ダイワハウスコンペティション告知ページ
青木 淳
最終審査では、模型が重要な意味を持つ。であるから、単なるグラフィックとしての提案ではなく、3次元空間として明示でき、またそこに魅力がある提案でなくてはならない。1次審査ではそこまでは求めていないが、最終審査までにそのレベルに発展し得るアイデアであるかどうかが、最終審査に進めるかどうかの判断に大きく影響する。最終審査は、今回も票が分かれ、激論の末の結論であった。「団栗の背比べ」だったからだろう。もし「愛の家」というテーマをどう展開するか、その建築的思考の一段の深化で飛び抜けた案があったら、圧倒的な評価を集められたと思う。
堀部 安嗣
生身の人の心身を考える。人が人としてあたたかく扱われる。そんな人として当たり前のことが建築を表現する時の愛であろう。しかし今回の応募作品を振り返ってみるとそんな当たり前の感覚が抜け落ちてしまっているように感じた。ここでは決して人は暮らすことはできないだろう、ここでは人が人として扱われている感覚は決して得られないだろう、そんなふうに感じざるを得ない、生身の人の感覚から離れた特異で屈折した表現が多かった。建築表現の“自由”ということをもう一度考えてほしい。生身の人の心身を超えてしまった表現にどんな建築の可能性を見出せるのだろう。
平田 晃久
効率とか目的性とか正しさとか、突き詰めると息苦しくなるような話が多い時代だからこそ、愛が重要だ。見返りを求めない他者への視線が育むものにこそ、無限の可能性が宿るからだ。「テクトニック・ラブ」は作者である男女がそれぞれ育ったハウスメーカーの家を重ね合わせるという極めてウェットな試みを徹底してドライな構法でつくりあげた機知に富む提案である。「語られる家」は日々の生活への愛ある視点を丁寧に描き上げた秀作だ。「土地の優しさを小さく受け取るアパートメント集落」は斜面に広がる過疎集落を帯状のテラスでアパート化してしまう画期的アイデアで、仕上がりは甘かったが今後の展開に期待したい。
小堀 哲夫
感覚的で多義的なテーマである愛の家に、愛の欲望や普遍性を感じる物語を期待していたが、むしろ愛への違和感を感じる提案も多く、いい意味での新鮮味があった。抽象化したもの、日常的なこと、感覚的なことの3つが込められていてかつ、建築的にも空間や時間が感じられた提案を評価した。相手のために自己を破壊できるという、衝突と破壊と再生であるテクトニック・ラブの作品は、ふたりが育った、時代を反映した何の変哲もない住宅の衝突からできた空間に新たな生命が宿るようであり、愛の家にふさわしいと感じた。
南川 陽信
今回も、プレゼンテーションを受けて評価が変わった案がいくつかありました。模型も力作が多く作業は大変だったと思いますが、プレゼンテーションの場に立つことで、それぞれの案の可能性がぐっと引き伸ばされたのではないでしょうか。「愛の家」という解釈も多様な難しいテーマでしたが、それぞれの「愛」に対して、審査委員の先生方には本当に真摯に向き合っていただけたと思います。最優秀賞は夫婦愛を建築の細部に置き換え、重ね合せた不調和な空間に愛を見出す提案でしたが、衝突することで化学反応が起きて愛の深度を深めるような問いがあれば、さらに面白い建築が実現できるのではと思いました。
岩上 嘉樹
「大和ハウス工業賞」を授与するにあたり、住宅や建築部門など、さまざまな分野の6名で審査を行いました。模型を使ったプレゼンは新たな深みを発見でき、優劣つけがたい審査となりました。公開審査では緊迫感のある質疑応答と最後まで最優秀賞候補が入れ替わる展開となりましたが、最終的に私たちは「語られる家」を大和ハウス工業賞として選ばせていただきました。この案における愛の定義をどう捉えたらよいのかが論点となりましたが、「無意識の愛」を表現しているのではないかと解釈しました。時間の移ろい、プレゼンテーションでの表現も秀逸で評価を集めました。
審査員を囲んでの集合写真
最優秀賞 テクトニック・ラブ
優秀賞/大和ハウス工業賞 語られる家
優秀賞 Second Story Love
入選 違和感のある日常
入選 小さき知者との建築(せかい)
入選 Creepy Narcistecture
入選 土地の優しさを小さく受け取るアパートメント集落
白熱のプレゼンが行われました
『新建築住宅特集』 編集長を交えての総評
大和ハウス工業賞審査委員及び立会人として、弊社社員も参加いたしました
表彰式
表彰式
