理法があり、固定のファンが付いてるお店がほとんどだとか。
実際にうな重を頬張れば、滋養に溢れる貴重なたんぱく源としてだけでなく、ほっこりと甘じょっぱい蒲焼きが全国を旅する人の間で広まったのも納得ですね。
最近では見かけなくなった井戸も、住宅街に大切に残されている。 立派な門構えの浦和北公園。園内にある「楷(かい)」の木は、日本に5本しかない木の1本。
明治初期に建てられたままの風情を残す「青山茶舗」。散歩の合間に一休み。 明治元年創業の「酒井甚四郎商店」。ここの奈良漬はお土産にも喜ばれる。 江戸時代から続く旧中山道沿いの“蒲焼商”である「山崎屋」。昭和天皇も食したとか。
  • 最近では見かけなくなった井戸も、住宅街に大切に残されている。
  • 立派な門構えの浦和北公園。園内にある「楷(かい)」の木は、日本に5本しかない木の1本。
  • 明治初期に建てられたままの風情を残す「青山茶舗」。散歩の合間に一休み。
  • 明治元年創業の「酒井甚四郎商店」。ここの奈良漬はお土産にも喜ばれる。
  • 江戸時代から続く旧中山道沿いの“蒲焼商”である「山崎屋」。昭和天皇も食したとか。

北浦和を歩いていると、江戸時代から脈々と続く歴史をあちこちで感じることができます。
一方、グラウンドで元気に走り回る子どもたちや、勉学に励む若者を見かけると、未来への
明るい希望を見せてくれる気がします。それはまるで、歴史を未来へ繋ぐバトンのように、
この地に続く風土そのものなのかもしれません。
豊かな緑と歴史に育まれ、この地で暮らす楽しみはきっと尽きることがないのでしょう。

浦和の蒲焼き

浦和の蒲焼き

古くから浦和では、鰻や鯉(こい)、どじょうや鮒(ふな)などの川魚が多く穫れました。栄養価が高いうなぎはとても貴重で、浦和宿に本陣を構えた各地の殿様が参勤交代の都度に食し、全国に評判が広がったと伝えられています。江戸から明治に創業した店が多く、そこで修行した職人が近所に店を出したため、専門店が集まりました。もちろん、都心や地方でお店を出している人も多く、浦和仕込みの鰻屋は全国に何軒あるか分からないほどだそうです。こうした歴史も踏まえて、肉厚の鰻を召し上がってはいかがでしょうか?

友人が都内から県立の浦和高校へ進学したこともあり、何度か訪れたことのある街でした。しかし、改めて街を歩いてみたのは初めてで、なんとも風情のある佇まいに生活の豊かさを感じ、「こういう街で暮らすのも、きっと幸せなんだろうな」と、しみじみ考えてしまいました。まるで歴史と未来の交差点のような北浦和エリア。街を歩くとそんな言葉が浮かびます。浦和レッズの活躍に一喜一憂するサポーター。未来の自分を思い描き、勉強にスポーツにと勤しむ若者たち。そして、お店や土地の歴史を大切に守る地元の人々。活気に満ちながらも、どこかほっとさせる温もりを感じる街でした。ぜひ、皆さんにも散歩がてらこの街を歩いて欲しいと思います。きっと、少し元気をもらえるような気分になりますから。

取材メモ
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