表彰式後に審査員と参加者による懇親会
懇親会中にも意見が交わされます
懇親会に設けられた作品展示
鈴木 遼太(明治大学大学院)
十文字 萌(明治大学大学院)
愛とは関係性の性質である。私たちの身の回りの関係性は「ヒトとヒト」に限らず、「モノとモノ」にまで及ぶ。たとえば、ドアノブの形状は「ヒトとモノ」、建具と躯体の取り合いは「モノとモノ」の関係性における「愛」のカタチである。人間は乾式で、愛はその取り合いで生まれる。「ヒトとヒト」との関係性は液体のように混じり合うものではなく、固形の物質が組み合わさるように他者を受容し、互いに相手のために自己を変化させ、時には破壊すら厭わない。不器用に取り合っていくことで「愛」が形成される。愛という関係性で結ばれるふたりの共生を考えた時、新たな生活の器が必要となる。自己の一部として身体化した個人の思い入れがある環境を互いに取り合せる手法を提案する。「実家の敷地」を身体化した環境と仮定し、平面を重ね合わせ、ハウスメーカーの家同士の組合せから次なる器を形成した。そうして自らの生活概念を破壊しながらいびつな器に意味を見出していくことで、ふたりの関係性はもちろん、周囲に対しても関係性が開かれていき、さまざまな愛がカタチづくられていく。
( プレゼンテーションより抜粋)
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傅 嘉彦(UCLA)
Tomasz Jan Groza(UCLA)
Miranda Hoegberg(UCLA)
建築のコンテクストは発展や変化のきっかけとなる。朽ちていくことと格闘しつつ、 老朽化を受け入れ、新しい条件に適応させることは、居住空間が紡ぐ物語にとって不可欠な要素である。この豊かな建築の足跡がわれわれのプロジェクトに活気を与えることとなり、その家をふたりの恋人の物語を育む場所とする。
私たちは神話「ピュラモスとティスベ」や「織姫と彦星」からインスピレーションを得た。これらの物語は、恋人たちは隔てられることでより親密な関係を育むということを伝えている。そこで街中の既存の建物を改修し、1階では中央の十字の壁が恋人たちを隔て、2階ではふわりと布のかかるキャノピーを計画した。親密な関係を育て、共同の生活空間をつくり出す余地を残す家である。
( プレゼンテーションより抜粋)
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福留 愛(横浜国立大学大学院)
平井 未央(日本女子大学大学院)
この家には扉しかない。物を納める場所も、自分が生活する場所も、屋外に広がる都市も、扉を開くことで繋がる。この3つの領域が入れ子状に分けられた時、扉を開いた先に広がる向こう側の世界は「選ばれる世界」として統一される。どの扉を開くか、いつ開くか、どのくらい開くかを決めるのはいつも住人である。本能的な小さな選択が日々の生活に入り込んだとき、人は物語を紡ぎ出す。こうして食器を取り出すことから都市へ出ていくことまで、生活のあらゆる出来事が断絶のないひとつの物語となった時、建築と生活は共に語られ、愛に溢れていく。やがて、愛用している食器を取り出すようにオフィスの扉を開けて光の中へと受け入れるように、人を招き入れるだろう。今日もどこかで誰かが扉を開ける。たったひとつの物語は今日も世界中で生まれているのだ。
( プレゼンテーションより抜粋)
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松田 明莉(フリーランス)
伊東 亮祐(フリーランス)
日下部 力也(フリーランス)
山口 智(フリーランス)
愛という言葉から何が思い浮かぶだろうか。男女間に生まれる恋愛、親子や兄弟に抱く家族愛、生命に向けられる博愛などさまざまである。ここで着目したいのは、愛着である。愛着は生まれながらにはもち得ないが、他者(物)の影響によって無意識に生み出される唯一の愛と言えるだろう。私たちは建築という他者によって愛に気づく家を設計する。私たちが暮らす「1K」は使いやすさや合理性によって定型化され、快適な生活を私たちに提供してくれる。一方でその生活には何の疑問ももたず、決まり切った使い方をしていると考える。そこで、「住空間」に少しの「違和感」を与えることで、日々の生活に変化を生み出す提案を行う。
( プレゼンテーションより抜粋)
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野藤 優(法政大学大学院)
矢加部 翔太(法政大学大学院)
田島 佑一朗(東京理科大学大学院)
生まれたばかりの人間は、世界が自分の欲求通りになると思っている(私的幻想)。しかし、次第に思い通りにならないと気づき、私的幻想とは別に自我意識を発達させ、両者の折り合いをつけることで環境に順応し生きていく。私的幻想が強い人は環境や社会に対して微妙に順応していない。そんな少し不気味な彼らの幻想を建築化することで、彼らがこのイエに居ない時、建築のオブジェクト自体が半自律的に存在し(建築の私的幻想が強まる)、都市を行き交う人に不気味なモノとして発見される。これらが点在することで人びとに不気味な人・モノによるシークエンスを生み出し、都市・建築へのリテラシーを高めるためのきっかけとなる。
( プレゼンテーションより抜粋)
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小泉 博史(Loocal)
青木 佳子(東京大学生産技術研究所特任助教)
和歌山県有田市に、矢やびつ櫃という集落がある。車も入れない急な斜面に家々が並ぶ小さな漁村だが、まちじゅうに縦横に張り巡らされた迷宮のような坂道と、それをいちばん下まで降りると広がる穏やかな海、そして毎日沈んでいく夕日が美しい集落である。繰り返される自然のリズムとそこで編まれていく生活の風景には人をふわりと包み込むような優しい居心地がある。弱く儚い記憶は、ひとりひとりの内に留まりつつも、土地へと返礼されぬまま、ただ空き家は増えていく。本提案では、集落で繰り返される日々の営みを肌で感じる補助線として、集落の家々を繋ぐ帯状の空間(バルコニー)を新たに挿入した。
(プレゼンテーションより抜粋)
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草原 直樹(横浜国立大学大学院)
須藤 悠果(東京藝術大学大学院)
ワンルームが3つ集まった集合住宅。そこに雨漏りの水滴がしたたる。雨水を楽しむ傍ら、「この水はきれいなのか?」と頭の端で思うことで、家の掃除やメンテナンス、はたまた世界の環境の調子にまで思考を巡らせる。わざと雨漏りさせるという矛盾を孕んだ建築は、小さな独りよがりのワンルームから、ふと大きな世界へと思想を誘う。私たちが考える愛とは、美しさや楽しさを欲するエゴに始まりながらも、頭の端っこに周りや世界への眼差しがあるバランスである。それを何よりも建築の形で体現すると、「雨漏りが計画される」という愛おしい矛盾を孕むのであった。(応募案より抜粋)
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外山 純輝(日本大学大学院)
日本の文化であり今尚人びとを惹きつける落語。その舞台の多くが長屋であったことに気づく。長屋の特徴を表す言葉として、「9尺2間の棟割長屋」がたびたび引用される。井戸や便所も共同で、路地も狭く、少し窮屈。長屋での生活は、どこへ行くにも、住人と顔を合わせずにはいられなかった。しかし、彼らにとっては人と会い、互いの毎日に関心をもつことが当たり前の生活なのだ。つまり彼らの生活の根底には助け合いの精神が不可欠であり、それが落語の題材となるような愛ある人情味を醸し出していたのである。豊かな暮らしには、ないものを共有し、それらを互いが補う、愛の存在を感じる。すなわち、集まって暮らすことで生まれる愛である。(応募案より抜粋)
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岡本 泰郎(sTudio sign)
私たちは自ら安全な「家」をつくるため、都市化によってほかの生き物の居場所をたくさん奪い取ってきた。そうしてできた「家」は現在、異常気象による気温上昇や集中豪雨といった自然の脅威にさらされている。豪雨の雨水をそのひととき受け止めるための「深い水の器」を敷地いっぱいにつくる。そこにさまざまな生命や暮らしを受け入れる「森の住処」を積み込む。これらは自分だけでなく、まちを少しだけ安心で豊かにしていく。人の寿命よりも永くその場所にあり続け、 まだ見ぬ未来に繋ぐ「方舟」のような、そんな小さなふたつのインフラをもった家。(応募案より抜粋)
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